紫式部と藤原道長(紫式部日記絵巻/wikipediaより引用)

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』まひろはなぜ北の方に固執した?情欲を掻き立てられた道長の煩悩は一生続く?

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一生続く道長の煩悩
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下淫:身分の低い女に惹かれる

道長のようなエリートが、身分の低い女に恋することを【下淫】とも呼びます。

反対が【上淫】であり、例えば豊臣一族は【上淫】の典型例とされます。

豊臣秀吉豊臣秀次がものにした女性は、多くが大名家や貴族の姫たちでした。

高貴な女に欲情する――という単純なフェチズムというより、身近に確たる血縁の関係者がいないため、力や名声のある女系の血を取り込もうとしたのでは?と考えられます。

【下淫】については、徳川家康と、家康をロールモデルとした徳川吉宗があげられます。

彼らは身分の低い女でも、好みであればすぐに抱いてしまう。時代劇での描き方ならば、田植えをしている娘の尻に目を止めるパターンですね。

道長がまひろの脛を見て興奮する様は、まさしくそれ。お殿様が村娘を見てムラムラするような、典型的な【下淫】といえます。

前述の通り、まひろの身分は地に堕ちた。

まっとうな女が脚を晒すはずがない。

道長があの白い脛を見て考えることは、単なる欲望ではなく、この女は身分が低いからどうにでもなるという身分意識があるとも言える。

道長は、父がまひろを「虫ケラ」と呼ぼうと反論していなかった。

むしろ「虫ケラ」だからこそ、すぐに抱けるという打算があってもおかしくありません。

当時の言葉に【召人】(めしうど)というものがあります。

貴人のそばにいて、肉体関係を持つ女房のことであり、道長にせよ、光源氏にせよ、彼らが身分の低い相手を抱いてもノーカウント扱いとされました。

むしろ道長から【妾(しょう)】を提案したのは、最大限の誠意とも言えるかもしれません。

同時に、今後、道長から出仕依頼があるとすれば、まひろは「体目当てか……」と、ドス黒い疑念が湧いてもおかしくなくなりました。

 


私を北の方にすれば 世を変えられるかも

明らかに身分差があるのに、自分を【北の方】にするよう提案したまひろは、単なる勘違い女なのか?

確かに変人かもしれませんが、ある意味、筋が通っているとも言える。

道長がまひろを【北の方】にできないのは、彼女が【劣り腹】と見なされてしまうリスクがあるため。

当時は父と母の血筋や家が問われる【双系制】ですので、両親ともに高貴でなければ、子どもの出世は望めません。

そんなルールには逆らえないからこそ、道長はまひろを【妾】にしようとした。

けれども……もしも【外戚政治】だけではない、純粋な実力主義に変えていくだけの大志があれば……まひろは道長にそう期待したのかもしれません。

権力者があえて身分の低い女性を妻にすることで、女系の影響を防ぐ例もあります。

例えば『三国志』でおなじみの曹操は、歌妓である卞氏を正夫人としました。

彼女の実家は身分が高くなく、彼女自身も謙虚で、親族も無欲。子供が生まれて跡取りになっても、母系の親戚がやかましく政治に口出しする心配がなかった。

徳川家康も、政略結婚だった正室以外は、女性を身分で選んでおりません。

家康の嫡男である徳川秀忠は、織田信長の姪にあたる江を正室としたものの、女系の影響は薄くなっている。

『光る君へ』の劇中で、まひろがそこまで滔々と説明したわけでもありません。

道長が理解できるとも思えない。

ただ漠然と、まひろからすればありとあらゆる思いを裏切られたという苦さは残るでしょう。

以前、まひろは打毱の後、ロッカールームで談笑する貴公子たちの会話を立ち聞きし、ショックを受ける場面がありました。

女を身分で選び、生まれた娘を入内させる。

そう語り合っていた藤原公任藤原斉信に賛同していなかった藤原道長だったのに、結局は同じ結論に達したのです。

しかもご存知の通り、まひろをここまで堕としたのは、他ならぬ道長の父・兼家です。

父の陰謀で窮地に陥った女の弱みにつけ込むようにして、もてあました性欲をスッキリさせようとする――こうした視点でまとめると、藤原道長がサイテーすぎて怒りがフツフツと湧いてくるでしょう。

猜疑心をめぐらせてみれば「私をホイホイ抱けるから、あのクーデターに参加したの?」となるかもしれません。

全く救いがない展開です。

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