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【木簡】
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◆源頼朝の「和紙」の書状
源頼朝がサラサラと和紙に書きつけた、愛する女性である八重宛の書状。
八重になんとなくあこがれていた北条義時がそれを預かり、相手に届けにゆきます。
何気ない場面のようで、なかなか残酷といえばそうですよね。
質感のよい和紙に流麗な字を書く――これぞ貴公子の風格です。
現代で言えば、数万円もする高級レターセットに、何十万円もする高級万年筆を使っているようなシーンであり、八重や政子が「彼は何かが違う!」と惚れてしまっても全くおかしくありません。
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◆北条政子の「お経」
夫である頼朝の挙兵後、留守を守る北条政子は伊豆山大権現に預けられ、読経の日々を送ることになりました。
あのときのお経は頼朝のものか、あるいは政子が写経したものでもおかしくはありません。
現在でも修行の一環として存在します。
賢い彼女のことですから、単に読むだけではなく、写経によって仏の教えを身につけていったのでしょう。
その証拠に、勤行しながら、こんな疑問を義母・りく(牧の方)の前で口にしています。
「戦で人を殺める夫がいるのに、その妻が勤行を務めてよいの?」
素晴らしい進歩で、こういう問い掛けをできるようになったのも、仏の教えを学んだからです。
殺し殺されるのが人の世であり、虫けらのような殺害を当たり前だと思っていたら、そんな疑問も湧いてこないでしょう。
政子の胸に沸いた戸惑いは、このあと鎌倉時代に興隆する鎌倉仏教の芽生えのようにも思えるのです。
ありがたい教えを写すことで、きっと政子の知性にも磨きがかかったことでしょう。
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「木簡」と「木札」はビジネス用途に最適だ
都からやって来た頼朝は、和紙に筆で長文を書き付ける――そんな文明の風を坂東に吹かせました。
一方で、北条義時は木簡を管理しています。
高級万年筆を愛用し始めた周囲なのに、義時はボールペンを使い続けているような……些細だけれど、大きな壁にも見えるような格差がある。
しかし「木簡」にも木簡なりの使い道があります。
ここでは便宜的にまとめて「木簡」と統一して呼びますので、ご注意ください。
◆木簡は修正ができる
いったん紙に筆で何かを書いてしまったら、修正は難しい。
しかし木簡は削ることができます。
ゆえにメモ書きや公文書のような用途には適していて、実際に「削りカス」もしばしば発見されます。
◆木簡は耐久性がある
木製ですので、IDカードや荷札の役割に適しています。
こうした使い方は「付札」と呼ばれます。
義時が見ていた木簡には、縛る紐がつけられていました。
木簡同士をまとめたり、荷物につけるために、切り込みが入っていることが多いのです。
『鎌倉殿の13人』でも、木簡を紐でまとめて投げ入れる場面がありました。ああいう使い方は紙には向いていません。
ざっとまとめますと……。
・ストラップをつけたネームタグ
・ファイルでまとめた文書
それが木簡の使い方です。
義時が凝視していた木簡には、周辺農地からの米の量が書かれており、非常に実用的であるぶん、有り難みは少ないものです。
当時のゴミ捨て場からもしばしば発掘されます。
米の収穫量や領収書なんて、とっておいても仕方ないから、ゴミとして処理されてしまうからです。
ビジネスや日常生活に密着していて、現代で言えば「社内規定」「交通費の領収書」「IDカード」として当時に流通していた。
他にも、米の収穫高、法令、悩み相談、犯罪の事例、呪い、備忘録、領収書……など用途は多様。
こうして見ると、義時が「木簡を見る」と告げた時に義村がシラケ顔をするのも無理ないのがわかりますよね。
「社員同士で飲みに行こうぜ!」
そう声をかけられたのに、
「領収書チェックするから飲みに行けない。備品にどんだけ使ったか確認したいし、俺、そっちの方が性に合ってるから」
なんて言われたら、ノリが悪い隠キャだなぁ、と突っ込みたくなりませんか?
義時はそういう性格なのでしょう。
なにげないようで、当時の日常がわかる――そんな木簡は鎌倉で発掘され、鎌倉歴史文化交流館では常設展示されています。
確かに地味です。
これをじっくり見る人は相当の歴史好きでしょう。
しかし、小栗旬さんが演じる義時を思い出しながら、木簡の前で足を止める人がいれば、当時の息遣いも伝わってくるし、これほど素晴らしいことはありません。
◆鎌倉歴史文化交流館(→link)
ただし木簡は、ドラマの小道具として作る場合はかなり大変です。
木材には専用の墨汁があって、それを用いなければならない。
だからこそ小道具さんだけでなく、当時それを作っていた人々の苦労も一緒に想像してみたいですね。
義時の仁政を予見させる小道具
『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』には共通点があります。
それはどちらも主人公が、後世、非難される悪事を為すという点です。
明智光秀の主君殺しは悪い。
北条義時だって【承久の乱】で天皇をあんなに酷い目に遭わせたからには悪どい。
その史実は変えようがありません。
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しかし、動機や心情描写を変えることで、視聴者の共感を得られるように導くことはできる。
本能寺の変や、多くの乱や変で粛清してきた二人にしても、本人が動機をきっちり書き残していないからこそ、フィクションゆえに穴埋めができます。
光秀の場合は、タイトルの時点で動機が誘導できました。
麒麟がくる――孔子がめざした太平の世を築くことが目標。その障害となるのであれば、主殺しの汚名をものともせずに突き進む。そんな展開にできたのです。
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では義時は?
困ったことに、当時の義時が儒教経典をはじめから学んでいたとは思えません。
義時に「太平の世には麒麟がくる」を説いたところで、聡明な彼といえども、ドラマの序盤の状態であれば困惑するばかりでしょう。
そんな義時が、民衆を思いやる心情があることをドラマでは丁寧に描く必要があります。
義時の言動には、穏やかな世を望み、民衆を観察していると思われるものがよくあります。
偏見を持たず、穏やかに生きていきたいと願っている優しさが垣間見えます。
民衆の生活を愛する心がけは、木簡を確認し、米の収穫を把握し、飢饉に備える心がけによってあらわになります。
仲間同士で酒を飲んで騒ぐより、地味でも民の暮らしを考えていたい――。
義時の根っこには優しさがあるのです。
教育を受けた光秀ならば『論語』を引用しつつその意見を表明できますが、義時にはそれができない。
ゆえに細やかな描写で、その優しさと慈愛を見せてゆくしかありません。
冷徹であればこそ、執権として権力を握り、【承久の乱】までやらかしたとされてきた北条義時。
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それが実は愛するものや民衆を守るため、巻き込まれてそうなると描くとすれば、これはドラマならではの挑戦といえます。
興味深いことに、これは何も妄想でもなくて。
偏見を取り払ってみれば義時はそこまで悪人ではないのでは? 鎌倉幕府のやらかしたことは悪いけれども、民を仁政で治めていたことは評価できる。
昔からそう言われてはいます。
平清盛率いる平家にはそれがなかった。だからこそああも反発された。それを受け、そのあとの鎌倉幕府は民の声を聞くようにし、平氏よりも長い政権を保てた。
こう誘導すれば、義時の奮闘は理解できるようになります。
義時は確かに己の拳を血に浸すようなことはするけれども、民を愛する気持ちはあったのだと。
日本の歴史が求める必要悪として北条義時を描くのであれば、『鎌倉殿の13人』には意義があります。
だからこそ、あの木簡を調べる義時の横顔を忘れないでいたいと思うのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
水藤真『木簡・木札が語る中世』(→amazon)
関幸彦『相模武士団』(→amazon)
他