平安時代

左から桓武天皇・藤原道長・平清盛/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

平安時代を一気に読む!親政に始まり摂関家絶頂期を経て院政から武者の世へ

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③院政と武士の台頭

藤原摂関家の権力が衰え、代わって院政が政治の中心に。

しかし、そこで武士をますます重用するようになると、平家が台頭。

平清盛が出現します。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用

この平家ノリノリの時代から鎌倉幕府までの期間が平安時代の第3期「武士の台頭」ですね。

具体的には【保元の乱(1156年)】や【平治の乱(1160年)】を機に始まり、1185年(あるいは1180年とか1192年)に鎌倉幕府が始まるまでと見ることができましょうか。

短い期間で次々に戦争が起き、かなり物騒な時代でした。

同時に、文化的な発展もありました。

京では仏教関連の建築や造像が盛んになったり、平泉では奥州藤原氏による絢爛豪華な文化が花開いたり。

また、後白河上皇の愛した「今様」や、各種軍記物語、歴史物語も盛んに作られるようになっていきます。

いわゆる『鏡物』と呼ばれるものや、古文でお馴染みの平家物語などですね。

他には、鎌倉文化として習うことが多い随筆『方丈記』には、実はこの時期の天災が数多く記録されています。

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庶民に関する記録は少ない

……とまぁ、期間が長くてやっぱりややこしいのですが、他の時代と比べてもう一つ特徴があることにお気づきでしょうか。

平安時代では、庶民の生活や文化が話題に上ることがほとんどないのです。

同じ古代でも、飛鳥時代には聖徳太子などが貧者救済に動いていたり、奈良時代には山上憶良が貧窮問答歌を作っていたりするのですが、この時代はそうした作品も目立たない。

理由はシンプル。

庶民に関する記録が乏しいから。

豪華な寝殿造のお屋敷が多々作られる一方で、地方の庶民は竪穴式住居(竪穴住居跡)に住んでいることも珍しくなかった……というのが平安時代でした。

東北地方では、室町時代まで竪穴式住居だったところもあるようですね。

例外は『土佐日記』あたりでしょうか。

半分フィクションのようなものですが、ちょこちょこ庶民やその子供などの描写があります。

もしかしたらその後の戦災・天災で庶民に関する記録が失われてしまっただけなのかもしれませんが、平安時代の話題が「政変・戦乱 or 文化」の両極端になりやすく、イメージ湧きにくいのは、そういう理由があります。

この時代を手っ取り早く慣れ親しむには、やはり大河ドラマ『光る君へ』を見るか、あるいは『あさきゆめみし』(→amazon)をはじめとした平安期の【漫画】を読むこと。

最近は菅原道真を主人公とした『応天の門』(→amazon)なども人気ですし、今年の大河をキッカケに近い時代の漫画作品が生まれてもよさそうですよね。

フィクションの切り取り方次第で、まだまだ熱い時代となりそうです。


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【参考】
国史大辞典
平安時代/wikipedia

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