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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」惟規と伊周の最期から浮かぶもの

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」
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「三鏡の教え」を学ぶ中宮

中宮とまひろが『貞観政要』を学んでいます。

大宗は常に人を以て鏡と為し、古(いにしえ)を鑑(かんが)み、容(かたち)を鑑みずと。古を鑑み、今を鑑み、容を鑑みずと。

四海の安危、掌内に照らし、百王の理乱、心中に懸(か)く、乃ち知る。天子別に鏡有るを。是れ揚州の百練の銅ならず。

唐大宗は常に人を鏡とした。歴史を映す鏡として、容姿を見る訳ではない。昔と照らし合わせで現状を見て、容貌を気にしたのではない。

天下の安全と危険を掌の中で確認し、諸侯の情勢を心のうちにまで参照する。天子には別に鏡があるのだ。揚州のよく鍛えた銅のものではない。

「三鏡の教え」としても知られ、ザッと以下の通りです。

鏡は三種類ある。

銅でできた鏡は容姿を確認するもの。

歴史という鏡は、過去を教訓として現状を認識できる。

人を鏡とすれば、諫言を耳に入れることができ、頼り甲斐のあるリーダーになることができる。

さらに「四海の安危」という言葉も気になります。現代風にいえば「国家の安全」ということです。

まひろが越前にいた時は宋人に神経を尖らせていた道長ですが、最近はそのことを考えている様子はありません。宋人の往来が途絶えたわけではなく、優先度が下がっているだけです。

「四海の安危」にせよ、「三鏡の教え」にせよ、この箇所は道長に欠落しつつあるものを示しているとも思えます。

中国のように史書編纂をしていない日本の場合、歴史という鏡になるのは藤原実資です。

彼の小野宮流には膨大な記録があります。実資は諫言もします。彼も人という鏡になり得る。

しかし今回は不在です。その代わりを果たしそうな人は、果たして誰なのか。

ここでは、中宮が学んでいるということも重要です。

『貞観政要』は、通常は女子が読まない書籍です。こうして読む姿が出てくるということは、彼女が政治に開眼し、父と対立しかねない鏡になる可能性を示唆しています。

 

妍子の憂鬱

そこへ中宮の妹であり、道長の次女である藤原妍子(きよこ)がやってきました。

なんでも居貞親王の后となるため、挨拶に来たのだとか。

妍子は美しい帝に入内できた姉を羨んでいます。妍子は18歳年上の相手が不満のようで。

中宮が「スラーッとした凛々しいお姿」だとフォローしても、「年寄りは年寄りだ」と彼女はバッサリ切り捨てます。

これには中宮も否定できません。思わずニヤリとしながら耳を傾けているまひろ。

源氏物語』の光源氏にしてもそうで、おじさんになった彼はモテから遠ざかっていきます。

若き頃のキラキラした魅力は何処へ行ったのか。あの光源氏も、歳を取れば財力や面倒見の良さでアピールするしかなく、女性たちからは「それもありか」と認識される程度の存在になってゆくのです。

