『光る君へ』まひろ(紫式部)が道長の子を産む展開は史実から見てありなのか?

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』より/wikipediaより引用)

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『光る君へ』まひろ(紫式部)が道長の子を産む展開は史実から見てありなのか?

紫式部であるまひろが藤原道長の子を産むなんてありなのか?

さすがにやり過ぎではないか?

大河ドラマ『光る君へ』第27回放送後に物議を醸している彼女の懐妊騒動。

人々の心をザワつかせてやまないのは、父親が夫とは限らない不義の事例が現実にあり得るだけでなく、歴史上でそうした疑惑がいくつも囁かれてきたからでしょう。

他ならぬ『源氏物語』もそうです。

物語とはいえ、当時の様子を生々しく描いたその中に、不義の事例が欠かせぬ要素としてあり、だからこそ今なお人々の心にグッサリ刺さってしまうとも言える。

しかし、その著者本人について、ドラマとはいえ不義の子を宿らせるような史実改変をしてよいものか?という指摘があるのも事実でしょう。

いったい今回のまひろの懐妊はありなのかどうか?

他の歴史上の事例を鑑みながら、考察して参りましょう。

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不都合な傑作『源氏物語』

『源氏物語』は名作であり、日本では長いこと読み継がれてきた――果たしてそう言い切ってよいものか、どうか?

時代によっては不道徳と見なされていました。

例えば江戸時代には「王朝文学は淫乱でいかがなものか」と考えられ、女子供に読ませるものではないと、苦言を呈されることがしばしばありました。

当時は『源氏物語』をパロディにした春本(しゅんほん・性行為を露骨に表現したいわばエロ本)が流行したことも、こうした見方を補強しています。

明治時代になると、不敬であるとすらみなされました。

谷崎潤一郎による訳本は大幅に手を入れられ、上演なども規制されたほどです。

それはなぜか。

明治憲法のもと、神聖不可侵とされた天皇。それなのに、その天皇が不義密通の末子であるという物語が大々的に読まれたら、政府にとっても都合が悪いものとなったためです。

国民的な古典文学でありながら、不義の描写が堂々と出てくる――あらためて『源氏物語』とは挑戦的な作品とも言えるでしょう。

 


『源氏物語』では不義密通が重要な役割を果たす

『源氏物語』において“不義密通”とは、無くてはならない要素と言えます

不義密通により生まれた子は二人登場し、かつ光源氏の運命を象徴しているのです。

一人目は、光源氏が想いを寄せる藤壺との間にできた皇子です。

藤壺は光源氏の父である桐壺帝の中宮にあたります。

彼女は光源氏の実母である桐壺更衣の面影を宿しているとされました。

幼い頃からそんな義母に恋心を抱いてきた光源氏――藤壺はそんな光源氏の思いに戸惑いつつ、一度の逢瀬で子を宿してしまいます。

生まれてきた不義の子を喜ぶ桐壺帝を見て、罪悪感に苦しむ藤壺、そして光源氏。

桐壺帝のあと、光源氏の兄・朱雀帝が即位すると、朱雀帝は光源氏と藤壺の間に生まれた皇子を東宮としました。

臣籍降下をしながらも、天皇の父となる光源氏。

彼はまるで兄である朱雀帝すら超越した存在にすら思えます。

しかし、そんな光源氏にも因果はめぐるのでした。

不惑を過ぎてから、光源氏は朱雀帝に懇願され、女三の宮を妻に迎えます。

女三の宮は藤壺の姪にあたります。光源氏にとって最愛の妻である紫の上も、藤壺の姪でした。

彼は、初恋の相手にして永遠の女性ともいえる藤壺の面影をどうしても追い求めてしまう。

しかし、光源氏はまだ幼い女三の宮に幻滅してしまいます。

身分が高いのに冷遇される女三の宮は、世間から同情を集めてしまうのでした。

不遇の女三の宮に対し、とりわけ思いを寄せていたのが、頭中将の子である柏木です。

彼は高貴な血筋の女性に憧れていて、女三の宮の異母姉・落葉の宮を妻に迎えるものの、ろくに見向きもしません。

そんなある日、事件は起きました。

女三の宮は御簾ごしに蹴鞠を見ていました。

そのとき、彼女を覆っていた御簾が、猫によりまくりあがり、姿があらわになってしまうのです。

偶然、女三の宮の姿を目にした柏木。どうしようもないほど彼女への恋情が募り、ついには寝所に忍び入り、密通に及んでしまいます。

女三の宮は不義の子を身籠りました。

その因果のおそろしさに光源氏は戦慄しつつも、柏木に対するわだかまりが募ってゆきます。

ついに光源氏はきつい言葉を柏木に言い放ち、冷たい目で睨みつけてしまうと、柏木はこのときから床につき、ついには急死してしまうのでした。

女三の宮が産んだ男子は、作中で薫と呼ばれることになりました。

薫はそれとなく自らの生い立ちに不信を覚え、翳のある貴公子に育ってゆきます。

この薫が「宇治十帖」の主人公となります。

このように“不義”は『源氏物語』の根幹を為すプロットであり、避けて通れない展開といえる――不義を削ってしまったら、話として成立しないものでした。

 


紫式部の娘の父が道長はありえるのか?

それでも、まひろが道長の子を産む、という描写に対して批判はあるかもしれません。

なぜ大河ドラマというNHKの看板枠で、そのようなオマージュを捧げるのか。

あまりにも馬鹿げた話であり、そもそも史実的にあり得ない展開ではないか。

実際に、そうしたことが起きうる可能性はあったのか、考察してみますと……紫式部と藤原道長の関係は、どこまで深い仲間だったのか、諸説あって決着はついておりません。

しかし、紫式部が藤原彰子に出仕した時期は、娘を産んでからのこととされています。

時系列をふまえれば、紫式部の娘の父が藤原道長であるとはまず考えられません。

紫式部と藤原道長が幼い頃から恋愛関係であるというのはドラマの完全なオリジナル。

そこは割り切って認識しておいた方がよい――とは言いながら、こうした設定が人々の興味をひくのは、実際の歴史上に同様の話がいくつもあるからでしょう。

◯◯の父親は、本当に✕✕なのか?

実は△△なのでは?

こうした問題は常に存在し続け、誰が父親なのか確定するまで長い時間がかかるものもあれば、今なお疑惑とされているものもあります。

いくつかの「伝説」をパターン別に見ていきましょう。

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