女性同士の同性愛

女性同士の同性愛を描いた春画/wikipediaより引用

どうする家康感想あらすじ

女性同士の同性愛は日本史でどんな扱いをされてきた?どうする家康考察

大河ドラマ『どうする家康』第10回放送で、驚きの設定が物議を醸しました。

徳川家康が側室にしていた“お葉”が「側室をやめたい」と言い出したかと思ったら、その理由が、同じく城勤めをしていた「別の侍女を好きになったから」というものだったのです。

突然出てきたお葉が突然「同性愛」の告白――とにかく唐突すぎる展開に、驚かれた視聴者も少なくなかったのでしょう。

その状況は早速メディアでも取り上げられ、「雑な同性愛描写」と指摘されると、

◆「どうする家康」お葉の設定は必要だった? 今期ドラマで急に増えた“雑な同性愛描写”への違和感(→link

さらには「あのシーンは必要だったのか?」と話題になりました。

大河ドラマにおける同性愛といえば、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』における源実朝が記憶に新しいでしょう。

あの表現は、実に巧みでした。

実朝には「世継ができない」という史実をもとにした前提があり、それが「跡継ぎの座を巡るいざこざから甥の公暁を凶行に走らせる」ストーリー展開に重要な役割を果たしたのです。

では『どうする家康』の場合はどうか?

というと、とにかく唐突すぎて、実朝のような必然性が全く感じられないからこそ、放送後に騒然となったのでしょう。

あるいは「男性の同性愛」と「女性の同性愛」といった性差も影響しているかもしれません。

そこで考えてみたいことがあります。

女性の同性愛は、日本史においてどんな扱いをされてきたか?

日本史の場合、男性同士の関係はよく知られますが、女性同士というのはあまり見かけません。

その歴史を振り返ってみましょう。

 

男女における同性愛の違い

男性同士の同性愛と、女性同士の同性愛。

一見、同様の関係に見えますが、現代でも社会的には数多の差があり、同条件で一緒くたにするのは問題があるとされます。

たとえば賃金格差。

同じ同性愛カップルにせよ、男性同士ならば収入が高くなる傾向が強く、パワーカップルになりやすい。女性の場合は、その逆となります。

女性でのみ構成される家族は、防犯といった面でも不利になることがあり、女性差別も考慮せねばなりません。

では歴史的にはどうか?

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、歩き巫女が源実朝に対し、平易なセリフで暗に匂わせていました。

「お前の悩みはどんなものであってもそれはお前一人の悩みではない。遥か昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな」

昔から同性愛者はいる――そう普遍的に示した内容であり、感動的だと評されたものです。

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一方で『どうする家康』はどうか?

お葉のような女性もいたはずだ――。

それは当然そうなのですが、問題は、その認知の仕方ではないでしょうか。

歴史的に、性愛についての語り手は、圧倒的に男性が多数を占め、その記録も残されてきました。

政治の中心にいたからです。

『鎌倉殿の13人』でも、劇中で必要がないため割愛されただけで、後白河院のように両性愛を嗜んでいた人物がおります。

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人々の生きた記録は、性生活も含めて権力が上になればなるほど残りやすく、男性主体の同性愛も史料に残されてきた。

ゆえに男性の同性愛は古くから認識されてきました。

一方、女性はそうではない。

彼女らの同性愛は権力がないゆえ認識されにくく、記録にも残りにくい。

女性同士の同性愛は「あってもなくてもよいもの」として、長らく透明な存在でした。

子ができるわけでもない。男性同士のように暴力的な殺傷事件が頻繁に起こることもありません。

放置しても問題ないため、記録にも残らないのです。

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女性が女性を賛美することはあったが

2024年大河ドラマは『光る君へ』となります。

女性同士の感情という点では『どうする家康』より、はるかに重要なシーンが数多く描かれるでしょう。

主人公である紫式部は宮仕えをする女性であり、そこには多くの同性がおりました。

紫式部は女房たちの容姿や性格まで、細やかに書き留めています。

ライバルとされる清少納言は、主君である中宮定子を情熱的に称賛していた。

嗚呼、こんなに素晴らしい女性が存在するなんて……と、『枕草子』で絶賛する動機や背景は、さまざまな解釈がなされています。

仕える者が主君を褒め、去り行く栄光を回想する――。

そんな描写から飛躍して、現代では「百合(女性同性愛)」としてパロディにした作品もあります。

それほどまでに彼女たちが情熱的だったのは確かであり、そこに性愛を認識すれば、自然とそうした作品になったのでしょう。

平安時代の貴族たちはしばしば、細やかな出来事を日記に残しました。

儀式の次第等、さまざまな手順を後世に残すことが重要だったからであり、そうした記述の中に、男性同士の同性愛がしばしば登場します。

後白河院の同性愛は、九条兼実が皮肉げに記したことからわかります。

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こうした記述で最も有名なのは、“悪左府”の異名で知られる藤原頼長でしょう。

頼長自身が記録に残したばかりでなく、ストーキングのような求愛を受けた相手までもが記述していたのですから筋金入り。

それと比べると、女性の日記からは明確な同性相手の性愛がうかがえません。

女性同士の同性愛がハッキリと記載されていれば「あった」と言いきれます。

しかしそれがないため、あったのか、なかったのか、詳細がわからないのです。

 

性愛バリエーションとしての女性同士の同性愛

日本最古の女性同性愛を扱った文学は、13世紀後半に成立した『我身にたどる姫君』の第6巻であるとされます。

様々な性愛のバリエーションの中で扱われ、嵯峨院の皇女・前斎宮が、相手に抱きついて伏しているという状態が描かれました。

あまりにくっつきたがる彼女に周囲がウンザリしていたところ、彼女はイケメン公達とあっさり深い仲になるという設定です。

江戸時代の17世紀後半に成立した井原西鶴『好色一代女』にも、女性の同性愛者が出てきます。

ヒロインの一代女が、お年寄りの布団の上げ下ろしをするだけの楽な仕事を発見。

おじいちゃんの相手なんて楽勝だと応募したところ、おばあちゃんがいたという設定であり、このおばあちゃんが「一度男になったつもりでお前を抱きたい」と、一代女に迫るのでした。

このように性的バリエーションの一種として、アンソロジーに女性の同性愛は出てきます。

江戸時代の春画(ポルノ)でも、女性同士の性行為を描いた作品が出てきます。

ただし、男性のように、性愛のバリエーションとして広く認識されていたわけではありません。

中世の日本における恋の悩みを記した願文をみてみると、美少年を手に入れたい男性のものばかりです。いわば性愛の最大手状態です。

戦国時代に来日した宣教師は、この状況に驚愕し、同性愛を禁じようとしました。

しかし……。

「は? できるわけないだろ。何言ってんだか」

と笑われたほど。社会的には、そこまで男性同士の同性愛が認知されていて、女性同士の同性愛とは、普及度や社会認知度で非常に大きな差があります。

また、性愛として認知されていたことと、権利の獲得や保証は別問題です。

あくまで性愛範囲だけが認められていました。

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