千年前に凄まじいリアリティですよね。

妍子の毒舌は止まりません。東宮は既に娍子(すけこ)をこよなく愛でているから、自分は見向きもされないと拗ね、最後にこう〆るのです。

「まっ、年寄りにあれこれされるよりは、よいかもしれませんけど」

どこまでぶった切るのか。ただそれでも、最初から負けているのは悔しいようで、そんな妹に中宮はこう声をかけるしかありません。

「宿命にあらがわず、その中で幸せになればよい。きっとよいことがあろう」

妹の妍子としては、定子という存在を乗り越え一条天皇の心を奪った姉の助言でも聞きたかったのかもしれません。

しかし中宮は悟りの境地を語ってきます。真面目ですね。

一方、その側でまひろは、目を細めています。思ったことが割と顔に出やすいのでしょう。

妍子はなおも止まりません。

彼女は父の企みを見抜いています。帝の皇子も、東宮の皇子も、自分の孫にして権勢を盤石にしようとしている。しかも、母上も父上と同じとまで言い出しました。

確かに今回の冒頭では、倫子も野心を隠しませんでした。

彼女なりにふっきれて、夫の愛より権力に喜びを見出そうとしているのかもしれません。

「私たちは父上の道具にございます」

ズバリこう言い切る妍子。中宮はさすがに困惑しています。

「恐れながら、そのようなお言葉は、ご自身をおとしめられるばかりかと存じます」

まひろも思わずたしなめるのですが……。

「何かうるさいこの人」

「ご無礼つかまつりました」

妍子が露骨にウザがってきました。

確かにまひろは不気味でうるさくて、なんだか嫌な雰囲気がありますよね。

中宮とは相性抜群でも、合わない相手はとことん合わないタイプですから、ストレートにそれをぶつけてくる人物は素直でいいと思えます。

人は、万民から好かれる必要などありません。うるさくて嫌われるのも個性ですね。

「あ〜あ、わかりました。楽しく生きてみせまする」

そうしめくくる妍子。

しかし中宮は素直なのか、妍子が言外に込めた呆れた感情も読み解けないようで微笑んでいます。いい加減、飽きたように出ていく妍子でした。

 

光源氏もおじさんになってからはモテない

なんと信頼できるドラマなのか――妍子が出てきたシーンに、私は嬉しくなりました。

おじさんが一番聞きたくない“残酷なセオリー”を豪速球でぶん投げてきたのです。

そしてそれは『源氏物語』でも喝破されていました。

「イケメンだろうがおじさんはおじさん。おじさんとあれこれするのは嫌」

これですよ、これ!

『源氏物語』には、かなりの年になってからも色っぽい源典侍(げんのないしのすけ)という女性が出てきます。

いい年こいてセクシーぶる女ってどうなのよ。そう揶揄うように描くようで、こちらはまだしも洒落になっている範囲には思えます。

むしろ重大深刻であり、プロットの中央を貫いているのは、

おじさんになってからの光源氏が気持ち悪い!

という問題です。

ききょうが指摘していたように、娘くらいの歳である玉鬘(たまかずら)にべとべとする様が気持ち悪い。

六条御息所が「変な目で見ないでくださいね」と釘を刺しておいた、彼女の娘である秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)への言動もともかく薄気味悪い。

光源氏を疎ましく思う女君の気持ちが細やかに描かれていて、紫式部の筆致はとことん冷徹なのです。

権力者だから従うしかないのに、自分はまだまだモテモテだと勘違いしているおじさんって、本当に社会の害悪でしかない――そこを紫式部はこれでもか、これでもかと描いてきます。

さらにヒートアップするのは、女三宮の密通を知ったあたりからでしょう。

密通相手の柏木に痛烈な嫌みを吐き、睨みつけたところ、相手はストレスのあまり命を落としてしまう。

パワーハラスメントおじさんとして、悪役の頂点に立つかのような描き方なのです。しかも光源氏は、自分も藤壺の宮と密通している前科があるためどうしようもありません。

そういう『源氏物語』精神を貫徹する心意気が素晴らしいと思います。

21世紀になって二十年以上経過したというのに、日本の女性差別は国連から勧告を受けるほどお粗末です。

そういう国の国民的番組が「おっさんの勘違いはキモい!!」と堂々と言い切ることがどれほど勇気のいることか。それでもこのチームはやり抜きました。

さらに妍子は、現代社会が王室制度について抱く違和感にまで到達しています。

今、世界各地で王室制度が疑問視されているのは、生身の人間を道具のように扱う残酷さが背景にあるとされます。

王室から離脱したイギリスのヘンリー王子の自伝タイトルは『スペア』。

人間をスペア扱いすることを告発しています。

妍子はあの顔で口を尖らせつつ「ねえ、やっと気づいた? 私たちは所詮、駒なの」と突きつけてきたように思えます。実に挑発的ではありませんか。

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