紫式部と藤原道長(紫式部日記絵巻/wikipediaより引用)

光る君へ感想あらすじ 光る君へ

『光る君へ』まひろはなぜ北の方に固執した?情欲を掻き立てられた道長の煩悩は一生続く?

大河ドラマ『光る君へ』の第10~11回放送は、衝撃的な展開となりました。

まひろと道長が情熱的に結ばれたかと思ったら、次の放送回では「北の方」と「妾」を巡って決裂してしまう。

あれだけ愛し合っていたのに何事か?

なぜまひろは、ああも「北の方」にこだわったのか?

純朴だった三郎少年は今や昔、まひろとの逢瀬を経て、情欲に掻き立てられた青年道長となり、今後、いくら権力を有しても二度と彼女を抱くことはできないかもしれない、永遠の存在になってしまった。

なんだか常にモヤモヤする、ややこしい二人――。

史実とドラマを振り返りながら、二人の関係性を考察してみましょう。

 


この間に何があった?

二人が結ばれ決裂する間、政治的にはどんな展開があったのか。

寛和の変】という突然の政変により、まひろの父である藤原為時が失脚。

今後の任官は絶望的という見通し提示されました。

要は、まひろが経済的な窮地に立たされたのです。

一方、道長の父である藤原兼家は、摂政という頂に上り詰めました。

孫の一条天皇が即位した今、怖いものは何も無くなり、その三男である道長が周囲の若手貴族と比べて頭一つリードしたことも、ライバル藤原公任の焦燥感からみてとれます。

まひろはどん底に落とされ、道長は急上昇――ただでさえ身分差があった二人は、もはや天と地まで開いてしまったのです。

家の窮地をなんとかしようとして、まひろはツテを辿り、最終的には藤原兼家の屋敷で面会を果たします。

ここで重要なのは、まひろの行動力だけでなく、道長の反応でしょう。

父の兼家がまひろのことを「虫ケラ」と呼んだ時、道長は反論しませんでした。

以前、兄の藤原道兼がまひろの母を「虫ケラ」と呼んだ時は、咄嗟に殴りかかったのに今回は完全に沈黙です。

職を失った為時を慰めに来た、友人の藤原宣孝は、まひろに「妾(しょう)になれ」と勧めました。そうでなければ生活ができない。極めて妥当な提案でしょう。

しかしまひろは困惑しながらも、亡き母のように自ら家事をこなすとします。

するとそこへ道長がやってきて【垣間見(かいまみ)】をします。

そして辛抱たまらない様子で、まひろの家に仕える乙丸に彼女との手引きを頼みました。

乙丸は、ムッとしたような表情で睨みつけ、「いい加減にして欲しい」と返す。

それに対し、道長の従者である百舌彦が乙丸の無礼を非難すると、それでも道長は構わず逢瀬を重ねようとします。

道長を突き動かすものは何だったのか?

大きなヒントがあります。

道長がまひろの姿を見たとき、彼女は水仕事をしていて、白い脛(すね)が露になっていました。

 


仙人も空から落ちる白い脛

『今昔物語』にこんな話があります。

大和(奈良県)の久米寺はなぜ建立されたのか――。

天平年間(8世紀前半)のこと、厳しい修行の末、空を飛ぶ術を習得した仙人がいた。

ふと小川に目をやると、若い娘が洗濯している。水面には、その脛が映っていて……ゴクリ、なんてセクシーなんだ!

仙人がそう煩悩を抱いた瞬間、術は破れ、川に墜落してしまった。

なんやかんやで、仙人はこの娘を妻にする。

術を失った仙人が妻と暮らしていたところ、術のことを役人が言った。

「あなたは昔、術を使えたのでしょう? ならばその術で材木を運んでください!」

こうせがまれ、七日七日夜修行をして術を体得し直し、無事に大量の木材を運んだのだった。

女の脛に欲情してしまった久米仙人。術まで失ってしまった彼は、極度な脛フェチだったのでしょうか?

いいえ、違います。

この話を読んだ読者が「その気持、わかるわ!」となるからこそ、クスッと笑える話となり、こうして伝えられたのです。

つまり女の脛にゴクリとしてしまうことにコンセンサスがあったのですね。

 


日本人 男は紐パン 女はノーパン

一体なぜそんなことが起きるのか?

当時の服装や状況を踏まえれば、理解できるようになります。

東アジアの服装は基本構造が似ています。

布を羽織り、帯で止める。下半身については、脚を大きく開くと、下着をつけておらず中身が丸見えになってしまう。

それではまずい――というわけで、中国由来の【褌】という文字が下着を示すものとしてありました。

中国の場合、時代がくだると下半身は【褲子】(クーズ)というズボン状の布を身につけるようになります。

スカートの下にジャージを履いているような構造とお考えください。

それに対して日本はどうか?

平安時代でも上流階級の女性は袴を身につけ、脚はまず見えません。

一方で動き回る庶民の女性は違う。

袴をつけず、まくれあがったら脚が見える。男性にしてもそうです。

中国では褌が消えてしまったので、どれだけ身分が低い男性であろうと、下半身は長いトランクス一丁程度の露出となりました。

それが日本じゃ下半身剥き出しなんだよ!

異文化のあまりありがたくない交流の結果、相手からすればハレンチな実態が生じてしまいます。

中国に残る倭寇を描いた絵は、髪はボサボサで下半身を露出しています。

倭寇/wikipediaより引用

全員がそうであったということではなく、あまりにインパクトが強すぎてそうなったのでしょう。

女性にしてもそうで、和服の構造を知った中国人は驚きました。

エロすぎやろ!

あくまで文化的な差異の問題ですが、日本人は「男は紐パン、女はノーパン」になってしまったのでした。

一応「ノーパン」という言葉について説明しましょう。

下半身に下着をつけていない状態を指します。

平成前期にノーパンを売り物にした飲食店が汚職接待事件で悪名を馳せ、日本中を席巻しました。

なぜこんなしょうもない話をしているか?

というと、まひろの水仕事場面と関係があるからです。

要するに、袴もつけずに野菜を洗うまひろの姿は、実質的にもはやノーパンである。

それまで性に目覚めていなかった道長であれば、特に気にならなかったかもしれないが、もはや知ってしまった彼はそうではありません。

あの場面のまひろは、顔をあげて汗を拭うしぐさがとても爽やかでかわいらしいものでした。

しかし、お年頃の道長からすれば、もはやそれどころではないのです。

そんな道長の欲望を乙丸が感じ取り、「いい加減にしてください!」とムッとしたのだとすれば、当然の反応でしょう。

まひろが書を写したり、琵琶を弾いている姿であれば、まだ言い訳はできます。

しかし脛を見てから突き進むとなれば、言い訳はできません。

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