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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第33回「式部誕生」】
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中宮の心がひらく
まひろは中宮に別れの挨拶をしに行きます。
風の吹き抜ける場所に立つ中宮を「お寒くはございませぬか」と気遣うまひろ。
炭を持って来させようかと尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「私は冬が好き。空の色も好き」
まひろは驚き、中宮様はお召しになっておられる薄紅色がお好きなのかと思っていたと言います。
「私が好きなのは青、空のような」
そう語り出す中宮は何か解き放たれていくように思えます。
しかしここで他の女房が来て、そのようなところではお風邪を召すと御簾を勝手におろしてしまいます。
中宮の愛する空の色は塞がれ、彼女がまるで籠に閉じ込められたように……。
まひろは「何をしているのか?」と問われ、「里に戻る」というと、「あがったばかりではないか」と呆れられています。
それでも彼女は悪びれずに「勤めを果たす」と言い切ります。
こんな調子じゃ、そりゃあ同僚からは好かれませんよね。
何あの人、感じ悪いよね〜、と悪口を言われるパターンです。
めんどくさいヤツにとって、リモートワークは最高だ
まひろが自宅に戻ると、みな元気そうにしていました。
弟の惟規が驚きながら、どうしたのかと尋ねると、まひろはしれっと「帰りたくなってしまった」と言います。
あんなに目を潤ませてみなに見送られていながら、なんでこんなにあっさり、サバサバしているのか。
いとは「追い出されたのでしょうか!」と心配していると、家で書いた方が捗ると答えるまひろ。
賢子と父の藤原為時は出かけているそうです。
涙で別れてまだ8日目だよ、と惟規が呆れていると、乙丸は8日も頑張ったといたわっています。
まひろは能天気に「大根、美味しそう」だのなんだの言っていて、どこまで厚かましいのでしょうか。
まぁ、ここでメソメソしても状況は何一つ変わらないし、執筆を頑張るならば美味しいものでも食べて、心のエネルギーもチャージしないとなりませんね。
まひろは何一つ間違っていません。合理性の塊です。そのせいで空気が全く読めていないだけ。
惟規はそれでも気になって、姉に「いじめられたのか?」と気遣っています。
高貴な姫様ばかりで意地悪な人はいないと説明すると、この先、また戻るかどうかはまだ決めかねているようです。
「わかりにくい女だね。まあいいけど、俺は姉上みたいな女子(おなご)には惚れない」
「私も惟規みたいな男には惚れない」
「だよねー」
よいことを断言した!
大河にせよ、朝ドラにせよ。天下万民が好きになるような好感度ヒロインをやたらと求めるんですよね。
その結果、無個性になる。
うっすら気持ち悪くなる。
マザーとつけて呼びたくなるような不気味なヒロインが生まれ、コタツ記事では麗々しい言葉が乱舞するようになる。
でも、誰からも好かれる人間なんて、存在するわけない。気の合う人同士でやっていければいい。
まひろはその方面に振り切っているため、見ていて爽快です。
力で秩序を決める世は、乱世である
寛弘3年(1006年)、陣定である人事が話題になりました。
なんでも伊勢守に平維衡を任じるとかで、平致頼と合戦を起こした者はよろしくないと道長が断言しています。
武力による争いは戦乱の世を招くと危惧しているのです。
すかさず右大臣の藤原顕光が反論。帝がそのようにしたと抗弁しますが、道長は武で争うものを任じてよいのか、右大臣はそれでもよいのかと食い下がります。
平維衡一人くらいで大袈裟だと言われても、全ては些細なことから始まると道長。
除目に平維衡は入れぬよう苦言を呈し続けました。
陣定が終わると、藤原道綱が「なるほどと思った!」と道長に賛同し、左大臣らしくない怒り方だと公任は困惑しています。
この人事には裏があると説明する行成。
平維衡は右大臣の家人で、帝が言い出した人事ではなく、右大臣の推挙によるものだとか。
ならばなぜ、行成は帝の仰せの通りと続いたのか、斉信が問い詰めます。
帝が仰せなら仕方なかったと返す行成。
一方、藤原実資は、道長の言動に感服していました。
実資も帝の叡慮ならば反対しないつもりでありました。しかし、道長の真剣な態度を見て、今では己を激しく恥じておると認めています。
すると藤原隆家が急にカットインします。
朝廷は武力を持つべきではないか? これから先はそういう道を選ぶこともよくよく考えるべきでは?
兄の伊周が止めても持論展開を続ける隆家には、志があるようにも思えます。
結局、除目では空欄だった伊勢守に平維衡の名が書き加えられたとか。
もはや道長も手出しできなかったそうですが、ここのやりとりも、大変興味深いものがありました。
それぞれがあまりに綺麗に、己の運命や本質を見抜いて話していて、どうしてもそこは後世の人間ゆえの知恵は入るものです。しかし、勉強になるならばよいことだと思えます。
ここは日本史の構造がよくわかる場面といえます。
日本は中国や朝鮮半島と異なり、武官と文官の区別が曖昧にされてきました。
結果、武士と貴族の垣根がくずれ、武官上位の武士の世が到来したと思えるのです。
鎌倉幕府の設立・運営に欠かせなかった広元や親能たち「文士はどこへ消えた?」
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もちろん他に様々な要因はあり、その一つが外敵の侵入でしょう。
中国史はいかにして中原を守るか――それが課題としてのしかかり続けた歴史を持ちます。朝鮮半島もそうです。
一方で日本は海に囲まれている。そんなところに歴史の特徴が出ていると思えます。
文武の分別は、歴史がくだって武士の世となっても、だんだんと緩んでゆきます。
来年の『べらぼう』は「武士は文武が大事だ!」と引き締めをはかる松平定信と、それに争う蔦屋重三郎の攻防が見られることでしょう。
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