後醍醐天皇

後醍醐天皇/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

後醍醐天皇の何がどう悪かった?そしてドタバタの南北朝動乱始まる

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後醍醐天皇
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トンチンカンな政策ばかりで武士も公家もついてこず

建武の新政と言えば「イメージの悪い歴史用語」ワースト10ぐらいに入りそうですよね。

受験生の皆さんは「親政」と「新政」の書き間違えにご注意ください。

親政は天皇自らが政治を行うことであり、新政は文字通り新しい政治・政権という意味になります。

これがトンチンカンなことばかりで武士だけでなく公家からも総スカン。

具体的には、以下の通りです。

① 光厳天皇の即位と自分の退位を否定

② 自分の皇子である恒良親王を皇太子にし、後醍醐天皇の血筋による皇位の独占を図る

鎌倉幕府の法律や武士の慣例を廃止し、新しく法律を作る

①と②はともかく、③がかなりマズかったのですね。

建武の新政
建武の新政はあまりにお粗末「物狂いの沙汰=クレイジー」と公家からもディスられて

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現場の仕事量を全く考えず、一斉に制度を切り替えようとしたせいで、事務処理の大幅な遅延→パンクを招き、慌てて法律を変えるという有様となります。

そして建武の新政中の建武二年(1335年)に起きた【中先代の乱】をきっかけに、後醍醐天皇の描いていた政治体制はあっけなく崩れていきます。

この戦い自体は、鎌倉幕府復興を目指す北条氏が起こしたものです。

しかし、これを討伐せよと命じられる前に、尊氏が独断で出陣。

討伐が終わると、尊氏は独自に配下の武士たちへ恩賞を与えます。

これでは、後醍醐天皇の政策や立場や面目が丸つぶれになるわけです。

激怒した後醍醐天皇は、新田義貞に尊氏討伐を命じました。

新田義貞
新田義貞が鎌倉幕府を倒しながら 後醍醐天皇に翻弄され 悲運の最期を迎えるまで

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「あの神器は偽物でーすw」で南北朝が始まった

一時は尊氏を九州へ追いやり、勢いの増す新田軍。

しかし、さすが源氏の名門同士というべきか、すぐには決着がつきません。

その間に楠木正成

「尊氏は武士からの人望が厚いから、和睦して上手く使ったほうがいいですよ」

と後醍醐天皇に献言していたそうですが聞き入れられず、かえって尊氏討伐に加勢するよう命じられてしまいます。

そして迎えた【湊川の戦い】。

楠木正成はあえなく自刃へ追い込まれます……。

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元の身分が低いとはいえ、貴重な忠臣を自ら死に追いやってしまったようなものでした。

上方へ攻め上ってくる尊氏に対し、後醍醐天皇は比叡山に逃げ込みました。

そして尊氏方に三種の神器を渡して和睦を図ります。

本心では天皇の命を奪いたくない尊氏はこれで納得し、持明院統から光明天皇を即位させて室町幕府を作りました。

しかし、ここで後醍醐天皇がなかなか驚くべき行動に。

「あの神器は偽物でーす( ^ω^)だからワシはまだ退位してないし、光明天皇なんて認めません!!」(超訳)

そんな風に主張し、吉野へ移って朝廷を開くのです。

これが南北朝時代の本格的スタートですね。

鎌倉時代からあった「両統迭立」が打ち切られて、南北朝それぞれで正統性を主張し始めたのです。

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自分の皇子たちを地方へ送るも……

後醍醐天皇はさらに、自分の皇子たちを各地方へ送って尊氏に対抗しようとしました。

しかし、その効果が現れる前に病没してしまいました。

死の直前に第七皇子・憲良親王=後村上天皇に譲位しているのですけれども、もう少し早く、後のことを考えて行動すればよかったのに……と思わざるを得ません。

辛い評価でまとめるとするならば

「天皇・皇族じゃなかったら誰もついてこなさそう」

もしくは

江戸時代の大名家にいたらお家騒動の火種になりそう」

という感じでしょうか。

同じく鎌倉幕府と敵対した後鳥羽天皇が文化的な業績を残しているのに対し、後醍醐天皇にはそれもないのが残念で……やはり【建武の新政】失敗が痛かったですね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon
後醍醐天皇/wikipedia

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