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『光る君へ』感想あらすじレビュー第33回「式部誕生」一皮剥けたリーダー道長

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第33回「式部誕生」
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腹が立つ、でも読みたくなる物語

帝が藤壺へお渡りになりました。

まひろと向き合い、まずは中宮に声をかける帝。こうしてみてくると、中宮目線になって、帝が「光る君」にみえてきます。

思えば『源氏物語』が映像化されるたび、光源氏役は伝説的な美男から選ばれてきたものでした。

塩野瑛久さんも、光り輝くほど美しい俳優としてこの伝説に入りましたね。めでたいことです。

そんな帝は、まひろのことを覚えていました。

高者未だ必ずしも賢ならず。下者未だ必ずしも愚ならず。

白居易を引用しながら、政治に意見を言う女子は亡き女院以外いないとして、まひろのことを覚えていました。

そして「光る君は敦康か?」と問う。

「ないしょにございます」

そう堂々と言ってのけるまひろ。

帝は硬い声音で、あの書き振りは朕を難じていると思って、最初は腹が立ったと明かし、それでも次第に物語が心に沁み入って、不思議であったと声を和らげて語ります。

その上で、朕のみが読むのは惜しい、皆に読ませるようにと言います。

物語は女子供だけのものではないと笑みを浮かべるまひろ。中宮様にお読みいただければこの上ない名誉だと答えます。

賭けの成功を確信したのか。道長の表情もやわらぎました。

道長はまひろだけと向かい合い、褒美を渡します。

箱を開くと、扇が入っていました。

そこに描かれているのは、鳥を追う少女と向き合う少年――あの日、偶然出会ったまひろと三郎の姿です。

鳥は鳥籠で飼うのが間違いだ。自在に飛んでこそだ。

そう語っていた道長は、まひろを青い空に放ちました。

そしてそのまひろが、中宮の心を解き放とうとしています。

青い空が好きなこの鳥は、どこへ飛んでゆくのでしょうか。

そのころ、錫杖の音が響き、大和から僧兵が押し寄せていました。

道長に面会にきたのは、赤い袈裟を身に纏った興福寺別当の定澄(じょうちょう)。その定澄に促され、背後に控えていた慶理が道長に対して凄みます。

「興福寺の僧侶3000は既に木幡山に集結している」

その上で「我らの訴えを陣定でとりあげよ、さもなくばこの屋敷を取り囲み、焼き払い奉る」と脅してきます。

「やってみよ」

脅しに屈することなく、冷静に答える道長でした。

 

