こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【『べらぼう』感想あらすじレビュー第35回間違凧文武二道】
をクリックお願いします。
雷雨の夜に、妖が現れる
「とうとうくたばったか」
田沼意次を二度刺殺しようと思っていた松平定信がほくそ笑んでいます。
すると本多忠籌が意次の葬列に野次馬が多くやってくる件について、奉行所から問い合わせがあったことを伝えるのですが……。
「投石を許せ。この葬列については石を投げた者を取り締まらぬこととせよ」
「それはあまりに」
当惑する本多忠籌に対し、定信はこう続けます。
「これ以後、民は恨みつらみをぶつける的をなくすのだ。思う存分、投げさせてやれ」
本多忠籌は困惑するしかなく、松平信明は雷鳴を聴きながらこう言います。
「負け犬の遠吠えですかの」
そんな雷雨のなか、鳥山石燕が障子を開け、庭を見ています。
「何者じゃ? 何者じゃ? そなたは」
そう彼が言うと、雷光に照らされた何者かの姿が見えます。平賀源内と似た衣装を着たものが庭にいるようです。
「いごくな……いごくなよ」
石燕はそういうと、筆を手に執るのでした。

竹原春泉画『絵本百物語』に描かれた雷獣/wikipediaより引用
将軍のつとめを果たした家斉だが…
松平定信が知らせを受け取り愕然としています。
なんでも大奥が隠していたことのようで、定信は早速、徳川家斉のもとへ確認に向かいます。
聞けば大奥の女中との間に子を儲けたとのこと。一通り祝いの言葉を述べつつ、毒気を含ませる定信ですが……。
「大事な務めを成しえて安堵しておる」
そうケロリと言い放つ家斉。

徳川家斉/wikipediaより引用
「しかしながら上様には、仁政をなすため、学を修めるつとめもまた、ございます。聞くところのよりますと、大奥に入り浸り、栗山博士のご講義もご不調にてお休みがちとのことで」
「それぞれ秀でたことをすればよいと思うのじゃ。余は子作りに秀でておるし、そなたは学問や政に秀でておる。それぞれつとめれば、それでよいではないか」
そう言われ、定信は屈辱的な表情を浮かべるしかない。
こういう問答を待っておりましたぞ! 定信の態度は『青天を衝け』の際に流布していた「儒教に性的規範がない」を打ち消すものであります。
あの話は、性的に逸脱しながら『論語』を推す夫の渋沢栄一を皮肉った兼子のぼやきに由来します。
「あの人も『論語』とはうまいものを見つけなすったよ。あれが聖書だったら、てんで教えが守れるわけないからね」
これはただの夫へのぼやきであり、学問としての意味はありません。儒教と聖書の比較にせよ、一夫多妻を認めぬうえにかなり厳格なプロテスタントを想定したもので注意が必要です。
儒教はもとは中国由来の学問であり、それをこうも誤解されるのはあまりに不愉快な話。
それこそ松平定信や栗山博士が聞けば憮然とすることでしょう。
性的な逸脱の挙句、政務を投げ出すことは儒教社会でも倫理違反とされます。
江戸時代の幕臣にせよ、性的スキャンダルがあればそれこそ読売やら何やらで悪評が広まりかねないので、そこは気遣うものでした。
田沼意次も美男かつ姻戚関係を活用したゆえに色々噂され、悩まされたものです。
要するに、ああいう淫らな気風を改めようと努力しているのに、上様には全く伝っていないと定信が憤っているわけです。
それにしても、家斉は一体なんなのか……。
大河では初登場の家斉ですが、往年の成人向け時代劇ではしょっちゅう顔を出しています。
徳川エロ将軍だという理解でよいか?と言うと、それだけでは片付けられぬ複雑な状況があるようで……その根本が、次の場面に出てきます。
定信を煽りに煽る治済
傀儡を操っていた治済は、自身が舞う段階へ進みました。
そして治済の人生を賭けた復讐が、定信へ放たれます。
「突き詰めれば、政(まつりごと)など誰でもできる。それこそ足軽上がりでもできたわけであるからのう。しかし、後継(あとつぎ)を儲けることは上様にしかできぬ。ご立派であると思うがのぅ」
「政治をなす志がある」と治済に語っていた田沼意次が死に、治済は我が子を種馬にしてしまいました。
家斉の場合、ただの好色ということでなく、父の性教育が歪んでいたことの発露です。
治済は己が子沢山ゆえに勝利できたと信じている。我が子も種馬になって、血をばら撒いて欲しいわけです。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
家斉ほどとなると、閨のことは命と引き換えになってきます。
東洋医学では過度の房事は命を削ってなすものとされてきました。輸入で手に入れた精力剤で補いながら大奥に入り浸るというのは、もはや虐待といえるのではないかと思えてくるほどです。
そんな怪物に定信は反論します。
「しかしながら上様は、御台所となられる婚儀もまだ。先に側室に子ができるなど、島津様はそれでよろしいのでございますか?」
そう話をふられた重豪が、目にも鮮やかな能装束を背景に、語ります。
「まァ、当家の出の御台様との間にも早々にお子をもうけてほしいが……此度はそのための稽古であったと上様も仰せであった。さすが上様、御稽古熱心なことで」
堪らず定信は話題を変えます。
「先ほどから気になっておるのですが、見事なご装束にございますな」
「案ずるな、一文も使っておらぬ。全て島津が計らってくれた」
「賂(まいない)も固く禁じましたこと、ご存じにございましょう。一橋様がかようなことをなされては示しがつきませぬ!」
定信はますます苛立った口調でそう言います。
なぜこうも苛立っているのか?
田沼時代は贈収賄が平然と横行していたこともひとつ。
それのみならず、重豪の唄に「もろこし(唐土)の」と出てきたこと。そして装束にもご注目ください。
輸入品です。絹の生地か。あるいは絹糸を輸入して織ったか。
いずれにせよ、長崎出島か、琉球を経た清由来の最高級品と思われます。
以前、平賀源内が嗅がされた毒物は島津を経由して清から輸入したアヘンだという推理がネットで流布しておりました。
アヘン戦争はまだ先のことですし、そもそもアヘンは国産もあります。源内の症状からして私は大麻だと思います。
-
『べらぼう』平賀源内を廃人にした薬物はアヘンか大麻か?黒幕・一橋治済と共に考察
続きを見る
ただし、今回はこうも証拠があり、輸入されてきた清の絹だと推察できまして、それはもう高価なものでした。
定信の政治的な課題として、輸入を減らすこともあります。
なんせ「長崎は日本の病の一つである」と語るほどで、出島周辺で輸入品を求めて右往左往する者たちを苦々しい目で見ていました。
賄賂であり、高価であり、かつ輸入品であるというのは、定信の怒りを煽る三要素をまとめたようなもの。
許せるわけがないのです。

