大河ドラマ『光る君へ』の第10~11回放送は、衝撃的な展開となりました。
まひろと道長が情熱的に結ばれたかと思ったら、次の放送回では「北の方」と「妾」を巡って決裂してしまう。
あれだけ愛し合っていたのに何事か?
なぜまひろは、ああも「北の方」にこだわったのか?
純朴だった三郎少年は今や昔、まひろとの逢瀬を経て、情欲に掻き立てられた青年道長となり、今後、いくら権力を有しても二度と彼女を抱くことはできないかもしれない、永遠の存在になってしまった。
なんだか常にモヤモヤする、ややこしい二人――。
史実とドラマを振り返りながら、二人の関係性を考察してみましょう。
🗿 古代日本|飛鳥・奈良を経て『光る君へ』の平安時代までを総覧
この間に何があった?
二人が結ばれ決裂する間、政治的にはどんな展開があったのか。
【寛和の変】という突然の政変により、まひろの父である藤原為時が失脚。
今後の任官は絶望的という見通し提示されました。
要は、まひろが経済的な窮地に立たされたのです。
一方、道長の父である藤原兼家は、摂政という頂に上り詰めました。
孫の一条天皇が即位した今、怖いものは何も無くなり、その三男である道長が周囲の若手貴族と比べて頭一つリードしたことも、ライバル藤原公任の焦燥感からみてとれます。
まひろはどん底に落とされ、道長は急上昇――ただでさえ身分差があった二人は、もはや天と地まで開いてしまったのです。
家の窮地をなんとかしようとして、まひろはツテを辿り、最終的には藤原兼家の屋敷で面会を果たします。
ここで重要なのは、まひろの行動力だけでなく、道長の反応でしょう。
父の兼家がまひろのことを「虫ケラ」と呼んだ時、道長は反論しませんでした。
以前、兄の藤原道兼がまひろの母を「虫ケラ」と呼んだ時は、咄嗟に殴りかかったのに今回は完全に沈黙です。
職を失った為時を慰めに来た、友人の藤原宣孝は、まひろに「妾(しょう)になれ」と勧めました。そうでなければ生活ができない。極めて妥当な提案でしょう。
しかしまひろは困惑しながらも、亡き母のように自ら家事をこなすとします。
するとそこへ道長がやってきて【垣間見(かいまみ)】をします。
そして辛抱たまらない様子で、まひろの家に仕える乙丸に彼女との手引きを頼みました。
乙丸は、ムッとしたような表情で睨みつけ、「いい加減にして欲しい」と返す。
それに対し、道長の従者である百舌彦が乙丸の無礼を非難すると、それでも道長は構わず逢瀬を重ねようとします。
道長を突き動かすものは何だったのか?
大きなヒントがあります。
道長がまひろの姿を見たとき、彼女は水仕事をしていて、白い脛(すね)が露になっていました。
仙人も空から落ちる白い脛
『今昔物語』にこんな話があります。
大和(奈良県)の久米寺はなぜ建立されたのか――。
天平年間(8世紀前半)のこと、厳しい修行の末、空を飛ぶ術を習得した仙人がいた。
ふと小川に目をやると、若い娘が洗濯している。水面には、その脛が映っていて……ゴクリ、なんてセクシーなんだ!
仙人がそう煩悩を抱いた瞬間、術は破れ、川に墜落してしまった。
なんやかんやで、仙人はこの娘を妻にする。
術を失った仙人が妻と暮らしていたところ、術のことを役人が言った。
「あなたは昔、術を使えたのでしょう? ならばその術で材木を運んでください!」
こうせがまれ、七日七日夜修行をして術を体得し直し、無事に大量の木材を運んだのだった。
女の脛に欲情してしまった久米仙人。術まで失ってしまった彼は、極度な脛フェチだったのでしょうか?
いいえ、違います。
この話を読んだ読者が「その気持、わかるわ!」となるからこそ、クスッと笑える話となり、こうして伝えられたのです。
つまり女の脛にゴクリとしてしまうことにコンセンサスがあったのですね。
日本人 男は紐パン 女はノーパン
一体なぜそんなことが起きるのか?
