北条義時の八重を思う気持ちを汲み取り、二人の縁結び役を務めようとする頼朝。
しかし、政子はそれをキッパリと否定します。
単純な嫉妬とかそういう心情的な話だけではなく、政治的な絡みもあります。
滅びた伊東と縁組をするメリットはない!
と、表向きはそうですよね。もちろん嫉妬の気持ちもあるでしょうが。
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ずっと八重を好きだった
政子の隣には全身真っ赤になった実衣がいます。
すっかり恋心がエスカレートしてきました。彼女は、全身真っ赤なコーディネートをしても平気なんですね。
むしろ、自分の持ち物すべてを赤く染め上げたいタイプ。小物や家具が赤くても驚きません。
頼朝は、八重が見知らぬ男に嫁ぐより、小四郎(義時)の方が安心だと言います。
そんな気持ちも理解できなくはないし、汚い下心もあるかもしれない。義時みたいに無粋な男なら、自分との恋が上書きされないという計算もあったりして。
政子にもメリットはあります。邪魔な女には信頼できる“門番”をつけたほうが安心できます。
と、そこで実衣が、兄はずっと八重を好きだったという観察結果を報告します。
頼朝も、小四郎を頼りにしていると断言。
そのころ八重は亀から体調を聞かれていました。
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ナレーションによる解説が入ります。
義時と八重は、甥と叔母の関係にあたる。ただし、関係性は少し複雑で、義時の母と八重の母は異母姉妹となる。
中世はそうした縁者同士の結婚がさほど珍しくなかったという解説ですね。
ハードルをクリアしているようで、大事なことを忘れてはいませんか?
そう、八重の気持ちです。
義時は少し自信をみせ、彼女が自分のことを頼りにしてくれているから大丈夫だとニッコリ。
果たして、家族が見守る中、八重がやってきます。
答えはいかに?
「お断りいたします」
劇的なBGMが流れ、崩れた表情がアップになる失恋主人公・義時。
フられました。
やはり草餅ときのこを贈るような気の利かなさが悪かったのか。
最初から失恋する主人公、がんばれ!
「振られてからが勝負だ!」
挙兵の歳の暮れ、頼朝は力を蓄えています。
打倒平家の旗のもと、鎌倉には日々人が集まってくる。真に頼れるのは誰か? それが今回のテーマのようです。
「うわーん!」
頼れるのはやはり主役の義時でしょう……と思いきや彼は泣いています。
失恋のあとは友人の慰めが定番ですが、さぁ盟友の義村はどうか?
「八重さんにふられたらしいな」
うーむ。なんだか面白がりながら、義時や、隣にいる安達盛長に向かって話していますね。つくづく友達にしたくない奴だわー。
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盛長はうろたえています。
義時よ、失恋情報が職場に広まっているって、気の毒すぎるな。
義村が八重は我が家に住んでいると何やら勝ち誇っていて、義時が振られたはずだと指摘しても、「男女の仲は振られてからが勝負だ」などと迷惑なことを言い出します。
いや、その考え方、場合によってはタチが悪いですよ。
しかし、義村はさておき、義時が誠実なのは間違いありません。
彼は、八重と政子のことで、頼朝は馬のように相手を乗り換えていると不満を漏らしていました。兄・北条宗時のセリフに、平家の連中は馬や女を奪うとありましたように、そういう時代です。
女は財産として奪われてしまう。
そんな風に女性が馬と同列に扱われることを義時は許せない。優しい男なんですね。それに夫が二人いた八重でも気にせず愛しています。
義村は、無駄に格好をつけて義時にマウンティングしています。
思わず顔芸をしてしまう義時をからかいながら、義村はこうきた。俺は友の女に手を出さないつもりだが、これからはちがう。好きにさせてもらう――。
「振られてからが勝負だ!」
負けじと言い返す義時ですが、義村はこうだ。
「お前の場合、勝負はついている」
恋愛観の中身が低レベルすぎて、京都からすれば大笑いでしょう。
『源氏物語』あたりでも、武士にせよ京都以外の人間は「ダサくてキモい人たちやわぁw」とコケにされていました。髭黒とか。
しかし、坂東にも京都よりよいところはあります。
『源氏物語』にせよ、その作者の紫式部にせよ、ガードが弱いとなると無理やり女性の寝所に忍び込む不埒な男がつきものでした。
本作の義時と義村はそうではありません。そこはきっちりとアップデートした良心的なドラマなんですね。
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景時を呼び出し
失恋を吹っ切るためか。義時は仕事をするべく頼朝のもとへ向かいます。
そして正直に、政(まつりごと)が大掛かりになって手に負えないと報告する。
政権運営のために人員が欲しい。そう願い出ると、頼朝は(京都の)三善康信に用意させると約束します。
義時は有能です。
古今東西、どんなときでも、こういう人物が組織には必須。
自分でできると言い切らず、限界を迎える前にこういう提案をする。
義時は策となれば義村にも求めるし、自分のできる範囲を把握している。そこが賢いのです。
彼は、さらなる平家との戦に備え、和田義盛だけでは頼りないと言い出します。
頼朝が、気になる者がいると言います。
