藤原頼忠

こちらは藤原頼忠の父である藤原実頼/wikipediaより引用

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兼家のライバルだった藤原頼忠~関白まで上り詰めた公任の父はなぜ無名なのか

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花山天皇の即位

永観2年(984年)――円融天皇は弟に譲位し、花山天皇が即位しました。

これまた『光る君へ』に目を向けますと、本郷奏多さんが特異なキャラを演じて話題になっていますね。

ドラマでは藤原兼家も警戒して、藤原為時をスパイとして送り込んでいましたが、それには理由があります。

彼の即位により、権力争いが一気に混沌となったのです。

花山天皇の外祖父である藤原伊尹は既に他界していて、補佐を務めたのは伊尹の子である藤原義懐(よしちか)でした。

この義懐と花山天皇が結びつき、頼忠とは対立関係が生じます。

兼家にしても、孫の懐仁親王を天皇として即位させるためには、花山天皇が目障りで仕方ありません。

老い先短い兼家に対し、花山天皇はまだまだ若く、兼家にはとにかく時間がないのです。

一方、藤原頼忠は、娘の藤原諟子を花山天皇に入内させ、寵愛を得させることで状況打開に努めますが、そう簡単には狙い通りになりません。

花山天皇は移り気であり、性的にかなり奔放なのです。

ドラマでも、その過激発言が話題になっていましたが、寵愛を次から次へと移すため、貴族はかえって花山天皇が娘の噂を聞きつけないよう、警戒したほどでした。

実際、諟子も花山天皇の寵愛を受けるには至りません。

 


寛和の変で兼家の天下に

そんな中、兼家の陰謀が動き始めます。

花山天皇は、藤原為光の娘である忯子を熱愛していました。

その最愛の女性が亡くなってしまい、世を儚むようになっていたところ、兼家の息子である藤原道兼にそそのかされて出家してしまうのです。

寛和2年(986年)の【寛和の変】と呼ばれ、花山天皇だけでなく義懐も出家。

その結果、懐仁親王が一条天皇として即位するのでした。

花山天皇は寛和の変だけじゃない!道隆の子供たちとも激しく揉める波乱万丈の生涯

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かくして兼家が関白となり政治を掌握すると、関白を辞した頼忠は名ばかりの太政大臣となります。

そして永延3年(989年)、失意のうちに生涯を終えました。享年66。

藤原頼忠の子である藤原公任は、当代随一の才知溢れる貴公子として知られていました。

しかし、父の代で外戚関係の構築に失敗してしまった結果、兼家の子である道長に政治争いではかなわず、結局、芸を極めるような生涯を過ごします。

道長の姉であり、一条天皇の母となった詮子の女房から、公任は、こうからかわれました。

「あら、姉君の素腹の后はどちらにおいでです?」

外戚政治で明暗が別れた、藤原北家貴公子の二人。

政治権力が続かなかった藤原頼忠は、その生涯にふさわしい名声を得たとはいえぬ人物とされています。


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文:小檜山青
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【参考文献】
橋本義彦『平安貴族』(→amazon
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(→amazon

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