歩き巫女

どうする家康感想あらすじ

どうする家康に登場した「歩き巫女」当時の宗教観からズレてません?

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神道と仏教を混同しているのでは?

あらためて疑問を呈させていただきます。

『どうする家康』の一向一揆描写は、シャーマニズム要素が強い神道と、洗練されていた仏教を、混同していませんか。

『麒麟がくる』で天台座主の覚恕は遊女と戯れていました。稚児を愛する仏僧もいます。それはただの堕落です。

仏に仕えると綺麗事を言いながら金を儲け、立派な袈裟を身につけ、遊女と遊び、高い香木を焚く。

だからこそ「けしからん!」と劇中の織田信長は怒り、比叡山を焼き討ちしました。

それが時代考証に沿った宗教描写でしょう。

『どうする家康』の場合、戦国時代でありながら神道と仏教を混同しているようで、前提がおかしくなっているように見受けます。

「宗教ってなんかエロいでしょw ホラ、エロ神輿祭りとかあるっしょw」

そんなノリも感じさせます。

みうらじゅん氏が「とんまつり」と名付けた奇祭は、日本の風物詩であり、川崎市のかなまら祭りや、犬山市の豊年祭は印象的です。

しかし、いずれも金山神社と大縣神社の祭りで、仏教ではありません。

仏教寺院で巫女舞があるのは、境内内に神社もあるといった場合になります。

 

そこで浮かんでくるのが「日本人は宗教に寛容」という誤解です。

確かに日本では、クリスマスやハロウィンを受け入れ、楽しむ姿はそう思えるかもしれません。

しかし、現実には限られた話でしょう。

キリスト教由来は受け入れる一方、イスラム教のハラル食や礼拝についてはどうか。

寛容というより複数の宗教を同時に受け入れてきた歴史があるというだけで、それは日本だけでなく、同じ東アジアでは中国と韓国にもあてはまります。

日本の場合:「神儒仏」=神道・儒教・仏教

中国の場合:「儒仏道」=儒教・仏教・道教

日本人が、家の中に神棚と仏壇を置く。

中国人が、観音像を拝んだあと、関帝廟に行く。

といった状況ですね。

宗教勢力が牙を抜かれた江戸時代以降、それこそ神君家康の思惑もあって進んでいったわけです。

そう考えてゆくと、一向宗に巫女がホイホイと入り込み、怪しい動きをするというのは何かが混ざって、よくわからない状態になっている。

「宗教ってアヤシイじゃんw エロいお祭りあるじゃんw」というノリを感じてしまい、無神経な描写に思えてきます。

日本人はカトリックとプロテスタントを混同する傾向が強いとされます。

さらに神道と仏教を混同してよいのでしょうか?

もっとも、あの描写がフェアで、かつ現住職も納得しているのであれば、余計なお世話かもしれませんが。

◆「家康と戦った」本證寺 ドラマ制作陣が反映させた現住職の答え(→link

 

混同する弊害

この国はすべてのものを腐らせていく沼だ――江戸時代初期、キリシタン弾圧をテーマとした遠藤周作『沈黙』に出てきた言葉であり、流行語ともなりました。

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果たして「腐った」と言い切ってよいものか。

判断に迷うところではありますが、日本に伝播した思想や宗教は、本来のものとは異なっていくことが歴史的にも繰り返されています。

単純に、国民性ということではなく、島国という地理的な要因もあるのでしょう。

こと宗教に関しては、シャーマニズムである神道と混ざってきました。

『鎌倉殿の13人』では、仏僧である文覚がグネグネしながら、相手を殺す祈祷術を行っていました。

あの呪詛は神道要素も混ざっており、典型的な混濁です。

「葬式をする仏僧は、死者の世界にも近いわけだし、あの世に送る術くらい知っとるやろ」といった発想ですね。

文覚より真面目に見えた阿野全成は、初登場の時に風を呼ぼうとしていました。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と唱える九字護身法ですね。

ああした術は、中国の道教由来です。

日本の仏教は中国を経由しています。

インドから直接仏典が渡ってきたはずもなく、玄奘らが苦労して取り寄せ、漢訳したものが伝わった。

その過程で、仏教に中国のシャーマニズムである道教が混ざることがありました。

文覚と全成は、そうして色々と混ざっている仏教を実践する僧であるといえます。

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しかし、時代が下ると、「これは何か違うぞ……」と日本の仏僧も考えるようになります。

鎌倉時代に入ると、南宋に渡って本場の最新式仏教を学ぶ栄西のような僧侶も出てきました。

彼らは、あやしげな要素を整理し、漢籍を読みこなし、日本の仏教を洗練させてゆく。

禅宗は、中国要素を前面に押し出すことで、鎌倉武士たちの心を掴みました。

宗教は人を団結させます。

権力者にとっては利用価値があるため、仏僧は権力者に接近して、権力者も仏僧に応じる――そんな関係性が生まれてくるのです。

ゆえに戦国大名も宗教を避けていたわけではありません。

むしろ逆。

家康だって一向一揆を鎮圧後、弱体化させ、己の権力掌握に用いています。

そういう、時代ならではの宗教と権力のバランスを描けばよかったのに、『どうする家康』では

「どや! 宗教は昔からズルいんだ!ww」

と、単純化しすぎたように思えます。

きちんと考証しつつ、時代を超越させ、普遍的な宗教と権力の関わりを描く――。

そして視聴者に考えさせるよう展開にすれば良かったのに、なぜドラマではあのような描き方になってしまったのか。見ていて混乱された方もいたでしょう。

どうも2023年の大河ドラマ『どうする家康』は、歴史を描くというよりも、歴史をネタにして自分たちの描きたいものを描くという手法をとっているように思えます。

宗教との紛争を怪しいカルト批判に結びつけるだけでなく、側室制度もハーレムギャルゲーにされていました。

ただでさえ、昨今の宗教団体はカルトと混同されることに困惑しているのに、大河ドラマという日本人にとって特別な放送枠であのような演出をされたら心理的な影響を及ぼす可能性は否定できないでしょう。

日本史を侮辱しているようにすら思えてしまいます。

現代社会で問題となっているカルトについて学ぶのであれば、その分野の書籍なり、ニュースなりを参照にすべきでしょう。

話題性重視で雑に取り上げられ、大河ドラマの価値そのものが毀損してしまうことを懸念しています。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
川村邦光『ヒミコの系譜と祭祀―日本シャーマニズムの古代』(→amazon
森和也『神道・儒教・仏教 (ちくま新書)』(→amazon
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon

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