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【真珠湾攻撃を裸の王様と看破した中学生】
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「アメリカに勝てるわけない」とは言えるわけない
映画好きの笠原和夫は、日頃からアメリカ映画を鑑賞し、日米の国力差を子供ながらに痛感していました。
『どうやったら勝てると思えるんだ……』
とはいえ中学生の笠原少年に、そんなことを大きな声で言えるわけがないとも認識していました。
笠原少年は、後に『仁義なき戦い』シリーズで知られる脚本家になります。
そして後年になってようやく「映画好きの中学生にもわかることを、なぜ偉い大人がわからなかったのか?」と当時を振り返っています。
この笠原少年の経験は『裸の王様』を連想させます。
あのころ日本で
【この戦争は負けるんじゃないの?】
と、表明することは、
【王様は裸だ】
と言うよりはるかに難しいものでした。
王様が「バカには見えない服」を着ていたように、真珠湾攻撃に感動していた大人の目には、日本という国が何か特別なものでも纏っているように思えたのでしょう。
当時44才の作家・横光利一は、こう記しています。
「先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことがついに顕れてしまったのである」
外遊時代に毎晩パリで、伊勢神宮に向かって祈っていた効果が出た、と。
こうした神がかり的なものが、笠原少年には見えない「特別なもの」であったのでしょう。
後世の人間が、真珠湾攻撃後に昂揚する人々のことを振り返ると『一体なぜか?』と疑問を感じるかもしれません。
そこには、当時の人には見えた「特別な何か」があり、かつ人々が実は追い詰められていたことを、考慮する必要があるのでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
山田風太郎『同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日 (ちくま文庫)』(→amazon)