紫式部であるまひろが藤原道長の子を産むなんてありなのか?
さすがにやり過ぎではないか?
大河ドラマ『光る君へ』第27回放送後に物議を醸している彼女の懐妊騒動。
人々の心をザワつかせてやまないのは、父親が夫とは限らない不義の事例が現実にあり得るだけでなく、歴史上でそうした疑惑がいくつも囁かれてきたからでしょう。
他ならぬ『源氏物語』もそうです。
物語とはいえ、当時の様子を生々しく描いたその中に、不義の事例が欠かせぬ要素としてあり、だからこそ今なお人々の心にグッサリ刺さってしまうとも言える。
しかし、その著者本人について、ドラマとはいえ不義の子を宿らせるような史実改変をしてよいものか?という指摘があるのも事実でしょう。
いったい今回のまひろの懐妊はありなのかどうか?
他の歴史上の事例を鑑みながら、考察して参りましょう。
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不都合な傑作『源氏物語』
『源氏物語』は名作であり、日本では長いこと読み継がれてきた――果たしてそう言い切ってよいものか、どうか?
時代によっては不道徳と見なされていました。
例えば江戸時代には「王朝文学は淫乱でいかがなものか」と考えられ、女子供に読ませるものではないと、苦言を呈されることがしばしばありました。
当時は『源氏物語』をパロディにした春本(しゅんほん・性行為を露骨に表現したいわばエロ本)が流行したことも、こうした見方を補強しています。
明治時代になると、不敬であるとすらみなされました。
谷崎潤一郎による訳本は大幅に手を入れられ、上演なども規制されたほどです。
それはなぜか。
明治憲法のもと、神聖不可侵とされた天皇。それなのに、その天皇が不義密通の末子であるという物語が大々的に読まれたら、政府にとっても都合が悪いものとなったためです。
国民的な古典文学でありながら、不義の描写が堂々と出てくる――あらためて『源氏物語』とは挑戦的な作品とも言えるでしょう。
『源氏物語』では不義密通が重要な役割を果たす
『源氏物語』において“不義密通”とは、無くてはならない要素と言えます
不義密通により生まれた子は二人登場し、かつ光源氏の運命を象徴しているのです。
一人目は、光源氏が想いを寄せる藤壺との間にできた皇子です。
藤壺は光源氏の父である桐壺帝の中宮にあたります。
彼女は光源氏の実母である桐壺更衣の面影を宿しているとされました。
幼い頃からそんな義母に恋心を抱いてきた光源氏――藤壺はそんな光源氏の思いに戸惑いつつ、一度の逢瀬で子を宿してしまいます。
生まれてきた不義の子を喜ぶ桐壺帝を見て、罪悪感に苦しむ藤壺、そして光源氏。
桐壺帝のあと、光源氏の兄・朱雀帝が即位すると、朱雀帝は光源氏と藤壺の間に生まれた皇子を東宮としました。
臣籍降下をしながらも、天皇の父となる光源氏。
彼はまるで兄である朱雀帝すら超越した存在にすら思えます。
しかし、そんな光源氏にも因果はめぐるのでした。
不惑を過ぎてから、光源氏は朱雀帝に懇願され、女三の宮を妻に迎えます。
女三の宮は藤壺の姪にあたります。光源氏にとって最愛の妻である紫の上も、藤壺の姪でした。
彼は、初恋の相手にして永遠の女性ともいえる藤壺の面影をどうしても追い求めてしまう。
しかし、光源氏はまだ幼い女三の宮に幻滅してしまいます。
身分が高いのに冷遇される女三の宮は、世間から同情を集めてしまうのでした。
不遇の女三の宮に対し、とりわけ思いを寄せていたのが、頭中将の子である柏木です。
彼は高貴な血筋の女性に憧れていて、女三の宮の異母姉・落葉の宮を妻に迎えるものの、ろくに見向きもしません。
そんなある日、事件は起きました。
女三の宮は御簾ごしに蹴鞠を見ていました。
そのとき、彼女を覆っていた御簾が、猫によりまくりあがり、姿があらわになってしまうのです。
偶然、女三の宮の姿を目にした柏木。どうしようもないほど彼女への恋情が募り、ついには寝所に忍び入り、密通に及んでしまいます。
女三の宮は不義の子を身籠りました。
その因果のおそろしさに光源氏は戦慄しつつも、柏木に対するわだかまりが募ってゆきます。
ついに光源氏はきつい言葉を柏木に言い放ち、冷たい目で睨みつけてしまうと、柏木はこのときから床につき、ついには急死してしまうのでした。
女三の宮が産んだ男子は、作中で薫と呼ばれることになりました。
薫はそれとなく自らの生い立ちに不信を覚え、翳のある貴公子に育ってゆきます。
この薫が「宇治十帖」の主人公となります。
このように“不義”は『源氏物語』の根幹を為すプロットであり、避けて通れない展開といえる――不義を削ってしまったら、話として成立しないものでした。
紫式部の娘の父が道長はありえるのか?
