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【弘法大師空海】
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生きながら仏となり、今も修行を続けている
そして帰国から28年後、働きづめだった空海は、高野山奥の院で仏の世界に旅立ちました。
同時代の記録では「荼毘にされた」と書かれているのですが、何故か100年ほどしてから「空海は生きながら仏となり、現在も修行を続けている」といった意味合いの記述が表れ始めます。
現在の高野山でも後者の説をとっていて、一日に二度食事が運ばれ、毎年3月21日には衣服を交換するのだとか。
ということは当然お世話役の人がいるわけですが、彼らはこのことに関して絶対に口外しないため、事実かどうかを確かめる術もなく、一般的には謎のままになっています。
おそらくこの先も世間に明らかにされることはないでしょうね。
そんなわけで帰国後のバリバリ仕事をしていた時期以外、空海についてはわからないことのほうが多いのですが、その働きぶりからか「空海が発祥です」といわれているものが全国にわんさかあります。
一番多いのは「この湧き水や温泉の開祖は空海だ」という話ですが、空海が活動していたのはほとんど西日本なので、東日本でのそういった話については……^^;
「生き仏になった後、全国行脚に出ている」という説もありますが、「空海より後の時代の高野聖たちが湧き水や温泉を見つけた際、空海の名を借りた」という、ちょっと現実的な話もあります。
もしくは「高野山のお坊さんが見つけてくれた」→「高野山といえば空海」→「空海が見つけました」なんて伝言ゲームみたいになっていたのかもしれません。
金剛峯寺の元となった道場は実に1200周年超え
他にも「讃岐うどんの元は空海が持ち帰ってきた唐菓子である」とか、「いろは歌は空海が書いたものだ」とか、空海がやった・作ったとされるものは枚挙に暇がありません。
いろは歌は空海の時代の文法ではなかったり、原型とされる唐菓子にはあんこが入っていたりと、いろいろツッコミどころもあるのですけどね。
上記の通り何でもできたというかやってのけたお方ですから、各方面に大きな影響を及ぼしたということが拡大解釈されてこうなったのでしょう。
ホントに記録以上のことをやってたら、いくら高僧といえど体が持たないでしょうし。
それとも仏様のご加護があれば疲労も何とかなるんでしょうか。何そのロボコップ、こわ……待ってやめて仏罰当てないでください。
ちなみに、2015年は空海が金剛峰寺の元になった道場を開いてから1200年目にあたり、ご本尊など貴重なものの御開帳がされました。
スクロールしていくとお経が流れる(!)ので、音量設定を小さめにしてから開いたほうがいいかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
高野山金剛峯寺/公式サイト
国史大辞典
空海/Wikipedia