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弓術の興亡、そして弓道として再生
鎌倉時代以降も、弓術の達人がいなかったわけではありません。
しかし徐々に存在感は失われ、弓術を見せる機会は、神事や祭礼に限られてゆきました。
なぜか?
源平合戦の時代が終わり、世の中が平和になると、文化、芸術、娯楽が発達します。
和歌を詠み、蹴鞠を楽しみ、読経に勤しむ。
かつて軟弱とされていた技能が重視され、武士たちの憧れる技能も変化していきました。
結果、鍛錬に時間のかかる弓術はどうしても疎遠になる。
太平の世が終わり、再び乱世が訪れた南北朝時代では、弓術の技術が相対的に低下していました。
もちろん使われないわけではありませんが、戦術が変化し、相対的重要性が入れ替わったのです。
南北朝時代から、悪党と呼ばれる集団が登場します。
彼らは、弓以外の武器を持ち、集団戦術を駆使。
長柄武器、槍、長巻、打物(打撃武器)で敵を倒すことが発達しました。
悪党の登場。
『孫子』はじめ兵法の普及。
集団戦術の発達。
こうした中で、腕力や技術を駆使した弓術だけが特別視されるわけではなくなったのです。
弓は、銃器の普及により使われなくなったとされます。
それはあくまで要素の一つであり、複合的な要因が絡み合っています。
集団戦術が発達すると、個人単位での弓術賛美傾向は弱くなる。これは日本のみならず、世界各地でみられる現象であり、中世の終焉と重なり合うことが多いものです。
時代が降った戦闘技術を、大河ドラマで振り返ってみましょう。
『麒麟がくる』の序盤、明智光秀は儒教経典である四書五経を幼くして読みこなしていると語られました。『孫子』を引用する場面もありました。
主君である斎藤道三はそんな光秀の知恵を高く評価しています。
明智光秀と細川藤孝が、剣術で対峙する場面には、剣術を嗜む将軍・足利義輝が登場し、両者を称えていました。
弓は使われていないわけではありません。織田信秀は矢傷が原因で死に至ります。
その一方、松永久秀や斎藤道三、そして信秀の子・織田信長が鉄砲に興味を抱くことで、物語は進んでゆきます。
漢籍由来の兵法と知恵が重視される。
技能は剣術。
合戦での遠距離武器は鉄砲。
弓術の重要性が低くなっているのが一目瞭然です。武士は弓のみならず、さまざまな智勇を研鑽するようになっていました。
たしかに今川義元と徳川家康の異名「海道一の弓取り」という言葉には、その名残もありますが、実際に彼らが弓の使い手であったかどうかは別の話でしょう。
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時代がくだり幕末となると、弓術は時代遅れの象徴として語られるほどです。
そして西洋にならう近代化の過程において、真っ先に廃止されてしまいました。
明治以降は旧時代の象徴となっていた弓術。
その技術を完全に喪失させないためにも、スポーツであり、鍛錬としての「弓道」が確立されました。
他の武道と同じように、弓術家が保全に動き、段位の制定等を行なったのです。
彼らは、女性にも広く門戸を開きました。
第二次世界大戦後、武道はナショナリズムを醸成するものとして禁じられましたが、解禁後は弓道も復活を遂げ、現代に至ります。
中学高校の弓道部に、比較的女性が多いのも、そうした時代の流れからでしょう。
扱いの難しい弓術が見られる好機
弓術がいかに重要であり、かつ難しかったか。
それを再現する『鎌倉殿の13人』がいかに大変であるか。
特に、見栄え良くカッコよく矢を放つため、俳優さんたちに課される苦労は相当なものです。
剣(剣道)や馬(乗馬)でしたら、ドラマ以外で接する機会はあれど、本物の弓に触れることはほぼ皆無でしょう。
扱いを間違えたら負傷する可能性もあり、その準備を考えると、例年の大河よりずっと手間がかかります。
装束が重い。甲冑を着ているだけで筋肉痛になる。それに比例して殺陣が危険となる。
畳がない板張りの床を、裸足で歩かねばならない。
馬に乗る場面も多い。
そして弓を引かねばならない。
弓は筋肉に負担がかかるだけじゃなく、弦があらぬ方向に跳ねてしまったり、矢羽で身体をこすってしまったり、本当に大変です。
だからこそ源平合戦における弓矢は武士たちの華となったのでしょう。
彼らは鍛錬を積み、日本史上最高の弓術で戦い抜きました。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
樋口隆晴/渡辺信吾『図解 武器と甲冑』(→amazon)
松尾牧則『弓道 その歴史と技法』(→amazon)
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』(→amazon)
森村宗冬 『アーチャー 名射手の伝説と弓矢の歴史』(→amazon)
他