それでも、まひろが道長の子を産む、という描写に対して批判はあるかもしれません。
なぜ大河ドラマというNHKの看板枠で、そのようなオマージュを捧げるのか。
あまりにも馬鹿げた話であり、そもそも史実的にあり得ない展開ではないか。
実際に、そうしたことが起きうる可能性はあったのか、考察してみますと……紫式部と藤原道長の関係は、どこまで深い仲間だったのか、諸説あって決着はついておりません。
しかし、紫式部が藤原彰子に出仕した時期は、娘を産んでからのこととされています。
時系列をふまえれば、紫式部の娘の父が藤原道長であるとはまず考えられません。
紫式部と藤原道長が幼い頃から恋愛関係であるというのはドラマの完全なオリジナル。
そこは割り切って認識しておいた方がよい――とは言いながら、こうした設定が人々の興味をひくのは、実際の歴史上に同様の話がいくつもあるからでしょう。
◯◯の父親は、本当に✕✕なのか?
実は△△なのでは?
こうした問題は常に存在し続け、誰が父親なのか確定するまで長い時間がかかるものもあれば、今なお疑惑とされているものもあります。
いくつかの「伝説」をパターン別に見ていきましょう。
パターン1:母となる女性が別の男性と関係を持っていた
◆始皇帝
中国史における始皇帝が典型例です。
始皇帝の母となる趙姫は呂不韋の寵姫でした。
趙姫の美貌に目をとめた荘襄王が呂不韋に彼女を譲ってくれるように掛け合ったため、呂不韋は彼女が既に孕っていることを隠して、譲ったとされるのです。
始皇帝と呂不韋の関係から逆算したともされますが、始皇帝の誕生時期から現在では否定されます。
中国では始皇帝が暴君とされること。趙姫が嫪アイとの間に子を為したことから、信ぴょう性が高まり流布したと思われます。
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◆平清盛
白河法皇の落胤と噂された人物がおります。
平清盛です。
『平家物語』では、清盛の父である忠盛は、白河法皇の子を宿した祇園女御を妻として迎えたとされます。
しかし、清盛の母は祇園女御の妹だとする説もある。
平清盛の大出世から逆算して、この関係性が考えられたのかもしれません。
※同じく白河法皇の子と疑われた崇徳天皇については後述
◆斎藤義龍
彼の母である深芳野は、もとは土岐頼芸の愛妾でした。
それを斎藤道三が奪い、妻としたのです。
道三と深芳野の間に生まれた義龍は、実父は土岐頼芸であると周囲に知らしめていました。
父と争い、討ち果たしたため、その罪悪感から吹聴したとも思えます。
とはいえ、本人ですら実父は道三だと理解しており、土岐頼芸説は信じていなかったようです。
パターン2:父となる男性は子が作れないと思われる
◆豊臣秀頼
父である秀吉は、若い頃から多くの女性と関係を結んでいるにも関わらず、子がなかなかできません。
そのため、淀殿が二度も子を為すと、当時から「秀吉の子であるはずがない」と噂になりました。
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パターン3:父の子への態度がおかしい
◆崇徳天皇
崇徳天皇は、父の鳥羽上皇から「叔父子(おじこ)」と呼ばれていました。
子ではなく、実は叔父だという嫌味です。
鳥羽上皇は待賢門院藤原璋子(たまこ)が白河法皇と通じ、生んだ子だと疑っていたのです。
真偽はさておき、そんな噂が宮中を駆け巡っていたことは確かなのでしょう。
よりにもよって帝の妃がいる場所がそんなことでよいのかと思ってしまいますが、『源氏物語』のプロットが通用する証といえなくもありません。
もっとも、崇徳天皇は【保元の乱】にやぶれ、流刑となった悲運の人物ですので、何かの因果であると結びつけたい者が喧伝した結果と考えられなくもありません。
