女性同士の同性愛

女性同士の同性愛を描いた春画/wikipediaより引用

どうする家康感想あらすじ

女性同士の同性愛は日本史でどんな扱いをされてきた?どうする家康考察

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近年のNHK時代劇で描かれた同性愛は

同性愛描写を大河ドラマで描くことがおかしいのではありません。

自らが原因で、子ができないと語っていた源実朝

妻を愛しながらも、男性としか深い仲になれないと思い悩むことは、歴史的根拠がないわけでもなく、プロットにも大きな影響がありました。

当時は性愛のバリエーションとしての男性同士の同性愛は広く認められています。

しかし、それでも将軍が子を為す責務も全うせねばならず、実朝は自分自身の葛藤を解決できないのです。その苦悩を描く意義はあります。

女性同士の同性愛描写が悪いわけではありません。

ドラマ10『大奥』では、将軍である綱吉と、その側近である柳沢吉保が描かれました。

吉保は幼い頃から綱吉を恋慕っていました。綱吉のそばにいるために、不本意ながらも綱吉の父・桂昌院による性的虐待にも耐え続けました。

それなのに思いが通じていないことに絶望し、最愛の人を我がものにするため手にかけるという、哀切な展開でした。

吉保は、女性同士である自分たちが結ばれるとは思っていなかったのでしょう。

抑えつけていた気持ち。それを綱吉が理解しないばかりか、右衛門佐だけが損得抜きで自分を愛していたと語ったことで、我慢の限界を迎えたのでした。

もしも彼女が思いを抑え込まずに済んでいれば、起こらずに済んだ悲劇でしょう。男女が逆転していても時代が追いついていないからこその描写といえます。

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こうした描き方と比較すると、『どうする家康』はあまりに軽薄ではありませんか。

好きな人が別にいるから、特権だけは受け取るけど、嫌な責務は果たさない。

さしたる後ろ盾のないお葉があっけらかんと告白し、それを家康の一存で決めてしまう。

正妻である瀬名の立場は?

別の子供を欲しがる於大の意思は?

こうした女性たちに逆らえない家康の様子が散々描かれてきただけに、整合性も取れていないように思えます。

百合でウケ狙いw

百合落ちなんてトリッキーww

側室選びでまさかの大爆笑www

そんなネットニュースも並んだものですが、歴史の中における女性同士の同性愛とは、そう簡単に扱ってもよいものなのでしょうか。

疑念ばかりが湧いてきます。

 

クィア・ベイティング:そう認識されないために

近年、批判される描写として【クィア・ベイティング】があります。

クィア・ベイティングとは、性的指向の曖昧さなどをほのめかし、世間の注目を集める手法といえます。

◆クィア・ベイティングは搾取か、それとも進歩の表れか(→link

◆「ウェンズデー」はなぜクィア・ベイティング批判をされたのか(→link

男性同士の同性愛が禁忌とされ、処罰まであったキリスト教圏とは異なり、日本では歴史的に【クィア・ベイティング】を古くからしてきたと言えるかもしれません。

武士の場合、「あのお方は主君と枕を共にするほど、信頼されていたのである」という顕彰の仕方がありました。

この男性同士の同性愛こそ、恋愛における手練手管の頂点とも言えます。

江戸時代、遊女は作り物の指を客に届けました。

相手を愛するあまり、自分を傷つけたというアピールです。これはもともと男性同士の求愛でなされていたことです。

深く思う気持ちを示すために、太ももや腕を突くこと。あるいは恋敵を殺傷することが“美談”として消費されていました。

もちろん本当に毎回そんな殺傷をしているわけでもなく、フェイクも混ざっていたのですが。

これをプロットに埋め込んだ大河が2017年『おんな城主 直虎』です。

男性を寵愛することが少なかったとされる家康が、例外的に閨でかわいがったという井伊直政

この関係を、性的なものではなく、二人きりで語り合うための場であったとして描いたのです。

なまじそういう歴史があるためか、曖昧な男性同士の同性愛を描くことに忌避感がない。

ゆえに【クィア・ベイティング】の何が悪いのかピンときていないのが、日本のコンテンツかもしれません。

大河ドラマでも【クィア・ベイティング】を客寄せ要素として喧伝した例があります。

2009年『天地人』です。

上杉謙信と景勝は、同性愛傾向が強い人物として知られています。

謙信と面識があったかどうかもはっきりとしない直江兼続ですが、謙信の寵童であったとするフィクションは多い。

そうした要素を用いて、公式がボーイズラブ(以下BL)漫画をタイアップとして発行しました。

2012年『平清盛』の藤原頼長は、時代考証的にも誇張が過ぎるうえに、異常性のあるBLでウケを狙うような描写が目立ちました。

当時は男性同士の同性愛はごく当たり前のことであり、頼長が異常だとされたのはその執拗性ゆえにです。それを同性愛そのものが異常であるかのような描き方で、不正確に思えたのです。

ファンダムも同性愛者を揶揄するネットスラングで盛り上がり、差別に澱んだ空気が漂っていました。

2018年『西郷どん』です。

あの作品の売りは「西郷隆盛はモテる」というものでした。

西郷のカリスマ性を「モテ」という現代の価値観に落とし込んだ、ひどい宣伝戦略といえます。

その「モテ」の中に男性同士も含めた結果、【西南戦争】が出来の悪いBLゲーシナリオバッドエンド状態になるという、酷いオチを迎えたのでした。

薩摩趣味(薩摩の男色)を大河ドラマ『西郷どん』で描くことはできるのか?

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2022年『鎌倉殿の13人』は、【クィア・ベイティング】にはあてはまらないと思えます。

番組の宣伝でそこを強調していたわけでもありません。

歴史的な諸説のひとつを用いて、粗雑なオチだの爆笑ネタとして用いていたわけでもありません。

そこまで進歩したのに、『どうする家康』では典型的な【クィア・ベイティング】に陥ってしまいました。

BL要素でウケ狙いをするというのは典型的。

まさか、

「BLだけでダメだっていうなら、百合も入れるかw」

といった安直な流れにしておりませんよね?

序盤からやけに目立った信長と家康の関係性からすると、

◆「どうする家康」初回 まさかのBL展開?台詞回しやCG“新しい大河”NHK会長も評価「価値ある挑戦」(→link

◆『どうする家康』は「BL漫画×コンフィデンスマンJP」なのかもしれない(→link

◆“俺の白兎”で話題「どうする家康」BLのようなセリフ連発!?腐女子「古のスパダリBLか?」(→link

◆一体何を見せられてるんだ…『どうする家康』がBL戦国絵巻で脳が追いつかない(→link

そんなことは無いとも言い切れないように思えるのが辛いところです。

どうするNHK、どうする大河ドラマ――。

もっとも、絶望するにはまだ早いのかもしれません。

「鎌倉殿の13人』や『大奥』もあります。

女性同士の同性愛を綿密に考証した『作りたい女と食べたい女』もよいドラマでした。

2023年は諦めるにせよ、2024年の大河ドラマがあります。

『光る君へ』では、丁寧な女性同士の関係性が描かれると期待を込めたいと思います。

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【参考文献】
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon
『新書版 性差の日本史』(→amazon
スーザン・マン『性で読む中国史』(→amazon
弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史: 家族史からグローバル・ヒストリーまで』(→amazon

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