当時の服装や状況を踏まえれば、理解できるようになります。
東アジアの服装は基本構造が似ています。
布を羽織り、帯で止める。下半身については、脚を大きく開くと、下着をつけておらず中身が丸見えになってしまう。
それではまずい――というわけで、中国由来の【褌】という文字が下着を示すものとしてありました。
中国の場合、時代がくだると下半身は【褲子】(クーズ)というズボン状の布を身につけるようになります。
スカートの下にジャージを履いているような構造とお考えください。
それに対して日本はどうか?
平安時代でも上流階級の女性は袴を身につけ、脚はまず見えません。
一方で動き回る庶民の女性は違う。
袴をつけず、まくれあがったら脚が見える。男性にしてもそうです。
中国では褌が消えてしまったので、どれだけ身分が低い男性であろうと、下半身は長いトランクス一丁程度の露出となりました。
それが日本じゃ下半身剥き出しなんだよ!
異文化のあまりありがたくない交流の結果、相手からすればハレンチな実態が生じてしまいます。
中国に残る倭寇を描いた絵は、髪はボサボサで下半身を露出しています。

倭寇/wikipediaより引用
全員がそうであったということではなく、あまりにインパクトが強すぎてそうなったのでしょう。
女性にしてもそうで、和服の構造を知った中国人は驚きました。
エロすぎやろ!
あくまで文化的な差異の問題ですが、日本人は「男は紐パン、女はノーパン」になってしまったのでした。
一応「ノーパン」という言葉について説明しましょう。
下半身に下着をつけていない状態を指します。
平成前期にノーパンを売り物にした飲食店が汚職接待事件で悪名を馳せ、日本中を席巻しました。
なぜこんなしょうもない話をしているか?
というと、まひろの水仕事場面と関係があるからです。
要するに、袴もつけずに野菜を洗うまひろの姿は、実質的にもはやノーパンである。
それまで性に目覚めていなかった道長であれば、特に気にならなかったかもしれないが、もはや知ってしまった彼はそうではありません。
あの場面のまひろは、顔をあげて汗を拭うしぐさがとても爽やかでかわいらしいものでした。
しかし、お年頃の道長からすれば、もはやそれどころではないのです。
そんな道長の欲望を乙丸が感じ取り、「いい加減にしてください!」とムッとしたのだとすれば、当然の反応でしょう。
まひろが書を写したり、琵琶を弾いている姿であれば、まだ言い訳はできます。
しかし脛を見てから突き進むとなれば、言い訳はできません。
下淫:身分の低い女に惹かれる
道長のようなエリートが、身分の低い女に恋することを【下淫】とも呼びます。
反対が【上淫】であり、例えば豊臣一族は【上淫】の典型例とされます。
豊臣秀吉や豊臣秀次がものにした女性は、多くが大名家や貴族の姫たちでした。
高貴な女に欲情する――という単純なフェチズムというより、身近に確たる血縁の関係者がいないため、力や名声のある女系の血を取り込もうとしたのでは?と考えられます。
【下淫】については、徳川家康と、家康をロールモデルとした徳川吉宗があげられます。
彼らは身分の低い女でも、好みであればすぐに抱いてしまう。時代劇での描き方ならば、田植えをしている娘の尻に目を止めるパターンですね。
道長がまひろの脛を見て興奮する様は、まさしくそれ。お殿様が村娘を見てムラムラするような、典型的な【下淫】といえます。
前述の通り、まひろの身分は地に堕ちた。
まっとうな女が脚を晒すはずがない。
道長があの白い脛を見て考えることは、単なる欲望ではなく、この女は身分が低いからどうにでもなるという身分意識があるとも言える。
道長は、父がまひろを「虫ケラ」と呼ぼうと反論していなかった。
むしろ「虫ケラ」だからこそ、すぐに抱けるという打算があってもおかしくありません。
当時の言葉に【召人】(めしうど)というものがあります。
貴人のそばにいて、肉体関係を持つ女房のことであり、道長にせよ、光源氏にせよ、彼らが身分の低い相手を抱いてもノーカウント扱いとされました。
むしろ道長から【妾(しょう)】を提案したのは、最大限の誠意とも言えるかもしれません。
同時に、今後、道長から出仕依頼があるとすれば、まひろは「体目当てか……」と、ドス黒い疑念が湧いてもおかしくなくなりました。
私を北の方にすれば 世を変えられるかも
明らかに身分差があるのに、自分を【北の方】にするよう提案したまひろは、単なる勘違い女なのか?
