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【相撲の女人禁制】
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土俵際に医師を常駐させればいいじゃないの
箇条書きにして、歴史的な問題点をまとめてみましょう。
とまぁ、歴史的に見ても、根拠はありません。
そもそも伝統と神事と仏教の話がごちゃ混ぜになってるし……。
こうしたことを踏まえて、騒動の問題点を整理してみましょう。
・どうしようもない理由で女性を排除するのは差別である
・観客の誤った認識を優先し、人命を危険にさらした
・救命措置をした人に対して、あるまじき無礼
・そこまで女人禁制をするのであれば、男性医師を待機させておくべき
女人禁制を徹底させたいなら、土俵際に医師を常駐させておけばいいじゃないですか。
女性市長の土俵上あいさつ拒否
兵庫県宝塚市の中川智子市長が、土俵上での挨拶を日本相撲協会から断られておりました。
◆相撲協会:女性市長の土俵上あいさつ拒否 大相撲宝塚巡業(→link)
なんでも「伝統への配慮」を理由に土俵への立ち入りを禁止されたようで。
この対応から
「塩を撒いたのは、悪運を祓うためである」
という説明がかなり苦しくなったのではないでしょうか。
穢れなければ塩をまく必要はなく、逆に塩を撒かなければならない状況があったとすれば、アナウンスで注意されたように女性が入ったからでしょう。
まぁ、誰が見てもそう思う場面ですわな。
「女人禁制」は江戸時代「勧進相撲」からの伝統?
勧進相撲とは、寺社・仏像の建立・修繕などのために寄付を募るための相撲興行です。
しかし、現在の相撲興行は、勧進とまるで無関係であり、スポーツとして行われています。
勧進とは関係がないならば、なぜ「女人禁制」の場所で人々が暮らせるのでしょう。
過去、相撲は観客のニーズやテレビ中継にあわせて、伝統を変えてきました。
それなのに「女人禁制」だけを「勧進相撲の伝統」という理由で残す理由がサッパリわかりません。
本当に伝統を変えていけないのであれば、相撲は現在でも神社境内等で行われているはずでは?
相撲は豊作を祈る神事。土俵に女性をあげると豊穣の女神が嫉妬し、凶作となってしまう、と?
2023年現在も、その理屈を信じなければならない理屈はないでしょう。
それはさておき、相撲型、レスリング型の競技は世界各地にあります。
力比べを行ううちに自然派生してゆくスポーツの一種とみなすのが自然です。
記録に残る最古の相撲取り組みは、垂神天皇のこんな思いつきがきっかけとされています。
「野見宿禰と当麻蹴速って、どっちが強いか試してみない?」
全然神事じゃないんですよね。
要するに、神事というのは後付。
伝統とは、非合理性や差別を正当化するためのものではないはずです。
現在の相撲は、スポーツと神事を都合よく使い分けているように思えてなりません。
近代のスポーツは、差別と戦う一面があったはずです。
自分たちの都合でその理念をねじまげて、それでいながらスポーツであると見なされたいと願うのは、あまりに身勝手ではないでしょうか。
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