いや、その前に指摘しておきたい。頼朝よ、なぜ隣に亀を侍らせているんだ? これだから京都から来た男は……。
かくして頼朝の命を受けた義時は、梶原景時の館へ向かいます。
即答するかと思いきや、自分の欠点を申告する景時。人の間違いをいちいち指摘して、かえって足並みを乱すことになったら申し訳ないと義時に伝えます。
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景時は“目”を持っている。
一度、何かがひっかかたらそこを観察して、隠されたしんそうを見つけてしまう“目”。シャーロック・ホームズが虫眼鏡で観察する様を想像してみると良さそうです。
そんな景時に対して義時は、頼朝が大庭方での働きを知り会いたがっていると返答します。
景時は、己の才能を認められて嬉しそうですね。
私も安心する。彼がいれば、指揮系統が無茶苦茶なことにはならない気がする。
清廉潔白な義時だからこそ
治承4年(1180年)12月12日――鎌倉に御所が完成しました。
御台所となり寝所に案内されてゆく政子。
そこに父の北条時政とりく(牧の方)もやってきますが、彼女は不満そうです。
義時は挙兵以来の武功をまとめていました。
信賞必罰、これは大事です。
隣の安達盛長も思わず泣いてしまう。彼の名前があるうえに「軍功特に大なり」と書かれていて感動しているのです。この時代はみんな涙もろいから。
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けれども頼朝がキッパリと「早く呼んで参れ」と仕事を促します。
そして盛長が去った後、ああいうところがあるとちょっと呆れたように言います。
そして頼朝は、また義時に無茶振り。平家から奪った所領を与えるから、義時がやれってよ!
でも、こういう仕事を任される時点で、義時が素晴らしい人間だということがわかります。
最も大切な恩賞の話ですからね。腹の底が欲深い人間に任せてしまうと、贈収賄したい放題になる。清廉潔白な人物でないと務まりません。
義時が戸惑っていると、頼朝はこう言います。
「わしが誰よりも頼りにしているのはお前だ」
わかりますよ。八重にきのこをあげちゃうくらい迂闊だし、彼女に惚れていても無理矢理ものにするようなこともない。金銭欲や物欲も薄い。
実力以上に清廉潔白さ、道徳心が重要です。
頼朝はそんな義時に、舅殿(時政)が欲しがっている江間を与えると言い出します。この程度の特典はありでしょう。
「ありがたくお受けいたします!」
義時が嬉しそうにするのは、八重たちのこともあるのでしょう。
自領にして、そこに伊東の人々を住まわせたら、きっと今より幸せになれるはず。あの鬱陶しい三浦義村とも引き離せますもんね。
侍所別当・和田義盛!
そこへ和田義盛がズカズカと入ってきます。
頼朝が侍所別当に任じました。
石橋山の戦いに敗れた頼朝一行が房総へ逃げた時、義盛がそんなアピールをしていましたね。
彼は、その場の勢いで、本気ではなかったと狼狽えています。こいつも無欲ですなぁ。
「いいから受けなさい」
「何をするんですか?」
何も知らないで言っていた義盛。
侍所別当とは、家人を取りまとめ役で、頼朝の命令を皆に伝える――いざ戦となれば軍勢を集めると説明されます。
「和田小太郎義盛! 佐殿のために命にかえて、いのちにかえて、い・き……」
「もうよい、だいたいわかった」
こうして素朴に、人事がまとまりました。
うまいと思います。兵糧管理を義盛にやらせてはいけない。
畠山重忠、三浦義澄あたりはオールラウンダーだけど、義盛はこういうノリと勢いだけでできる役目しか務まらない。
要は適材適所ですね。
華やかな役目でもあり、ムードメーカーの義盛にはピッタリだ!
彼も、これ以上の欲は持たずに、がんばって欲しいところではありますね。
御所に入ったこの日――。
頼朝は家人一同を集め、所領を与えて主従の契りを交わしました。
まさに関東に独自の政権が芽生えた瞬間ですが、ここにややこしい問題が出てきますね。
鎌倉幕府っていつできたの?
かつては「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」でした。
その後に「いいはこ(1185)つくろう鎌倉幕府」が新たに挙げられ、他にも複数の候補が研究者たちの間で提唱されています。
そもそも「鎌倉幕府」なんて言葉もありません。
幕府ができるのが初めてだから、室町や江戸を比べる必要はなく、ただの「幕府」。当時は「関東」と呼ばれておりました。
ともあれ、時代が大きく動きます。
頼朝は今までの戦いぶりを褒め称え、これから平家をうち、いずれ新しい世を作ると言います。
上総広常がここで御家人を代表し、一丸となって支えることを誓う。
鎌倉殿と御家人の誕生です。
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日本初の幕府は、かなり原始的な制度の上に成り立っていました。
土地と権利をセットにして力を持たせるのは危ない――それを日本が見本としていた中国は学んでいました。
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時間を飛ばして江戸幕府の末期となると、幕臣や藩士たちは己の忠誠心を元に戦います。
そんな人間としての美学が根付くには、まだ時間が必要です。
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