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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」惟規と伊周の最期から浮かぶもの

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第39回「とだえぬ絆」
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物語は、人の心を、人生をも壊す

前回の時点で、こんな意見を見かけました。

「道長が『源氏物語』のせいで敦康を藤壺から追い出すって? バカじゃないのw」

具体的にどこがどうバカなのか、推察するほかありませんが、そんな風に思ってしまう方はこのドラマに向いていないと感じました。

本作は、紫式部の書いた物語が、政治の道具として利用されるという設定で動いています。

そのプラスの面として、彰子が一条天皇の寵愛を得たとする。

そしてそのマイナス面まで描くのは、むしろ誠実ではないでしょうか。

本作の制作チームは『スカーレット』を手掛けています。

あの作品は、ヒロインが陶芸に打ち込むことで、得たものもあれば、失うものもあったと描かれました。

ヒロインのモデルが離婚した原因をドラマでは設定を変えています。劇中では、夫妻揃って陶芸家となったものの、妻の腕前が夫を超えていくことが離婚の一因とされているのです。

このチームは女性クリエイターを描きたいのでしょう。

創作が女性を解き放ち、力を持たせると同時に、何かを破壊し得る――そんな業まで描いている。

それと時代考証面から申しますと、平安貴族の理性を過大評価しておりませんか。

この時代の公卿は、こんな言い訳が通じました。

「すごく悪い夢を見たので、今日は出勤しません」

現代ではとても通用しないでしょう。江戸時代だって仮病を使うでしょうし、鎌倉武士でも「肉を食べて身が穢れました」くらいのことは言いそうです。

平安貴族は教養として儒教を身につけているものの「怪力乱神を語らず」という孔子の教えは徹底していない。

隣の中国では、後漢代には科学者でもある張衡が迷信に対してビシバシとダメ出しをして、夢占いの類は廃れていきました。

しかし、日本の平安貴族はともかく迷信深い。

夢見が悪いから欠勤をしばしばしている道長ならば、ピュアなハートで物語を信じて、あのような発想になってもそれほどおかしくないと思えます。

そしてこれが最も主張したいところですが、本作の問題提起はとにかく凄まじい。

フィクションとそれにのめり込む心理は、平安時代だけでなく、現代人の心も狂わせかねません。

ジョナサン・ゴッドシャル『ストーリーが世界を滅ぼす』という本を先日読みました。大変興味深いものがあります。

人間はストーリーに弱い――。

まひろあたりが大好きな漢籍にも、故事成語が大量にあります。

例えば“矛盾”という概念を説明するうえで、矛と盾を売る商人とその客の姿を思い浮かべると、スッと頭に入ってきますよね。

人間はストーリーがあると、ものごとが頭にスッと入り込んでくるのです。

そしてそれは悪用もできる。

渋沢栄一が実はさわやかイケメン好青年だったなんて、歴史を踏まえれば「何を言っているんだ、アホじゃないのか」と私は言いたい。

でも現にイケメンで大河ドラマを作ったら「いい人に決まっています!」という視聴者が大量に出現しました。

大河ドラマはその効用を知り尽くし、我々の心を掴みにきている。

良心的な大河ドラマは、だからこそ、わかりやすい嘘をおく。

その一例が架空キャラクターです。

「オリキャラ」だのなんだの言われてネットでは叩かれやすいものの、あれはストーリーのもつ毒を弱める薬になります。

三谷幸喜さんの『鎌倉殿の13人』なんて、暗殺者コンビが荒唐無稽なほど活躍しました。

おまけにその名前は、演者からとった「善児」と、豆板醤からとった「トウ」でした。要は、遊びの要素が濃いんですね。

あのコンビがいるからこそ「そういえばこれはドラマなんだな」と視聴者は我にかえり、どっぷり酔いしれることなく作品を見ることができた。

今年はその良心性が高い上に、作り手が功罪を理解した上で挑発し、啓発するような趣すらあります。

ストーリーのせいで運命が暗転する人物が出てくる。

あなたは大丈夫?

