どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」
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どうする人物描写

Amazonプライムビデオに『MAGI』というドラマがありました。

天正遣欧少年使節団を描いた作品で、織田信長豊臣秀吉が出てきます。

信長を演じるのは吉川晃司さん。

秀吉は父・拳さんを彷彿とさせる緒方直人さん。

この二人が、信長と秀吉の理想形のような人物像でしたので、非常に爽快感がある一方、焦りも感じました。

大河はもう二度とVODに勝てないのでは?

魔王のような織田信長、猿のような豊臣秀吉――そんな古いテレビ業界の手垢にまみれた人物像で大河に登場させられたら、アマプラで取り組んでいる新しい戦国ドラマには勝てるはずがない。

そんな心配は、2020年『麒麟がくる』における織田信長が染谷将太さんに決まったというニュースで吹き飛びました。

ベタではない信長にチャレンジするんだな……と思ったからです。

むろん時代考証を考えれば史実から逸脱させてはいけないという制約はあるだろうし、新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが、チャレンジなくして進歩はありません。

ゆえに従来の像とは異なる染谷将太さんの起用という時点で期待は高まり、実際の染谷信長も素晴らしいものでした。

それに比べて本作はどうでしょう……。

あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?

不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。

真っ赤っ赤。

いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

さらには、テカテカした照明に、ペカペカしたBGM、そしてBL狙いかのようなボディタッチ。

『麒麟がくる』で船に乗ってやってきた、染谷信長の登場シーンと比較したらなんと陳腐なことか。

むろん役者さんが悪いのではなく、脚本や演出の問題であり、この先も、同じ調子で映像化するのか?と考えると頭を抱えたくなってしまいます。

『麒麟がくる』の徳川家康役だった風間俊介さんが1月10日放送の『大奥』に出ていて、改めて思いました。

風間さんは発声が抜群によい。

冷静さと聡明さが常にあって、その裏に何かが滲む。『麒麟がくる』の家康は本当によかった。

『麒麟がくる』の武将たちがコーエーテクモさん準拠のパラメータだとすると、『どうする家康』はその半分ぐらいに見えてしまいます。

なぜなのか?と理由を考えると、作り手が、役者さんや戦国武将の知名度、大河というブランドに頼りっきりで、登場人物たちをどんなキャラに仕上げていきたいのか、という意識に問題があるのではないでしょうか。

キャリアを積んだ役者さんはともかく、不安なのは若手です。

山田裕貴さんと溝端淳平さんは、時代劇もこなせるし、将来的にも大河で起用したいと思っているからこその配役でしょう。

彼らは大事な宝玉です。もっと丁寧に磨いてください。

 

どうする公式サイトとSNS

昨年と比較しても、様々な面でクオリティに疑問がある本作。そのひとつがネット配信です。

公式サイトは情報量が少ない。

SNSも同様で、放送後に『吾妻鏡』との比較や「かまコメ」(出演者インタビュー)が流されていた『鎌倉殿の13人』での取り組みは素晴らしいものがありました。

放送前に見せてくる写真もワクワクしたものです。

こうした昨年の動向と比較すると、今年は明らかに熱量が足りてない。担当者が変わったのでしょうけれども、一体どういうことなのでしょうか?

今後、SNSで何かトラブルが起きなければよいのですが……。

 

