歩き巫女

どうする家康感想あらすじ

どうする家康に登場した「歩き巫女」当時の宗教観からズレてません?

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現代人の考える巫女と、歴史的な巫女は別のもの

先に一つ考えておきたいことがあります。

皆さんは巫女という言葉を聞き、『鎌倉殿の13人』と『どうする家康』、どちらに近い印象が浮かびますか?

おそらく、現代人の考える巫女に近いのは『どうする家康』。

『鎌倉殿の13人』はむしろ「恐山のイタコ」の方が近そうです。

千代が緋袴をつけて神社にいたら、絵的に馴染みますよね。

しかし、あのように現代の寺社仏閣で見かけるような巫女は、明治以降の職種であり、年末年始の高校生バイトだとしても何ら不思議はありません。

日本における神道は、江戸時代までと、明治以降の国家神道は別物です。

本来の巫女、いわば本物のシャーマンは、若くてお揃いの格好ではありません。

長年の修行と人生経験を感じさせ、見るからに何かがありそうで神秘的、そんな姿です。

名高く有名な巫女となれば、年配の方が多いものでした。

つまり、大河ドラマで言うと、リアリティ重視の『鎌倉殿の13人』に対し、現代の視聴者ニーズに合わせた『どうする家康』と言えましょう。

ドラマにおけるスタンスの違いがビジュアルでも明白になっているんですね。

しかし、『どうする家康』では、視聴者ニーズに合わせた結果、誤解を与えるようなシーンも見受けられます。

本證寺から始まった一向一揆です。

 


巫女が当時の寺にいるのはアリなのか?

『どうする家康』の一向一揆は、2022年夏以降、たびたび話題となってきたカルト宗教と意図的に近づけたように感じます。

実際、私だけではなく、そうした試みを賞賛する記事もありました。

◆【どうする家康】家康を苦しめた「三河一向一揆」脚本家の“カルト”描写に「現代日本にも通ずる」感嘆の声(→link

少し長いですが、以下の部分に注目しました。

 この回を観た視聴者からは、SNSで

《不入の権って今で言う宗教法人かな?現代でも年貢しこまた取り立ててやればいいのに(笑)》

など、宗教法人に対する各種税金の優遇策を重ね合わせた声が多数、上がった。

さらに、住職の説法や民衆が踊りに熱狂する描写に“カルト宗教”を連想する意見も多数見られた。

空誓上人の人心掌握スキルすげえな 現代のカルト教団の長もああやってマインドコントロールしていくんだろうなと》

《今日のどうする家康の一向宗のくだり、カルトってこうやって取り込まれていくんだな~~と肌で怖さを感じる演出ですごい良かった》

《空誓上人が放つ言葉は、現代日本にも通ずるわけで、政府が私利私欲に走るかぎりカルト宗教が生き延びるわよね》

劇中、家康から年貢を払わない理由を問われた空誓は、こう言い放つ。

「政をしている連中が阿呆だからだ。阿呆に銭を貢いでも、阿呆は戦にしか使わん。死に金じゃ」

視聴者が誤解をしていることが浮かんでくる記事でして。

まず【不入権】について注目しますと、単に寺社から年貢を取り立てられないというような内容ではありません。

ドラマでは、その説明を意図的に簡略化し、説明もボソボソと早口にすることで、混同させようとしたかにも思えました。

空誓上人についてもそうです。

ドラマでは家康よりはるかに年上で、胡散臭い年配男性のように描かれていましたが、実際は家康とさほど変わらない青年僧侶です。

意図的にフレッシュな青年像から遠ざけたのでしょう。

空誓上人
本證寺の空誓上人が家康と敵対!一揆を率いながら最終的には庇護までされた理由

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そして、お色気要素としての千代です。

劇中では、空誓上人が二度も千代に向かい、いかにも意味ありげに「後で来い」と命じるなど、宗教団体は好色で、いかがわしい存在だという描き方でした。

「宗教って、色仕掛けするじゃんw」と誘導するかのようで、何か特定の団体と近づけたい意図も感じたものです。

あるいは、仏教である一向一揆と、シャーマニズムを混同しているかのようにも思えました。

どの文化圏でも、シャーマニズムには性的な要素が含まれます。

巫女を模した埴輪には、性器と肛門を模した穴が開いていることは珍しくありません。

漫画『テルマエ・ロマエ』で知名度の上がった古代ローマの男性器を模した「ティンティナブラム」など、こうした性器崇拝は古代の宗教にはおなじみの存在といえます。

しかし時代が進めば、

「そんな原始的な崇拝はいかんでしょ!」

と、もっと理詰めの崇拝対象を掲げる、後発の宗教が出てきます。

ヨーロッパならばキリスト教であり、日本なら仏教もそうでしょう。

日本神話には、全裸で性器をあらわにして踊る神々がしばしば登場しますが、仏像はそうではない。

『鎌倉殿の13人』では、仏教の天部の像を真似てポーズを取る北条家の人々が出てきました。

あれを日本古来の神話で再現するとなると、裸になって乳房や性器を出すことになります。

豊作を願うための風習として、日本でも長いこと残されていたのです。

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