光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第33回「式部誕生」一皮剥けたリーダー道長

寛弘2年(1005年)、藤壺に出仕したまひろの名が決まります。

藤(原)+式部=藤式部

藤原氏の出であり、父が式部省で蔵人であったことから決定。

かくして藤壺での日々が始まりました。

なお、史実と照らし合わせると、内裏の焼失失後に紫式部が出仕するのはまだ早いようで。

倉本一宏先生は寛弘3年(1006年)出仕説を支持されていて、そこはドラマならではのアレンジでしょう。

 

空気を読まない新人・藤式部

出仕を始めたまひろが、藤壺を案内されてゆきます。

道長と倫子により、一通り揃った文房具。

相当お高いもので、現在でたとえるなら新入社員のパソコン周りがモニタも複数並ぶような最新鋭スペックのもので取り揃えられたようなものでしょう。

周囲にしてみれば、気になるはず。

物語の執筆を書くため出仕をすることになったまひろですが、女房としての勤務を期待されている様子。「お手伝い」するとうっかり言ってしまい、それを聞かれてしまいます。

集団の中で「なんかあの人感じ悪くない?」となりそうな言動をしちゃっているんですね。

頭の中は物語がみっちみちしていて、冷たい目線に気を回す余裕はないのでしょう。

しかし、いざ書き始めようとすると、物音がうるさいわ、人の気配がするわで集中できない。

実の娘である賢子ですら鬱陶しかった彼女が、そんな環境に耐えられるはずもありません。

 

地味でつまらぬ女は才を発揮せねばならない

そして案の定、まひろのもとに藤原公任藤原斉信がノコノコやってくるわけですよ。

「藤式部と呼ばれているのか」と言いながら、妻たちが寂しがっているとまひろの前に座ります。

ゴシップに敏感な斉信は、推挙したのは中納言(公任)なんだと探りを入れている。

「己の才を存分に活かせ」と励ます公任。

斉信は「何かあれば中宮大夫の俺に申せ」と請け負っております。

そして二人は「藤壺の女房は高貴な姫君ばかりで頼りない」とこぼしています。

結局、彼女らも中宮様と育ちが同じで、中宮様の御為という気持ちは薄く、テキパキと動かないとか。

世間知らずなのだと言いながら、見栄えが良くとも鈍いのは困ると公任がこぼしております。

するとまひろが、こう宣言します。

「私のような地味でつまらぬ女は、己の才を頼みとするしかありません。左大臣様のお心に叶うよう、精一杯努めて参ります」

かつて公任や斉信がロッカールームでしていた下世話な話をまひろが聞いてしまったことを、彼らは当然知りません。覚えているかどうかもわかりません。

しかし、まるで胸の内を見透かされるような言葉に不意打ちを受けたことでしょう。

二人はこのあと、「地味でつまらぬ女」という言葉に心当たりがあるようで、しばし呆然としております。

あの盗み聞きした打毱以外の場面でも、まひろの話題になるといつもそんな風に評していましたもんね。

まひろはなかなか不気味でおそろしい性格をしております。

そりゃこんな性格だったら、同僚から好かれないでしょう。

さて、まひろはそんな環境の中でも、とにかく執筆しようと努めます。

 

お嬢様だらけのほのぼのオフィスか?

斉信が、中宮大夫として女房たちに指示を出しています。

聞きたいことはあるか?と確認しても、ボーッとしていて返事すらない。少し待ってようやく「ございませぬ」と返ってくる程度。

斉信が愛したききょうのように、気の利いた返事ができる女房はここにはおりません。

斉信に「中宮大饗」はぬかりなきよう準備しろと注意されても、もう毎年同じだと笑いさざめくだけです。そればかりか「中宮大夫は威張りたいだけ」とまで言われております。

ハングリー精神がないのでしょうね。

ききょうのように「私のセンスを見せてやる!」というガツガツした意欲はない。

なんだコイツ等、つまらない連中だ――と、斉信は改めて彼女のことでも思い出したでしょう。

中宮の女房たちを見ていると、いかにききょうが生き生きとした存在であったのかと思えてきます。定子だけでなく、彼女も宮中を華やかにしていました。

そんな女房では、新入りの藤式部の話題に。

父が従五位の下なんだって。

それなのに中納言と親しくて、四条宮で歌を教えていたんだって。

などなど、素直な小少将の君だけは興味津々で、まひろのことを赤染衛門に聞いていました。

 

これじゃ執筆できない!

「光る君」

そう紙に書いて灯りを消し、眠るまひろ。

しかし、いびきや、寝言、衣擦れの音が聞こえてきて、どうにも落ち着きません。

ここで上から覗き込むカメラワークがよいですね。

つまらない大河ドラマはカメラワークも単調でおもしろくないものですが、今年は随所に工夫が見てとれます。

そして朝がきました。

「お目覚めあれ!」

そう告げられているのに、寝坊してしまうまひろ。

赤染衛門は、まひろは物語の執筆が仕事であり、自分は学びごと指南だと異なると確認した上で、役目が違っても朝は起きるようにと警告します。

遅刻したまひろは「誰ぞの足でも揉みに行ったの」とチクリと嫌味を言われますが、この段階ではまだ意味がわかっていない。

後で「足を揉む」ことの意味を尋ねるとこう返ってきました。

「やだ、おとぼけになって」

見かねた赤染右衛門が「夜伽に召されるということ」だと教えます。召人(めしうど)と呼ばれる役目ですね。ムッとしたことが顔にハッキリと出ています。

まひろは、ききょうのようにセクシー対応はできそうにありません。

かくして中宮大饗が始まりました。

女房は大忙しで、美しい布が下賜されてゆく。

下手すれば謀殺の現場になる鎌倉時代の宴席もあまり楽しそうには思えませんが、平安時代も参加したいとは思えません。

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主催者の中宮にせよ、御簾の奥に座っているだけです。

宴はどの時代も楽しいかというと、そう単純なものでもありません。

日本の場合、味よりも格式や縁起を重視した物を食べ、神事に通じるような見せ物を鑑賞する――そんな儀礼的な要素が大きい時代が続きます。

美味しいものを食べて、楽しく振る舞おうと変えていったのは、戦国末期の英雄三傑の時代になってからのことです。

織田信長は儀礼よりも味重視のメニューにしてゆきます。

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豊臣秀吉は自ら能を舞い、大々的な花見を開催し、楽しませようとしたものでした。

徳川家康はこの二人より地味なようで、それは相対的な評価に思えます。

といっても、江戸時代も折り返し地点を過ぎると、武士は困窮してしまい、代わって最高のパリピとなったのが、江戸の町人たちでした。

それこそ遊郭は夢のような宴の中心地。

来年の大河ドラマ『べらぼう』では、主人公はじめパリピが多数登場し、さぞかし楽しげな映像となることでしょう。

まひろはパリピ正反対の鬱陶しい性格ですので、イベントがともかく嫌で仕方なかったようです。人が多くいるだけで疲れるタイプですよね。

「はぁ」

そう嘆くまひろの声がなんとも生々しい。

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