長崎出島の様子/wikipediaより引用
「困ったのぅ。ではこれでひとつ、よしなに」
治済はそう言うと、定信に能面を差し出してきました。
「それがしを馬鹿にしておられるのか?」
「いやいや。わしはそなたから十万石ももろうたゆえ、せめて少しでも返そうと思うたのじゃが」
もはや定信の怒りはおさまりようがありません。
贈収賄をやる田沼意次のような扱いをされたこと。
さらに田安十万石と引き換えに老中首座に推されたこと。
そう当て擦りを立て続けにされ、もはや黙り込むしかないほどの怒りに包まれています。
治済は心理的な攻撃の達人です。最大の妖怪はやはりこの男でした。
トンチキ跋扈が社会問題となる
一方、巷では春町たちの危惧した通りになりました。
遊里での破廉恥なお馬さんごっこ。
商家の軒先で弓の稽古をし始める横暴武士。
トンチキ暴走が社会問題となってしまったのです。上から下まで士風の廃退が凄まじいことになり、定信も嘆くばかりです。
相談された栗山が「心得を書にまとめてはどうか?」と提案すると、定信が身を乗り出します。
旗本御家人はまず文を重視し、心得を叩き込むべき。
栗山がそう言うと、定信が「皆が『論語』を読み出している」と答える。
思わず栗山が嘆きます。
格好だけで初歩の漢文すらろくに読めぬ者がいると聞いているのだとか。そのうえで湯島聖堂での講釈をしたいと言い出します。
「然様なことまでやっていただけるのでございますか?」
聞き返す定信。
「お安い御用にございます。ああ、越中守様の文書も使いましょうか」
「『鸚鵡言(おうむのことば)』のことにございますか?」
目を輝かせる定信です。

松平定信/wikipediaより引用
この場面は非常に興味深いものでした。
実は、前述した通り、栗山博士の身分は高いとはいえない。それなのに、定信はそんな栗山博士に実に丁寧に接しています。師であればこそ敬っているのです。
定信は頭が硬く、血筋を鼻にかけるようで、尊敬できる相手には素直で善良なんですね。
ただし、あくまで、尊敬できる相手に限られるのではありまして……。
※続きは【次のページへ】をclick!