伊賀の方(伊賀氏の変)

絵・小久ヒロ

源平・鎌倉・室町

義時の妻・伊賀の方(のえ)はなぜ伊賀氏の変を起こしたか?

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伊賀の方と伊賀氏の変
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伊賀氏の変

父の北条義時が亡くなったとき、北条泰時は京都にいました。

急遽鎌倉に戻り、伯母の北条政子と対面を果たすと、その場で彼女に幕府の政務を任されます。

叔父にあたる北条時房が補佐にあたり、三代目執権の座は、政子によって泰時と決められました。

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このとき泰時は、大江広元に「(自身の)執権就任は急ぎすぎではないか?」と尋ねたとされ、広元からは「むしろ遅過ぎたほどです」という返事を貰っています。

鎌倉幕府の重鎮たちからは、泰時こそが実力と人格を認められていたのでしょう。

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しかし、周囲には何とも不穏な噂が流れていました。

・鎌倉には怪しい動きがあるらしいぞ

・泰時が弟たちと争うのではないか?

そして、その陰謀の中心にいたとされるのが伊賀氏です。

伊賀の方の息子である北条政村は1205年生まれであり、泰時は1183年生まれ。

年齢差や経験を考慮すると泰時が圧倒的有利にも見えますが、彼には母方の後ろ盾はなく、警戒心を強め、警備を固めます。

そこで動いたのが北条政子でした。

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政村が、烏帽子親である三浦義村の元に出入りしていることを知った政子は、女房一人だけを伴い、自ら義村の元へ向かったのです。

そして疑惑を究明します。

「政村らの伊賀一族がこの邸宅に出入りし、鎌倉を騒がせています。どういうことですか?」

「実は……」

義村が打ち明けたのは、政村を執権に昇らせようという伊賀氏の陰謀でした。

これに対し、泰時こそが次の執権であると政子が強く言い聞かせると、義村は折れ、伊賀光宗を説き伏せます。

伊賀氏の計画は、呆気なく粉砕されました。

将軍に擁立されかけた一条実雅は、公卿であるため京都に処断を任せ、伊賀の方(のえ)は伊豆北条へ流罪。

光宗は政所執事を罷免にした上、信濃へ追放。

まだ若い政村だけは、政子の命により処断を免れました。

失意のためでしょう。伊賀の方(のえ)は伊豆北条で病に倒れ、程なくして没したとされます。

 

政子、最後の政治的果断

政子の素早い果断により、流血はなかったとされる【伊賀氏の変】。

生涯最後の果断となりました。

『鎌倉殿の13人』では主人公の義時が死んだ後の話のため、劇中で描かれるか不明ながら、彼女の最後の政争ですから劇中で描かれてもおかしくはありません。

事件の意義としては、大規模な陰謀というより、政子が伊賀の方に待ったをかけた――といったところでしょうか。

それにしても三浦義村はなぜ政子に協力したのか。

理由は推察するほかありませんが、『鎌倉殿の13人』の設定からすれば理解が進むようにも思えます。

ドラマの設定における泰時の母は、政子や義村とも血縁のある八重です。

となれば、彼らが泰時本人とその母に愛着や資質を感じても自然なことでしょう。

鎌倉において、頼朝に滅ぼされた伊東家(伊東祐親の娘)の血を引いているということは、政治的にはマイナス要因にもなり得ます。

むろん、義時が生前に後継をキッチリ決めておかず、伊賀氏に誤解を与えるような曖昧な態度をしていた、そんなコミュニケーション不足もあったと思えます。

政子の果断が、そうしたゴタゴタを素早く処理したのです。

 

作られた悪女像を超えて

【伊賀氏の変】は今なお不明点が多い政争として扱われがちです。

結果、伊賀の方(のえ)の悪女像が作られてきました。

京都で、伊賀の方が義時を毒殺したという噂があったことは、藤原定家『明月記』からもわかります。

この記述は、伊賀の方を悪女としたい欲求と、そんな女を妻にしてしまった義時を蔑みたい動機が背景にあったのでしょう。

政子が伊賀の方の怨霊に苦しめられ、祟り殺されたという伝説すらあります。

中世にはよくあるゴシップなので、信じる必要はないでしょう。

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最後に。

伊賀の方(のえ)とは一体どんな女性なのか。

演じる菊地凛子さんのコメントを参照してみたいと思います。

北条義時の最後の妻、のえを演じることになりました。

私の中での、のえさんは、女性であることをある種楽しんでいる、素直な女性だと思います。

真意を隠しているよりも、これくらいが小気味良い! 気持ちが良い! そんな印象です。

それが今後どう化けるのか?

はたまた特に化けずにこのまま我が道を行くのか?

とても楽しみでしかたがありません。

初恋の人で最初の妻である八重の存在感が大きい『鎌倉殿の13人』。

その後の姫の前(比奈)もまた出会いから個性的で、八重とは異なる魅力がありました。

二人が大いに魅力的だっただけに、のえ(伊賀の方)にかかるプレッシャーは大きくなりますが、その圧は初回の登場ですでに吹き飛ばしてしまった感はあります。

最後はどう演じられるのか?

今後の菊地凛子さんが楽しみでなりません。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
坂井孝一『考証 鎌倉殿をめぐる人びと』(→amazon
細川重男『鎌倉幕府抗争史~御家人間抗争の二十七年~』(→amazon

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