そう語りかけてくるように思えます。

毎週レビューを書いている私が言えた義理でもないですが、大河ドラマと、朝の連続テレビ小説は危険なコンテンツだと思います。

海外だとアメリカンコミックス映画、『スター・ウォーズ』、『ゲーム・オブ・スローンズ』といった作品が該当します。

・歴史が長い
・ファンが多い
・定番

こうした要素が重なるファンダムは、力を持ち、毒すら帯びやすい。

ゆえに私は、誰かと大河ドラマや朝ドラの話は極力回避します。

もしかしたら、私とこうしたドラマについてじっくり語り合いたい奇特な方もおられるかもしれませんが、私は三舎は避ける所存ゆえご理解ください。

ファンダムが大きなコンテンツに耽溺した方は、毒にじわじわと蝕まれていくのか、精神状態が暗転することがしばしばあります。

大河ドラマの作品名まであげて危険性をあげつらうことは避けたいけれども、敢えて描きますと、ここ十数年で危険度が高い作品が以下の通り。

2012年『平清盛』
2019年『いだてん』
2023年『どうする家康』

2015年や2018年は「ははっ、あのどうしようもないやつw」と意見が一致するので安心枠です。

しかし2012年、2019年、2023年の場合、ファンダムの渦中にいると「私たちはこんなに愛しているのに、評価と視聴率が不当に低い! 何らかの工作がある!」といった考えに直結しやすい。

人がそんな風に流されていくのは、どんな時か?

・自分たちは不当に貶められている

・自分たちは結束している、仲間がいる(エコーチェンバー)

・自分たちこそ他者より優越しているという感覚

こうした諸条件が揃うと、あっさりと精神が荒廃するようで……。

現在、大河のメイン視聴者層の年代は、若い頃に思想やら何やらをインプットされなかった結果、サブカルチャーをアイデンティティと一体化させていることも多いと感じます。

幕末なら「尊皇攘夷!」と叫んだような感覚で、好きなコンテンツを熱狂的に愛し、それによって優越感を味わい、結束し、自己定義していることも少なくない。

推しだの、強火担だのプロフィールに書いたところで、実際に人が強くなるわけでもない。

それなのに、そう思い込んでしまうことが往々にしてある。

「私の好きなドラマは、きっと世間にとって都合が悪いからアンチがいるんだ!」

こういうことを言い出したら、深呼吸をした方がいいと思います。

むろん物語自体は良いものだと思います。

素敵な物語を味わうと、疲れも吹き飛び、生きる気力が湧いてくることもある。

しかし同時に、身を滅ぼす危険性もあります。どんなに良い薬でも、摂取し過ぎれば毒になる。

大河ドラマも当然そうで、褒めるにせよ、貶すにせよ、自他の精神を守る工夫は必要でしょう。

すみません脱線が長くなりました。話をドラマに戻しましょう。

 


上向いてきた惟規の運勢

惟規の官位があがり、正六位上から従五位下になりました。

マイペースな惟規は、それほど真面目に働いたわけでもないと茶化しつつ、目は涙で潤んでいます。

いとは若様の出世を信じ、五位のための赤い速帯も用意していました。

あまりに感動的な場面です。

惟規はいとに信じてもらっていたことが嬉しくてたまらないようで、二人は涙ながらに抱き合って喜んでいます。

「上向いて参りましたよ、御運が!」

そう声をあげて泣きじゃくるいと。

さらに春の除目で、為時は越後守に任じられました。惟規と共に道長に礼をいう為時。

ここで惟規は、姉が世話になっていると言い出します。

「あの、恐れながら……」

もしかして賢子のことにでも触れるのか?

