危なっかしくて目が離せない主人公(神木隆之介さん)だけでなく、骨太な歴史描写が秀逸であり、最近話題になったのが「姉の綾が酒蔵を継ごう!」と宣言したときのこと。
彼女が決意を表明すると、周囲から
「女は穢れているからダメだ!酒が腐ったらどうする!」
と非難されたのです。
いかにも非科学的であり、現代人の皆様なら「そんなバカな」と一笑に付すでしょう。
しかし、これを過去のものと笑い飛ばせるでしょうか。
2018年4月、大相撲の春巡業中に、人命と伝統をめぐって嘆かわしい騒動がありました。
土俵の上で挨拶をしていた多々見良三・舞鶴市長が、その途中に突然卒倒。
複数名の女性が救助に向かったところ「女性は土俵に上がらないでください」とアナウンスが流されたのです。
おいおい、命と伝統どっちが大事なんだよ……そんな風に呆れつつ、同時にこんなことを考えた方もいるかもしれません。
『一体いつから土俵は女人禁制になったのか? なぜダメなのか?』
相撲の歴史は約1500年。
最初の記録は『日本書紀』であり、いわゆる「神事」とされるのも頷けるものではあります。
しかし、種々の疑問を確認してみると、
【女人禁制】
というのが必ずしも合理的でもなく、むしろ長い相撲の歴史の中では
「割と最近できた決まりではないか」
ということが見えてきます。
本稿で、相撲の歴史と女人禁制を振り返ってみましょう。
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明治維新で潰れそうになり
長い歴史だけでなく、協会の体質が旧態依然のせいか。
相撲はとにかく「伝統を厳守」してきた競技、あるいは神事と思われがちです。
しかし、そんなコトはありません。
実は、時代に応じた柔軟な変革こそ、相撲の本質であり、これまでも技に制限がかけられたり、経営業態も変化するなど、多くの変遷を伴って継続してきたのです。
特に明治以降は、生き残りをはかるために様々な変革を求められてきました。
なんせ150年前の明治維新で、一度、潰れそうになっているのです(以下は相撲の歴史をまとめた記事です)。
相撲の歴史は意外の連続~1500年前に始まり明治維新で滅びかける
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さて、ここからが問題。
実は女性が土俵にあがることを禁じたのは、この明治以降の流れにあります。
女性が裸体で相撲を取ることは風俗上好ましくない。
相撲の品格向上のために禁止し、そこに「穢れ」という理由をもっともらしく結びつけた――そう考えるのが最も自然です。
意外かもしれませんが、女相撲は古代から存在しています。
雄略天皇が「女官に相撲をとらせた」という記録も残っているほどで、女相撲は興行として続けられ、現在もスポーツとして続けている選手も存在します。
相撲が、歴史や伝統を重んじるとなれば、女性の土俵入りを否定するのはおかしい。
要は矛盾しているのですね。
デタラメな血の穢れ信仰
すると今度は「穢れ」をご指摘されるかもしれません。
救出に向かった女性たちが土俵を下りた後、そこには塩が撒かれたとのことです。
いったい何を考えているのでしょうか。
もしかしたら、女性の穢れを払うため――という理屈かもしれませんが、では、その考え方は正しいのか。
女性の穢れという発想は「血盆経信仰」が由来で、その中身はひどく理不尽なものです。
女性は出産時の出血や月経血で地神を穢し、その穢れを帯びた水で諸聖に茶を煎じ、料理を作り、不浄を重ねてしまう。
すべての女は「血の池」地獄に堕ちるという理屈でして……ハァ? ナンダソリャ? ってなもんですよね。
男だってケガすりゃ流血するでしょうよ。同じ血じゃないんかい。
この『血盆経』とは、10世紀頃中国で作られた「偽教典」です。
本来の仏典には関係ない、世俗化の過程で広まったデタラメ思想にもかかわらず、仏教の広がりとともに、日本中に広まってしまったのです。
要は、単なる差別的なウソなんですね。
ただし、女性の月経を不浄のものとみなす思想は、全世界どこの地域でもあるもので、「穢れ」の発想は、出産、死、月経以外の出血、動物に関してもありました。
現在も、喪服で飲食店に入ったら塩を撒かれた、といった話が時折ありますよね。
しかし、21世紀にまで公然と「穢れ」の概念を持ちだし、女性にだけ適用しているのは、せいぜい相撲界くらいではないでしょうか。
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