栄西

栄西/wikipediaより引用

寺社・宗教

日本に茶や禅を伝えた栄西~宗派を超えてリスペクトされたのはなぜか

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インドへの渡航は叶わず、宋で臨済宗を学ぶ

こうして禅を一通り学んだ栄西は、一度帰国して再び宋に渡り、仏教発祥の地・インドへも渡りたいと願い出ます。

しかし許可が出ず、引き続き宋の寺院で学びました。

一口に「禅宗」といっても、当時の中国では5つの派があったのですが、栄西はその中でも臨済宗を選んで深く学びます。

新しい宗派を作ったのではなく、元からあった宗派を学んで日本へ伝えたので「開祖」ではないんですね。

それがエラい・エラくないということにはなりませんし、栄西自身にもそういう観点はなかったことでしょう。

4年の後、教義を広めるレベルになったことを認められて日本へ再度帰国した栄西は、いよいよ布教に乗り出します。

ちなみに栄西は喫茶の習慣を広めたことでも有名ですが、お茶の木の種を持ち帰ったのは、二回目の帰国のときでした。

お茶は公家だけでなく武士や庶民まで広まっていきましたが、禅宗はそうもいきません。

いつの時代も、新しい物事をやろうとすると邪魔が入るものです。禅を広めようとした栄西を、古巣の天台宗がよく思いませんでした。

そのため栄西は比叡山には戻らず、九州でお寺を作って禅を広めることにします。

しかし他宗派との融和も諦めず、57歳のとき『興禅護国論』という本を書いて、

「禅は今までの仏教を否定するものではない」

「禅は仏教の根本に立ち返るために必要なもの」

と説いています。

また、真言宗についても学び、他宗派に理解を持っていることを、身をもって示しました。

この辺から栄西の温厚さというか、平和主義的な点がうかがえますね。

新しい宗教や宗派が出てくる場合、既存のものを全否定するところから始まることも多いですから。

 

建仁寺は天台宗や真言宗も学べる場所だった

しかし、京都では思うように理解が得られず、鎌倉に下って幕府の庇護を受けながら、禅を広めようと考えました。

幸い、北条政子や二代将軍・源頼家に庇護を受け、いくつかの寺を建てることができています。

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このためか、日本での臨済宗は鎌倉幕府・室町幕府との繋がりが強いことが特徴です。

特に頼家のおかげで建てることができた京都の建仁寺は、禅とともに天台宗・真言宗を学べる場所として大きな役割を果たすことになります。

建仁寺はその後の火事で一時衰退したのですが、再建された後は禅宗単独のお寺になっているのです。

建仁寺

おそらくはここで学んだ僧侶たちが、栄西の考えも広め、周辺に受け入れられたからこそ、そうなったのでしょう。

でなければ、「火事になったのは禅などというわけのわからんものを始めたせいで罰が当たったんだ! 廃止!!」ということにもなりかねませんし。

 

華厳宗である東大寺の勧進職に就任

そうした地道な努力を続けた結果、建永元年(1206年)に東大寺の勧進職に就くことができました。

勧進職とは、お寺を維持するための寄付=勧進を集めるための庶務などを行う仕事です。

東大寺は華厳宗のお寺なので、そこで栄西が役職に就けたということは、この頃までに禅宗や栄西に対する偏見・敵意がだいぶ和らいでいた……ということでしょうか。

後に曹洞宗の開祖となる道元が、栄西を非常に尊敬していた節もあります。

道元のお師匠様が栄西の弟子である明全(みょうぜん)だったためだと思われるのですが、実際に会ったことはないでしょう。

道元が明全に弟子入りした頃、栄西は既にこの世の人ではありませんし。

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明全が栄西に心酔していたのがうつったか、道元がよほど感銘を受けたのか……両方だったりして。

栄西は「他宗派の僧侶と論争を繰り広げた」とか、「対立した」という話がほとんどありません。

やはり、相当人間性に優れた人だったのでしょう。

そもそも仏教は「人生には苦しいことがたくさんある。ならどうやったら苦しみが減るか考えようぜ!」というのが始まりですので、他者との対立=苦しみに繋がるようなことをするのはおかしいんですよね。

禅の教えを我々のような凡人が理解することは難しいところですが、栄西の努力家で優しい面は目標になるかもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
栄西/wikipedia

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