と思ったら、惟規は姉の性格を語り始めました。

気難しくて人の気持ちが通じにくいけれど、末長くよろしくお願いしたい。姉の面倒な性格を熟知しているのですね。

道長は「藤式部の顔でも見ていけ」と返します。

かくして父と子で、まひろの仕事場にやってきました。

為時はしみじみと左大臣様はまひろに親切だと言い、惟規は賢子も藤壺にあがればいいと続きます。

越後は越前よりも遠く、冬は一層厳しいと聞いていると気遣うまひろ。

「もう会えぬやもしれぬな……」

弱気になってそう漏らす為時に対して、そのような弱いお心では越後守は務まらないとまひろが鼓舞します。今回は、まひろに代わり惟規が為時と共に越後へ行くそうです。

なんでも失恋のため都から去りたいんだとか。

あの斎院の中将にひどい振られ方を別したようです。

ちなみに紫式部は藤壺と斎院の女房気質を比べられることに苛立っており、相手を手厳しく評価しています。

 


親子の関係は変わる

賢子が裳着を迎えました。

おじじ様のご恩は忘れないと丁寧に言いながら、越後には行かない賢子。家を守るために残り、女房として藤壺にあがるのも嫌なのだとか。

どうにも母に反発しているようで、為時が「頑固さがまひろによく似ている」とフォロー。

その夜、月の下で、まひろと惟規はしみじみと語り合います。

思えば裳着をした頃のまひろと為時も親子仲が最悪だったとか。父と目も合わさない姉が怖かったとのことで、まひろは思い出したくないと言います。

「親子って、変わらないようで変わるんだな」

そう語る惟規に対し、まひろも賢子との仲がよくなるのかと問いかけます。

「たぶんね。だって賢子の母親は姉上だけだもの」

そう励まし、左大臣様の姉上への気持ちも変わらないと続けます。斎院の中将の君の心はコロッと変わったのに、左大臣様はすごいとしみじみといいます。

「きっと、みんなうまくいくよ」

「なにそれ」

「よくわからないけど、そんな気がする」

「調子のいいことばっかり言って。父上をよろしくね」

ひねくれて気難しいまひろも、弟の前では笑顔になります。

そうして越後へ向かう為時と惟規一行。

本作は、後半になっても、見栄えのいい山林でロケをするところがいいですね。

しかし、突然、惟規が馬上で倒れ込み、馬から転げ落ちてしまいます。

突然の病を発症。越後の国府にたどり着くと、寝込んでいます。

為時が寄り添って看病をしていると、惟規は左大臣に賢子のことを言えなかったことを悔やんでいます。

そして苦しそうに身を起こすと、紙を持ち、筆を手にとり、和歌を苦しげに書きつけてゆきます。

ついには筆を持つ力が抜け、惟規の命が尽きてしまいました。

父の腕の中で彼は亡くなりました。

我が子に先立たれ、その名を呼びながら泣く為時。

留守を守る家族のもとに訃報が届きます。

いとが魂を搾り出すようにあげる泣き声が胸を抉ります。

都にも恋しい人がたくさんいるゆえ、何としても生きて帰りたい――それが惟規の辞世でした。

まひろも弱々しく泣き出します。そんな母の背にそっと手を伸ばす賢子。

惟規は最期まで優しい人でした。まるでその魂で、この母と娘の距離を近づけたように思えます。

都にも
恋しき人の
多かれば
なほこのたびは
いかむとぞ思ふ

 

MVP:藤原惟規

藤原伊周と同じ回に世を去った惟規。

その最期は対照的に思えます。

歴史に名を残す貴公子と、紫式部の出来の悪い弟として知られる惟規。

それでも人の命の終わりは同じように悲しく、寂しいと改めて思わされました。

史書に名を残さない無名の人々も、きっと生きる上で多くの悲しみを味わい、涙を流してきたのだと改めて感じました。

いとの魂を搾り出すような泣き声が忘れられません。

人懐こく、陽気で、明るく、いつも笑顔だった惟規。

こぼれるほどの愛嬌に満ちていて、ドラマを明るくする素敵な人物でした。

歴史の中で変わるものと、そうでないものがあります。

変わらないものは、人を愛する心ではないか――惟規の最期と辞世を読むとそう思えてきます。

次回から惟規を演じる高杉真宙さんがいないのかと思うと、心に穴が空いたような気持ちになってしまいます。

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文:武者震之助note

【参考】
光る君へ/公式サイト

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