MVP:藤原道長

三男坊であり、どこかおっとりとしていた道長。

父なり姉なりの意向に操られ、この二人の死後も安倍晴明に頼り切りで、どこか頼りないものでした。

糸の切れた凧にでもならないか?と心配でしたが、ここにきて自主性が発揮され、聡明さが際立ってきた。

これは道長に接する者の反応を見てもそう思えてきます。

崇拝者の行成はさておき、注目したいのは公任と実資です。

公任は「道長がああも怒るのは理由あってのこと」と探ろうとする。

実資は、なんと「己を激しく恥じている」とその深慮遠謀に完敗したと認めました。

晴明の死後、道長はまひろに導かれるのかと前回は思っていました。

そうではなく、まひろという暴れ馬を制御する上で磨かれ、強く賢くなっていきます。

支え合う人間関係として実にうまく描かれていました。

一皮剥けたリーダーぶりが頼もしく、器の大きさに相応しいだけの中身が見えてくる。

柄本佑さんも迫力が増してきて、ますます磨きがかかってきましたね。

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「いじわるコミュニケーション」という業

大河と関係ないようで、実はそうでもない。

今週のまひろの姿も連想させたネットの騒動について言及させてください。

日頃より批評家の俊才として敬愛している北村紗衣氏先生が『ダーティハリー』について言及したところ、理不尽な炎上をしております。

こちらに経緯がまとまっております。

◆さえぼうと『ダーティハリー』:ロマン優光連載305(→link

私はアメリカンニュースシネマも『ダーティハリー』も、よくわかりません。

わかっているのは、この話題で挑むのは無謀。三舎を避く相手といえます。

私がむしろ興味があるのは、こうしたよくわからん炎上が発生する心理状態といえます。

こういうとき、どうしたって策や人の心の流れを見たくなる。悪い癖です。

北村氏がこうも叩かれるのは、

「俺たちの好きな映画を、女如きがウダウダ言いやがって!」

というミソジニーがあると思えるのです。

私はある仮説を立て、検証したことがあります。

『麒麟がくる』の駒へのアンチは執拗だった。

あれはキャラクター設定の問題ではく、受け手のミソジニー(女性嫌悪)由来ではないか。

この仮説をもとに駒アンチの書き込みを読んだところ、なかなかの比率で北村氏のような女性研究者や批評家は俎上にあげられておりました。

ドラマの破綻でなく、偏見からの批判を拡散することは、差別の拡散ではないでしょうか。

ドラマの感想は自由にすればよいとは思います。それでも私は駒アンチをみかけたら警戒することを怠りません。差別主義者である蓋然性が高いのです。

今回もダーティハリーはどうでもよく、発言者の性別が問題であると私は思います。

と、ここまでは特筆すべきでもない話ですね。さらに進めましょう。

私はそれだけでなく、映画やコンテンツを自分の個性付けに用いているからではないか?と感じました。

『動物のお医者さん』という大変おもしろい漫画がありました。

その単行本のおまけで、こんな読者投稿のエピソードが紹介されていました。

ある小学生が『動物のお医者さん』を読み出したところ、クラスメートが「それは私が先に読んでいた、ファンをとるな、読むな!」と怒り出したというのです。

また、自分がまだ買えていないという理由で、本屋で単行本の上に別の本を重ねて隠すファンも言及されていました。

作者はファンなのに読者を減らされても……と困惑していたものです。

これは小学生だから起きたことでしょうか?

いえ、そうではなく、普遍的な人間心理と思われます。

精神科医・兼本浩祐氏の『普通という異常 健常発達という病 (講談社現代新書) 』にこの心理状態が出てきました。

◆「いじわるコミュニケーション」や「ありがとう」の掟...「自分は普通」と思う人が持つ病の元「対人希求性」とは?(→link

いじコミというのは、適度な量のいじわるをお互いの社会的階層(子ども社会のなかでの大げさにいえばスクールカーストのようなもの)や個人的力量に応じて小出しにジャブ打ちしながら、自分の子ども社会における立ち位置を決めていく技術のことです。

ランドセルの色。

好きなドラマや漫画。

好きなキャラクターなどなど。

そうしたもので自分のキャラクター性が定義づけられると思った側は、それが重なる相手を攻撃し出す。

自分が上だ、自分こそ本物のファンだ。そう言い出す心理状態です。

今週の藤壺のチクチクした空気も、これで説明できるところはあると思えます。

いいところのお姫様が「出仕」するという個性を得る。それをアクセサリーとして自分を定義づけできる。

それをメンタル強めの新人・藤式部がやってきて、さらなる個性で上書きしていったら、なんかムカつくわけですよ。

藤式部にしてみれば「知らんがな」となるけれども、相手からすればそうならないと。

私にも心当たりはあります。

何かが被った相手に目をつけられ、コケにされる現象があまりに多いのです。

マニアックな趣味を突き詰めている自覚はありますので、大人しくしていた方が人間関係は平和に構築できます。

しかし、大河レビューを始めるとそうならないことを痛感しております。

ドラマの評価が一致しないだけで、全く知らない相手から「お前とはもうこれっきりだ!」と罵倒されるとか、クソレビュアーと言われるとか。

当たり前のことになりすぎて、今ではもう達観の域に突入しております。

今、大河ドラマというのは、そこまでメジャーな存在ではありません。

若い世代にとって「NHKは強制サブスク」と呼ばれるほどですし、見応えのある歴史劇は他に数多く配信されています。

もはや大河ファンは一般社会では多数派ではない。だからこそ個性付けに使うこともできる。

己の個性に「歴史好き」という知性の香りを振り掛けつつ、センスをアピールするには、なかなかよいアクセサリになるわけです。

大河だけ見ていても歴史知識を得るには不十分で、こと2015年以降の幕末ものはむしろ有害だと私は思います。それはとりあえず横に置きまして。

そんな大河を自分の一部、アイデンティティとして取り込むと、それを貶されるということは自分自身を傷つけられるようでカーッとなってしまうのでしょう。

自己アイデンティティと大河評価を一致させる傾向が強いのは、低視聴率の作品であるとも感じています。

一部のファンは本当に攻撃的です。

「ファンの心を尊重しろ、あのドラマを貶すことは許さない!」と怒り狂う割には、批判を否定する過程で相手をボコボコにすることには躊躇がないと痛感しております。

作品そのものの評価は横に置くとして、そういう言動は前述した『動物のお医者さん』を読むなとクラスメートに怒る小学生女子と大差ないように思えます。

だからこそ、好きな大河ドラマを批判されただけで、

「私の心を傷つけた」

と怒り狂うのでしょう。アイデンティティを攻撃されたと感じたのでしょうね。

とある方は滔々と自己陶酔気味『いだてん』がいかに素晴らしいかを語っておりました。

ドラマよりもそれを見抜く己の慧眼自慢に思えたものです。

それに対して私が「東京五輪プロパガンダの側面はどう思うのか?」などと反論したところ、後日、口汚くお前は精神異常者だと罵倒するメールが届き、一方的に絶縁されました。

