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【防人の歌】
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貴族たちも防人には「あはれ」を感じていた?
防人に「あはれ」を感じた貴族も多く、これまた和歌の題材として好まれた時代もありました。
他人事扱いだから呑気に歌なんて詠めたんだろう……と思いきや、貴族たちも父や兄・夫が各地の領主(受領)などで単身赴任になることは珍しくなかったので、何となく気持ちがわかったのかもしれません。
もちろん、生活の質には雲泥の差があったでしょうが。
貴族が防人や遠くにいる知人へ詠んだものとしては、こんなのがあります。
「沖つ鳥 鴨といふ船の 還り来ば 也良の崎守 早く告げこそ」
【意訳】沖の海鳥よ、頼りを運んでくる船が来たなら、也良の地の防人にすぐ知らせてやってくれ
「銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子に如かめやも」で有名な山上憶良(やまのうえのおくら)が防人を詠んだものです。
憶良は防人たちが赴任させられた筑前の領主をやっていたので、彼らの悲哀をごく間近に見ていたのでしょう。
子供だけでなく、情に厚い人だったんですね。
次は百人一首十六番・在原行平の歌に注目してみましょう。
「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
【意訳】今は故あって因幡へ行かなくてはなりませんが、あなたが待っていると聞いたらすぐにでも帰ってくるつもりです
防人や領主の任命ではなく、政争に敗れて失脚したときのもので、心情は似ているんじゃないかと思うので紹介させていただきました。
彼が流された先は須磨だったので、光源氏のモデルの一人ともいわれていますね。
「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守」
【意訳】淡路島へ通う鳥の鳴き声に、須磨の関守は何度起こされたことだろう
こちらも百人一首から。
七十八番、詠んだ人は源兼昌(みなもとのかねまさ)です。
至ってフツーに情景を詠んだシンプルな歌ですが、その様を想像すると何となく物悲しいですね。
現代に置き換えれば「単身赴任したあいつは、今日も取引先からの電話で寝入り端に起こされているのだろうか」くらいの感じでしょうか。
こんな感じで行くほうもそれを見た上司達も「防人ってキツくね?」と思っており、農民を徴発するのはやめようということになりました。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
防人の歌/楽しい万葉集