パターン4:諸事情により隠蔽した
◆保科正之
こうした父親不明だった子が、後に「確かに◯◯の子である」と確定することは、極めて少数といえます。
しかし例外がないわけではありません。
徳川秀忠は正室・お江の目を憚り、子を孕んだ女性を遠ざけました。
父母の死後、兄にあたる徳川家光がこの異母弟を探し出し、保科正之を兄弟として認知しています。
パターン5:箔付けのため
◆島津忠久
島津家の祖である島津忠久は、源頼朝が御家人・惟宗広言の妻である丹後局に手をつけた結果、生まれた子という話があります。
信ぴょう性は高くなく、島津家の箔付けのため強引に結びつけたとされます。
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◆天一坊改行
何らかの大きな行動を起こす者が、自称する場合もあります。
徳川吉宗は、異例の経緯で将軍となりました。
本人も将軍の座がめぐってくるとは思っていなかったため、若い頃は身分の低い女性とも関係を持ちました。
そんな若き吉宗との間に生まれたのだと自称したとされるのが、天一坊です。
母の言葉を拡大解釈していたとされます。
◆朝比奈義秀
これは母が箔付けとされた珍しい例です。
和田義盛の子である朝比奈義秀は、際立った武勇を見せました。その様が愛され、母が巴御前であるという伝説が生み出されたのです。
巴御前は木曽義仲の死後の消息は不明です。
『鎌倉殿の13人』ではこの伝説を取り入れ、義盛と寄り添う巴御前の姿が描かれました。
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このように、親子関係が判別できるようになるまで、落胤説はしばしばみられるものでありました。
実際にどの程度の信ぴょう性があるのか?
というと何とも言えません。
たとえ我が子と証明できずとも、そう扱われれば通るというものでもあります。
落胤説が生まれる条件 『光る君へ』では?
次に、落胤説が発生する条件も考えてみましょう。
・父とされる男性が権力者であると、箔付けのために用いられやすい
・父とされる男性が多くの女性と関係を持っていた場合、子沢山であるがゆえに落胤説が発生しやすい
・母とされる女性のいた場所のセキュリティがゆるい
・母とされる女性の貞操観念がゆるい
・子が数奇な運命を辿たったり、異例の出世を遂げる
『光る君へ』の場合、藤原道長は権力者です。
道長が関係を持ったとされる女性は多く、子も多く生まれています。
劇中でまひろに仕える乙丸は、道長に仕える百舌彦と親しい。
当時のセキュリティとは、実質的に仕える者をいかに籠絡できるか?という点にかかっています。
他の相手に対してはさておき、まひろの対道長セキュリティは実質的にありません。
まひろは男性に対するガードが低く、宋人の周明と接近し、乙彦と藤原宣孝が心配していたことすらあります。
紫式部の娘である大弐三位は、道長の娘である彰子に仕え、母を凌ぐ大出世を遂げました。
史実を抜きにして、劇中の要素だけ見ていれば、条件的には“あり”だと思えてきます。
しかし別の問題もあるでしょう。
大河ドラマがフィクションとはいえ、史実に存在していた親子の血縁関係まで改変するのは、果たして許されるのかどうか。
最後に、その点を考察してみたいと思います。
『草燃える』でもあった不義の子
密通により親子関係を改変する大河ドラマは『光る君へ』が最初ではありません。
1979年『草燃える』でありました。
北条政子の弟であり『鎌倉殿の13人』では主役をつとめた北条義時。
その嫡男である北条泰時が、源頼朝の子であるというストーリー展開となったのです。
