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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」惟規と伊周の最期から浮かぶもの

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」
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時代に挑むNHKドラマ

そして戦略的にも極めて秀逸です。

2024年、賛否両論を巻き起こしつつ、ヒットするドラマの要素があります。

社会の差別構造に切り込み、フェミニズムの視点を取り入れる――前半期の朝ドラ『虎に翼』がこの成功例です。

『光る君へ』は公式歴史ガイドにもフェミニズム観点から『源氏物語』を読み解く記事が掲載されていますので、そこを無視しているわけがありません。

とはいえ、前述の通りこれは賛否両論あり、必ず次のようなカウンターも出てきます。

「多様性だの、フェミニズムだの、ポリコレだのいうけどさ〜、昔は気にしなかったじゃない? ああいうおおらかな時代に戻りたいよね〜」

そういう需要を汲んだドラマもあります。

フジテレビ系ドラマ『不適切にもほどがある!』が代表例でしょう。

しかし、こうした作品も賛否両論になります。

そして賛否の割合を鑑みるに、前者は賛、後者は否が優勢におさまる。さらには後者は炎上しやすいという不利な状態に陥りやすいのです。

NHKドラマで後者の「昔はおおらかだったのになぁ〜w」という古臭いセクハラノスタルジーを発揮し、失敗した作品もあります。

例えば2023年『どうする家康』です。

あの作品には、側室を増やすか、綺麗なお姉さんと風呂場でイチャイチャするか否か……という場面がありましたが、「どうする?」の中にあんなアホな選択肢を入れて何をしたかったのでしょう。

そのくせ家康の愛読書である『貞観政要』はかすりもしない。

そして2024年、先日始まったばかりの朝ドラ『おむすび』もそうです。

デリカシーのなさに苛立つ視聴者が当初から目立ったこの作品は、第11回でストーカーとしか思えない男子をコミカルタッチに描く、最低最悪の描写がありました。

私はもう、赤壁の戦いで燃える船を見守る諸葛孔明顔をしながら朝ドラを鑑賞しています。

 

妍子は宴好き

さて、妍子が嫁いだ居貞親王は、藤原道綱と共に敦明親王の舞を見て酒を飲んでいました。

道綱に酒を注ぎながら「頼りにしている」と声をかける。

不穏なことに、妍子は御簾越しに若い敦明親王の舞姿から目を離せません。

その後、道綱は、道長に「妍子様は相当な宴好きだ」と告げていました。

「そういう子だったのか」と困惑する道長に対し、道綱は「毎日宴をしている」とぼやきます。

道長はどこか他人事のように、東宮様の怒りを買わねばよいと答えますが……あのききょうが耳にでもしたら、激怒したことでしょう。

道長は中宮大夫時代、定子が贅沢だのなんだの、いちいち言っていました。我が子はよいのか?

ノーテンキな道綱は、東宮はそれでもやさしい、やっぱり若い女はいいのかと考えています。道綱もすっかりおじさになりましたねぇ……。

「ふーん。まっ、東宮様がお許しくださるならばそれでよい」

と、どこまでも呑気な道長です。だから、なぜ「それでよい」と済ませられるのか。

さすがの道綱も「娘に甘いね〜」といささか困惑している様子。

道長が用件を尋ねると、こう切り出してきました。

「東宮様はお優しいけれど、ケチだから、よしなに……」

「よしなに?」

これは妍子の軽薄さ、そして道長の甘さだけでなく、性的欲求不満と密通への道すじも見えているのが秀逸だと思えます。

ただ妍子が宴をしてはしゃいでいるだけではなく、前段階として東宮を「年寄り」呼ばわりしています。そして御簾のそばでじっと若い男の舞姿を見ています。

『源氏物語』では、女三宮が御簾のそばで蹴鞠を見ていたところ、猫が御簾を捲り上げてしまい、その姿を柏木が目にしたことが密通の契機でした。

若い男が外にいるのに、御簾の側にいたことが女三宮の落ち度とされます。

妍子も、まさに同じことをしています。

東宮は道長への権勢を忘れません。

右大臣・藤原顕光の次女である延子(のぶこ)の婿に、東宮の皇子である敦明親王を迎えたのです。

その妻を東宮に紹介する敦明親王。妍子はやはり敦明親王を熱い眼差しで見ているのでした。

 

敦康親王の元服と道長の懸念

敦康親王が、中宮に元服を報告しています。

もう藤壺を出なくてはならないと、あからさまに寂しそうな表情。

今回から子役ではなく本役の片岡千之助さんへ交替し、その途端、中宮との関係が生々しく見えてきました。

中宮を母のように慕った日々の思い出を切々と語る敦康親王。

その姿をまひろは穏やかに見ているようで、スッと表情が翳ります。

中宮はこれからも敦康様を我が子と思い、成長を見守ると言います。

立派な帝となるよう精進するようにと、手と手を取り合っていると、そこへ険しい顔の道長がやってきました。

この後の道長の動きが、この時代が映像化されてよかったと思える眼福ものの素晴らしさです。

歩いてきて、手を使わずに、足を交錯して座る――

何気ないようで、こうも流れるように動くには相当の鍛錬が必要なことでしょう。

日本時代劇の所作指導がどれだけ盤石かどうか。それは立って座る回数を見ればわかります。

指導が足りない時代劇では、和室なのにスタンディングパーティーのように、皆で立ち話をしていることすらあります。

一昨年と今年は立って座る動きが多く、昨年は極端に少なかった。まさに質は細部に宿る一例でしょう。

道長は、敦康親王の元服式で加冠役を務めるといい、これで一人立ちだと強調。

そしてまひろの元へ来て、こう言い出しました。

「敦康様は、お前の物語にかぶれ過ぎておられる」

「は?」

呆気に取られるまひろ。

中宮様の手までとられてあやうい、光る君のまねなぞされては一大事だと焦る道長。

手をとるもなにも、近寄っていったのは中宮ですし……。

苦笑しながら、まひろが否定すると、からかうなと道長は真剣な眼差しです。

「ずっと中宮様と一緒にいたから離れることになって寂しいのだ」と、まひろが説明すると「それも光る君も同じだ」と返す。

「もうよい。なんとかいたす!」

苛立ったように立ち上がった道長が部屋を出てゆきました。

果たして、おかしいのは道長なのか?

いいえ、まひろは自分を騙しているようにも思えます。

敦康親王と中宮の関係については、道長の見ていないところで、まひろの顔にも怪訝な色、焦燥、恐怖のようなものが微かに滲んでいました。

道長のことを本気でからかっているのではなく、うすうす自分でも思うところはあるように思えます。

自分はもしかして、なにか、とんでもない力を手にしてしまったのでは?

心中穏やかではない道長は「元服後の敦康様はすぐに竹三条宮に移せ」と行成に命じています。

まひろがどう思うか、それはもう事態が超越しました。

物語が人の運命を変えたのです。

ききょうならば、今さらなんだとでも言いたいかもしれません。

すでにききょうの心はまひろの物語が破壊しています。

使い方次第では、人の涙も血も流すことができる。

「そんなものを手にした気分はどうなのかしら?」

そう聞いてみたくもなりますね。

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