彰子サロンで働く紫式部の同僚女房たち

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

中宮彰子に仕える紫式部の同僚女房はどんな人たちだった?史実でも意地悪だったの?

源氏物語』によって藤原彰子や帝の心が動かされ、ついには皇子の出産にまでたどり着いた大河ドラマ『光る君へ』。

藤原道長源倫子は、主人公のまひろに対して感謝してもしきれない状況ですが、彰子の女房となった当初はまるで上手くいきませんでした。

イビキのきつい女房(宮の宣旨)がいたり、「男の足でも揉んでたの?」と嫌味を言う者(左衛門の内侍)がいたり。

はたまた最近では、道長との関係を疑い、赤染衛門に報告する者まで現れる始末。

いったい彼女らは何者なのか?

藤原彰子という、極めて位の高い女性に仕えるのですから、実は周囲の女房たちも相当な貴族の娘であったことは、ドラマの中でも触れられています。

では具体的にどんな貴族の娘たちが仕えていたのか?

紫式部とは仲が悪かったのか、良かったのか?

本記事では、藤原彰子に仕える紫式部の同僚たちに注目、史実面から浮かんでくる事績やエピソードを振り返ってみましょう。

 

宮の宣旨:リーダー

ドラマの中で女房軍団の先頭に座り、最も目立っていたのがこの方、宮の宣旨こと源陟子(ただこ)でしょう。

宣旨とは平たく言えばリーダーのことであり、宣旨の君とも呼ばれる女性です。

劇中では「コワモテで恰幅の良い先輩、チワッす!」というイメージもありましたが、紫式部が記した『紫式部日記』では、むしろ逆。

身分も高い上に美しい女性で気品もある――という風に記されています。

実際、源陟子は身分の高い女性でした。

以下のように醍醐天皇から臣籍降下した血筋だったのです。

醍醐天皇

兼明親王

源伊陟(これただ)

源陟子

いわば道長の嫡妻である源倫子(父は宇多天皇の孫)と変わらないわけです。

藤原彰子を支える宣旨(リーダー)ですから、『紫式部日記』の中では彰子と共に登場することも多く、物語のスパイスとして欠かせない存在であります。

ゆえに劇中でもあれだけ存在感のあるキャラで描かれているのかもしれませんね。

※ドラマでの配役:小林きな子さん

 

小少将の君:紫式部の親友

源倫子の弟・源時通の娘です。

劇中では黒木華さんの姪になりますね。

よって中宮の彰子にとっては母方の従姉妹に当たり、身分が高いため、やはり彰子の側近くに控えていることも多々ありました。

紫式部が最も親しかったと思われる同僚で、隣同士の局をくっつけて使っていたそうです。

あまりに仲がいいので、道長にからかわれるほどでした。

当然『紫式部日記』にも頻繁に登場し、一緒に身支度しているシーンや、愚痴り合うシーンなど、リアルな日常が書かれています。

外見としては可愛いタイプで、少々内気なところがあったようで、紫式部より年下だったと思われるため、似た器質の妹のように思っていたのかもしれません。

しかし彼女は早くに亡くなってしまいます。

紫式部集に彼女の死を悼んだ歌や、小少将の君の筆跡を懐かしむ歌もあります。

※ドラマでの配役:福井夏さん

 

大納言の君:小少将の君の姉妹

小少将の君の姉妹。

彰子の前では一緒に控えていることも珍しくありません。

『栄花物語』によると、長保の末~寛弘元年ごろ(=1003年前後?~1004年)から彰子に仕え始め、道長の寵愛を受けたとされています。

しかし別の史料だと出自が食い違っているため、栄花物語の記述には疑問も残ります。まぁ、物語だからと言われれば、それまでなのですが。

『紫式部日記』の中では、小少将の君より登場回数は少ないながら、紫式部は、自分の宿下がり中の場面で次のように記しています。

「大納言の君が中宮様の御前でいろいろとお話をしてくださったのが恋しい」

博識で、話し上手な人であり、紫式部にも優しい対応だったのでしょうね。

外見の描写としては、”比較的小柄で色白、上品な顔立ちで、見た目には背が高い”と書かれているため、姿勢も良かったのかもしれません。

※ドラマでの配役:真下玲奈さん

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