義時の最初の妻は素性がはっきりしておらず、『草燃える』でも後年の『鎌倉殿の13人』でも、ドラマの作り手が設定を決めています。
『草燃える』では大庭景親の娘である茜でした。
その茜が、義時の妻として鎌倉にいるところを源頼朝に夜這いされ、父が義時か頼朝か、確証のない子(のちの泰時)を身籠ったのです。
罪悪感に耐え切れなかったのか、茜は平家の女房として建礼門院に仕え、壇ノ浦の戦いで入水しました。
あらためて振り返ってみると、かなり衝撃的な展開であり、この女性は『鎌倉殿の13人』では新垣結衣さんが演じた八重に相当します。
そして八重は、茜の写し鏡のような設定であるとわかります。
八重の父は、大庭景親と同じく平家方について敗北した伊東祐親でした。
頼朝が北条政子と結婚する前に深い仲となり、千鶴丸という男児を出産。
平家の目を恐れる伊藤祐親はこのことに怒り、千鶴丸を殺し、頼朝を手にかけようとすると、頼朝は北条家のもとへ逃げ込むのでした。
八重は頼朝と結ばれないことを悲観して、入水した伝説もあります。
しかし、ドラマでは採用しておりません。
ドラマではこのあと、八重は父により江間次郎と再婚させられ、頼朝は北条政子と結婚。
江間次郎はほどなくして命を落とし、八重は夫を失います。そんな八重に、頼朝はまたも手出しをしようとするものの、彼女はキッパリと断りました。
一方、政子の弟である義時にとって、八重は憧れの女性であり、粘り強い恋の結果、義時はついに八重と結ばれます。
八重は義時の子である金剛(のちの北条泰時)を生むと、金剛と共に、鎌倉の孤児を引き取って育てていました。
そんな孤児の一人である鶴丸が川の中洲に取り残されたとき、千鶴丸の水死を思い出した八重は彼を見過ごせませんでした。
命を捨ててまで鶴丸を救い、逆に彼女が命を落としてしまいます。
すると八重に命を救われた鶴丸は元服して御家人の平盛綱となり、今度は泰時を守り抜きます。
この二作における義時の妻には、いくつも共通点があります。
平家方についた御家人の娘であること。
一度は頼朝と情けを通じていること。
水死すること。
しかし、描き方には相違があります。
茜は夫一人だけに貞操を守り抜けず、そのために死を選んだように思える一方で、八重は、あくまで自発的に頼朝を拒み、義時を選び、鶴丸の命を救っています。
前述した巴御前もそうですが、『鎌倉殿の13人』にはたくましい女性観が反映されています。
同じ北条義時の妻でありながら、ここまで設定を変えることができるのです。
大河はあくまでフィクションであり、こうした先例があることを踏まえると、今回のまひろと道長も許容範囲なのかもしれません。
改変した上でプロットとして整合性をどうつけるのか。
大胆な改変をプラスに生かせるのか。マイナスとなるのか。
そこを踏まえてまで態度を決めるのが、歴史をテーマとした“フィクション鑑賞の作法”ではないか?とも思います。
★
私も痛感していることですが、歴史ファンはフィクションにおける改変を一切許さない――そんな誤解を受けることがあります。
それは違うでしょう。
私は、ラストで徳川家光が斬首される『柳生一族の陰謀』は大傑作だと思います。
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整合性をつけ、面白さに生かせるのであれば許容範囲です。
大河ドラマを鑑賞する私たちもまた、歴史をモチーフとしたフィクション鑑賞のお手並みを試されています。
そこを意識して『光る君へ』を見るのもよいのではないでしょうか。
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【参考】
光る君へ/公式サイト
【参考文献】
大塚ひかり『嫉妬と階級の源氏物語』(→amazon)
他











