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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第42回「川辺の誓い」】
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『源氏の物語』も、もはや役に立たない
筆をとり、なめらかに紙の上を滑らせるように書き付けているまひろ。
そこへ道長がやってきます。
邪魔をしたと詫びる道長に、まひろは皇太后様に御用があるのかと返します。なんでも呼ばれたのだとか。
中宮妍子の宴三昧が話題にのぼり、悪評が皇太后の耳にも入ったようです。
帝が藤壺にお渡りにならないとこぼす道長。
先帝には『源氏物語』があったのに、妍子と帝の間には何もないと言い出します。
「『源氏の物語』も、もはや役には立たぬのだ」
言ってしまいましたね、この男は……。
まひろが、目を動かす顔がなんともおそろしい。
『鎌倉殿の13人』の世界観ならば血の雨が降りかねないと思いますが、幸いにもこの世界観はそこまで殺伐としておりません。
ちょっといたずらっぽい顔になって、まひろはスッキリしたように思えます。諸葛孔明の「お気づきになりましたか」と策について語り出す時の顔も思い出します。
確かに本作の執筆動機はそこです。まひろにだってそんなことはわかっていた。
ただ、道長が熱心な読者となって、物語に別の意味を見出すことを信じたかったのかもしれません。
物語は人の心を映すが、人は物語のようにはいかない
道長はもともと聡明でもない。
先例が当たったらまた持ち出す。まひろならこういうとき「守株待兎」という故事成語を思い出しているかみしれません。童謡の『待ちぼうけ』の元となった『韓非子』由来の故事成語です。
ある日農夫が畑仕事をしていると、兎が飛び出して株にぶつかりました。
そうか、株にぶつかる兎を待てば仕事をすることはないな!
そう農夫は待ち続けるものの、そんな偶然は二度となかったという話です。
一条天皇という兎は、とてつもなく教養豊かでした。
『枕草子』に夢中になったという要素もあって、あの作戦が効いたのです。しかし今の帝は違う。引き寄せようと思うなら、何か別の対策が必要でしょう。
そこで道長はまひろに助けを求めますが、まひろはどうしようもできないと言います。
物語を書けるほど聡明なのだから思いつかぬか?
そう道長は食い下がりますが、根本的に、相談相手を間違えていませんか?
彰子の時、藤壺を飾り付けていた仲間は妻の倫子でした。倫子は土御門の財産も所有しています。
そんな倫子が手を尽くしてもうまくいかないから、まひろを引っ張ってきたわけです。別の場面で倫子に相談済みなのかもしれませんけれども。
「物語は人の心を映しますが、人は物語のようにはいきませぬ」
まひろはそう返すばかり。道長もこう認めます。
「つまらぬことを言った」
ここの場面はよいカメラを使っていて、背景がまるで絵のように綺麗にぼやけています。
繊細なピアノの音楽が重なり、素晴らしい役者の顔と演技をさらに引き立てています。錦上添花とはまさにこのことですね。
そしてこの「守株待兎」は、光源氏にも通じる教訓といえます。
憧れの藤壺の宮の血縁にあたる若い女君を、光源氏は二度妻に迎えます。
一人目が紫の上。二人目が女三宮です。
紫の上は理想そのものに育て上げられたのに、女三宮はそうなりません。
幼稚で気が利かないと呆れ果てる光源氏。しかし、これは二人の資質のせいでしょうか?
確かにそう思えます。紫の上の幼いころは、歳の割に大人びていると何度も書かれます。女三宮はいくつになっても幼さが強調されています。
しかし、果たしてそうなのか。
紫の上を迎えたころは光源氏自身が若く、根気強く、幼い女君を教え導くだけの余裕も体力もありました。
一方で初老すぎてから女三宮を迎えると「もう今時の若者にはついていけませんなぁ」と投げ出してしまい、ともかく相手を見下し、小言ばかり吐いてしまう。紫の上と比較して、ため息ばかりついている。
そんな相手に心を開けるわけもなく、女三宮は光源氏が疎ましくなるばかりなのです。悪循環です。
自身の老いに無自覚で、思い上がって、若い女を求めた邪心が破滅の原因ではありませんか。
鈍感で思い上がっているところは、光源氏も道長も共通しています。
「雲隠」
道長を見送ったまひろは、何か書きつけてゆきます。
もの思ふと
過ぐる月日も
知らぬ間に
年もわが世も
今日や尽きぬる
物思いばかりして月日が過ぎたことも知らぬ間に、この年も、我が生涯も、今日で尽きるのか。
光源氏最後の歌です。
それにしても、まひろはどこまでおそろしいのか。
「物語は人の心を映す」と言いますが、それで書いたのがあの『源氏物語』ですか。
紫式部は男性への嫌悪感を赤裸々に描いています。
全身に冷や水のように汗をびっしりとかき、男君から逃げまどい、内心嫌で呆れて仕方ないと、何度も散々書きつけているところに『源氏物語』の深淵があります。
一方で男君はだいたいが鈍感。
自分が思いの丈を遂げられないことばかりをメソメソと嘆き、自己憐憫に次ぐ自己憐憫を重ね、本当にどうしようもありません。
中でも光源氏が紫の上に、「あなたは私のおかげで苦労もせず、楽な人生を送ってきましたねえ」と語るところは実におそろしい。
光源氏が初めて強引に肌を重ねたとき、紫の上は相手に強い嫌悪感を覚え、震え、怯えていたものでした。そのあとも紫の上は、光源氏の言動に心を傷つけられてきたものです。
身近にいて最愛の存在だと思っている相手の苦難をまるで気にも留めない、光源氏はいったいなんなのでしょう。
結局このあと、紫の上は光源氏の言動ゆえに心を病んで命を落とすことになります。
そうやって最愛の相手が死のうが、男君の考えることは往々にして自己憐憫ばかり。
これを踏まえて「物語は人の心を映す」と語るまひろは、ほんとうにおそろしい人だと思います。
吉高由里子さんの顔もすごい。ただ穏やかにしているようで、深淵をのぞきこむようなおそろしさを感じてしまう。
それでいて、次の瞬間には「そんなことないですよ」とあどけなく笑い飛ばしそうな雰囲気もあります。
おそろしい世界が繰り広げられてきました。
道長は「雲隠」とだけ書かれた紙を目にします。
それは『源氏物語』の、本文がない巻のこと。かくして光源氏の死が示唆され、物語は終わりを告げます。
道長はこの紙を目にした途端、頭痛に襲われるのでした。
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