確かに変人かもしれませんが、ある意味、筋が通っているとも言える。
道長がまひろを【北の方】にできないのは、彼女が【劣り腹】と見なされてしまうリスクがあるため。
当時は父と母の血筋や家が問われる【双系制】ですので、両親ともに高貴でなければ、子どもの出世は望めません。
そんなルールには逆らえないからこそ、道長はまひろを【妾】にしようとした。
けれども……もしも【外戚政治】だけではない、純粋な実力主義に変えていくだけの大志があれば……まひろは道長にそう期待したのかもしれません。
権力者があえて身分の低い女性を妻にすることで、女系の影響を防ぐ例もあります。
例えば『三国志』でおなじみの曹操は、歌妓である卞氏を正夫人としました。
彼女の実家は身分が高くなく、彼女自身も謙虚で、親族も無欲。子供が生まれて跡取りになっても、母系の親戚がやかましく政治に口出しする心配がなかった。
徳川家康も、政略結婚だった正室以外は、女性を身分で選んでおりません。
家康の嫡男である徳川秀忠は、織田信長の姪にあたる江を正室としたものの、女系の影響は薄くなっている。
『光る君へ』の劇中で、まひろがそこまで滔々と説明したわけでもありません。
道長が理解できるとも思えない。
ただ漠然と、まひろからすればありとあらゆる思いを裏切られたという苦さは残るでしょう。
以前、まひろは打毱の後、ロッカールームで談笑する貴公子たちの会話を立ち聞きし、ショックを受ける場面がありました。
女を身分で選び、生まれた娘を入内させる。
そう語り合っていた藤原公任や藤原斉信に賛同していなかった藤原道長だったのに、結局は同じ結論に達したのです。
しかもご存知の通り、まひろをここまで堕としたのは、他ならぬ道長の父・兼家です。
父の陰謀で窮地に陥った女の弱みにつけ込むようにして、もてあました性欲をスッキリさせようとする――こうした視点でまとめると、藤原道長がサイテーすぎて怒りがフツフツと湧いてくるでしょう。
猜疑心をめぐらせてみれば「私をホイホイ抱けるから、あのクーデターに参加したの?」となるかもしれません。
全く救いがない展開です。
落ちぶれた女はチャンスだった
まひろの生きた時代は、後ろ盾がなければどうにもなりません。
父が死んでしまうと、男性も出世ルートが滞ります。
藤原行成は兼家の兄・藤原伊尹の孫にあたりますが、父が早くに亡くなったためパッとしない。
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女性はさらに厳しいものがあります。
身分が高いにも関わらず、父を亡くしたような姫君は「通うにはちょうどよい」とされてしまいます。
あるいは当時の姫君にとっては辛い“女房”になることもあります。
こうした姫君で最も悲惨な例が、花山天皇の娘でしょうか。
母の身分が女房で低かったこともあり、内親王扱いされないどころか、藤原彰子に仕えることとなりました。まひろ(紫式部)の同僚といえます。
それが師走のこと――彰子のもとに強盗が入った際、衣類を思うように盗むことができなかったせいか、花山天皇の娘が連れ出されました。
そして外で服を剥がれると、その場に置き去りにされたのです。
彼女は水路に落ちて這い上がり、助けを求めたものの、誰も応じない。
そのうち凍死してしまい、野犬に遺骸を食われてしまった。
現場には黒髪、血まみれの首、紅袴を身につけた下半身だけが残ったのでした。
捜査の結果、彼女をものにできなかった藤原道雅が黒幕と判明したとか。
道雅は藤原伊周の子で、その正室は藤原宣孝の娘となります。宣孝は紫式部の夫であり、彼女とも近い人物ともいえる。
こうした悲惨な状況を考えると、道長がヤケになってまひろを拉致しないだけマシな気もしてきます。
「俺の誘いを断るとは、お前は犬の餌になりたいのか!」
道長が本当に極悪非道なヤツならば、こんな脅しができたかもしれません。
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当時の貴公子は性欲のためならば、暴力沙汰もやらかしたものです。恋だの和歌だの色々言おうが、悪質ストーカーもいた。