どうする戦争描写

今年の『どうする家康』は合戦の様子を湿っぽく見せ、「戦を避ける家康は素晴らしい」と誘導したいようです。

しかし、戦闘や負傷者の描写があまりに薄っぺらくて、かえって悲惨さが伝わってきません。視聴者を身震いさせた『鎌倉殿の13人』に遠く及ばないでしょう。

戦争の傷という点では『麒麟がくる』が秀逸でした。

あのドラマでは薬を売る少年が殺される場面があっただけでなく、ただ道をゆく場面にも負傷した物乞いが映っていました。彼らは戦で後遺症の残った兵士に見えたものです。

何より駒のキャッチコピーが「戦災孤児」でした。

脚本家の池端俊策さんが見た、アジア太平洋戦争で痛めつけられた戦後日本の記憶が蘇ったかのようで、胸がしめつけられる。

そんな作品と比べると、本作は上っ面で戦争を描いているだけに思えてなりません。

戦争のもたらす無惨さと真面目に向き合っていないのでは?という懸念は、元康が戦場から逃げ出すことで笑いをとろうとするようなセンスからもうかがえる。

前線からの逃亡は罪が重いものです。

「退くものは斬る!」

そうして血刀をかざす将の姿はお約束ですが、あれはパターンとしてかっこいいからそうしているわけではありません。

戦場には将兵が大勢います。そこで何らかのスイッチが入って我先に逃げ出すと隊列が崩れ、それだけで大損害が出てしまいます。

撤退戦は難しいもので、将たる者は、なるべく部隊が乱れぬよう、逸る心を抑えて指揮を取らねばならない。

そんな戦場で大将が率先していなくなるって?

「ヘタレ」なんて笑っている場合ではなく、人命を著しく損なう危険性があります。

要は、戦争に対する緊張感が全く感じられない。弛緩しきったドラマになっているため、いきなり介錯云々やられても、悪ふざけにしか見えないのです。

この元康は「本当に腹を切ってしまいそうだ!」とハラハラした視聴者はいたのでしょうか?

そんな調子ですから、根本的な疑問が尽きません。

彼らは本当に、生死のかかった戦国人なのか?

誰一人として5W1Hが不明であり、画面に映るたびに、思いつきで行動しているように見える。学校の教室でウケ狙いに走る陽キャのような。

「がおー!」なんて、あざとく叫ぶ武家の夫人なんて、もう全く理解できない。

『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。

彼はしばしば謀殺を進言していましたが、なぜ殺すのか、殺すことでどういうメリットがあるのか、いつも計算があった。

ああいう理詰めの言動で、彼自身の行動規範は説明されていた。

わけもなく叫んで誤魔化すような真似はしていません。

 

どうするバストアップ多用とエキストラ

大河に限らず、駄作にはある特徴があります。

主要な登場人物たちが、顔と顔を直接突き合わせていないとシーンを盛り上げられない――私はそれを「フェイストゥフェイスシステム」と呼んでいます。

映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です。

これをしばしばやらかすと、登場人物がテレポート状態になり、絵が単調になります。

家康と信長の出会いなんて、まさにそうでしたが、バストアップを多用するには理由があります。

所作を誤魔化せることです。

時代ものは特に所作の美しさが重要です。

『麒麟がくる』の長谷川博己さんや『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんは、和装ならではの立ち方、座る動きが美しく、主演は流石だと思えました。

『鎌倉殿の13人』第1回は、大泉洋さんの読経姿が洗練されていて、他の坂東武者とは違う、そりゃ政子もぞっこんになると引き込まれたものです。

むろん他の出演者も絵になるように美しかった。

それが今年はどうにもおかしい。

思い返せば2015年大河『花燃ゆ』では、上級武士の妻たちが、和室屋内でスタンディングパーティでもするようにずらっと立っている珍妙な場面がありました。

カナッペでも食べるのかと呆然としたものですが、今ならわかります。

女優クラスならともかく、エキストラまでの所作指導が追いついていない。和装で立って座ることができないから、スタンディングパーティ状態だったのではないでしょうか。

そして今年も、ぬぼーっと立っている場面が多く感じます。

昨年と比較するとわかりやすいかもしれません。

『鎌倉殿の13人』では、室内で複数名が座りながら協議をする場面が多くありました。エキストラたちがずらっと集まりながら座り込む場面も多かった。

それが今年は立ちっぱなしで、しかも妙な顔つきのエキストラが多い。いきなり切羽詰まっているのは?と感じるのは、そうした状況も一因です。

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