その人はドラマについて語るのではなく、己のセンスを披瀝したうえで、称賛を求めていたのだとその時私は悟ったものです。

あのドラマには「世間の愚民どもは最低視聴率だのなんだの言うが、それを見抜ける我々こそはハイクラスエリート」と言いたげな記事が付き纏っていました。

「オリンピックなんて興味がなかったけれど、このドラマのおかげで好きになりました」

そんな洗脳報告のような投稿も、しばしば目にしたものです。

陶酔は恐ろしいものですね。そのプロパガンダの後開催された東京五輪の惨状を思い出すと、私は到底賛同できませんが。

もっと別の何かを見出せればよいのですが、私にはどうにもできません。でも、まひろの生き方にヒントがあると思います。

『光る君へ』のまひろは、ここ十年でも根性がひねくれていて、空気が読めない主人公トップクラスに入るのではないでしょうか。

大河主役でも根性が捻じ曲がっていく人物はいます。

『鎌倉殿の13人』の北条義時が最終回で政子に殺されたとき、当然の報いであり、同情心は湧きませんでした。

ただし、序盤のあの明るい笑顔を思い出すと、根っこは悪くなったんだなぁと感じる。

一方でまひろはどうか?

乱世に生まれなくてよかったなぁ……と思うぐらいの性格でしょう。

この時代だから空気の読めないわがままクリエイターですが、乱世だったら何をしているかわからない。

惨劇の後でもケロリとして「悲しんでも命は戻らないから。大根でも食べよ」と言い出しそうな不気味さが漂っています。

こういうドラマの中に気の合いそうな人間を見出して「わかる!」と納得することが楽しいのであって、他のファンの顔色を窺っていてはそういうことにならないと思うんですよね。

マイペースで生きていいじゃないですか。

何をしようと結局、私たちはどうせ天下万民に愛されませんからね。空気を読むのをあえて止めるのもひとつの生き方でしょう。

気の合わない側から言わせれば、自分の好きな大河を貶す私は、とんでもない悪党に思えるのでしょう。そういうヤツはとっちめたくなりますよね。

わかるようで、めんどくさがりの私にはちょっと理解しにくい心理です。

ゆえにいちいち気に入らない相手の発言をスクリーンショットで保存し、貼り付けて、悪口を言い合って盛り上がってしまう心理も、わかるようでわかりません。もっと別のことに時間と労力を使えばよいでしょう。けれどもやめられない人はいるんですよね。

こういう心理は、朝ドラの感想でも見かけました。

あるユーザーは、アンチが盛んだったドラマのヒロインをアイコンにし、ハンドルネームの一部にまで取り入れ、バイオには堂々と「反省会でネットの楽しさに目覚めた」というようなことを書き連ねています。

やめるように言われても引用して朝ドラファンダムに乗り込んでいき、己に酔いしれている。

その様は回転寿司店で醤油差しを舐め回す少年と大差ないように思えますが、本人はイキイキ。

この手の罵倒は、どうにもワンパターンです。

『虎に翼』の場合、アンチの誤認を現役法曹関係者が訂正することもあります。

そうすると一見素直に無知を謝ったようで、後の投稿でネチネチと悪口を続行することもみられます。

叩くことが目的となっていて、理由は後付けなのでしょう。そんなことにアイデンティティを見出して何をしたいのか。

曹操は己を罵倒する陳琳の文章を読み、腹は立つけれど相手の文才は大した者だと感服しました。

ドラマの感想でも、そういう瞬間がないか?と思いますが、たいていは芸のない投稿で失望させられます。

賞賛にせよ、批判にせよ。理屈が通っていて納得できるのであればよいのですが、大抵はそうでもないので、虚しいことです。

本人もなぜそうしてるのか、見失っているのかもしれません。

もう大河なり、朝ドラなり、ダーティハリーなり――コンテンツではなく、それを守るだの真のファンの地位だのダシにして、罵詈雑言を引っ掻きまわす、そういうネットワークにとらわれているのでしょう。

一種の中毒ですね。

私は大河ドラマと自己をそこまで一致させていません。

大河の主演俳優や脚本家がするならば理解できるものの、一人のファンがどうしてそこまで思えるのか。

何事もほどほどにするのが大事だと思います。

歴史サイトでこんなことを書くのは愚かかもしれませんが、武士や大河ドラマに自己アイデンティティを過剰に重ねるのは避けた方がよろしいかと。

しかも言動不一致がどうにも目立ちます。

武士に一体化しているわりには、文武の鍛錬より人の悪口にかまけているのは何事でしょう。

御成敗式目以来、人の悪口は懲罰対象です。

せめて目につかぬところですべきではありませんか。

武士であるからには、まず武士の道とは何か考えてみるべきではないでしょうか。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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文:武者震之助note

【参考】
光る君へ/公式サイト

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