『源氏物語』を読むと、そもそも垣間見でロックオンするわ、当事者でなく周囲と話をつけるわ、時代といえばそうかもしれませんが女性に近づく手段として不適切にもほどがあるのですね。
ちなみに舞台は『鎌倉殿の13人』となりますが、同ドラマに出てきた悪徳僧侶の文覚も、ストーカー殺人のうえ相手を生首にしています。
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セクハラ道長とかわす紫式部
まひろと道長の逢瀬が悲恋に終わることは仕方ないでしょう。
もしも二人の恋が成就すれば、さすがに歴史改変になってしまいます。
ただ、そこまでの流れは、非常に巧妙な展開だったのではないでしょうか。
あの場で道長は「まひろがずっと一番だ!」と言います。
それが現実になる可能性はあります。
人は、思春期に恋をした相手を一生引きずるもの。まひろとの逢瀬、そして脛を見てしまった甘酢っぱい思い出は、頭から消そうとしたところで脳裏にこびりつく可能性がある。
史実における紫式部は、藤原彰子のもとに出仕した後、道長との間に歌を詠みます。
道長の脂ぎったオッサンぶりが露になる、二人のやりとりを見てみましょう。
すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ
【意訳】なんかエロい物語書く作者がいるって言うじゃない? それを口説かないでいるってありえないんでしょ!
人にまだ 折られぬものを 誰かこの 好きものぞとは 口ならしけむ
【意訳】は? 誰かに口説かれたこともないんですけど? 誰がエロいとか言っているんですかね……
このやりとりは、そのままでも十分に道長が脂ぎっているのに、まひろの脛にムラムラとした『光る君へ』の道長と重ねると、余計にげんなりさせられますね。
また、こんなやりとりもあります。
夜もすがら 水鶏よりけに なくなくぞ まきの戸口に たたきわびつる
【意訳】夜通し水鶏みたいに泣きに泣いて戸を叩き続けたのに、あけてくれないなんて、ひどいよ、ぴえん
ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆえ あけてはいかに くやしからまじ
【意訳】ありえないほど戸を叩く鬱陶しい水鶏でしたね。戸を開けたらどれほど後悔したことでしょうか……
戸を叩き続ける道長、怖いよ、道長。あの関係の後年、こんな風に詠んだのかと思うと、破壊力が倍増しますね。
1980年代に大ヒットした少年漫画に『シティーハンター』があります。
今でも実写ドラマ化までなされるほどの根強い人気を誇る、このマンガの主人公・冴羽獠は好色です。
そんな彼をあしらう敏腕女性刑事として、野上冴子がいます。
彼女は獠に対し「同衾一発分の借り」があるらしく、そのことをしょっちゅう言及されます。
しかし、いざそうなりそうになると、なんのかんのでスルリと逃げてあしらう。『ルパン三世』の峰不二子も同系統といえますね。
当時の少年漫画誌では、ギリギリのラインを攻めるお色気であり、かつ、それによりこうしたヒロインは、氷でできた花のような個性がありました。
もしかすると、まひろもそんなクールでセクシーなヒロインになるのかもしれません。
今はまひろの涙に道長が憎たらしくなっても仕方ありません。それが自然です。
しかし、このあと再会したらどうでしょう?
まひろがギリギリで常にするりと逃げ出し、道長がその度悔しがるとしたら?
それはそれで面白いのではないでしょうか。
何も色気はストレートに描かずとも出せるものです。
『光る君へ』のソウルメイトであるまひろと道長。一体どんな着地点を見出すのか。
歴史は変えられませんが、そこに至る過程はアレンジできる。
もしかしたら、私達はものすごいものを見ているのかもしれません。
「セックス&バイオレンス」という大石静さんの言葉が話題となった『光る君へ』――確かにその通りだと今は思えてきます。
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【参考文献】
繁田信一『殴り合う貴族たち』(→amazon)
大塚ひかり『源氏の男はみんなサイテー』(→amazon)
他







