目の前には、やや年上の“もと”という少女。
後の柳沢吉保です。
子曰く、「仁遠からんや。我、仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。」『論語』「述而」
「仁」とは、遠くにあるものだろうか、そんなはずはない。私が、「仁」が欲しいと思えば、「仁」はすぐここに来る。
無邪気で幼い徳子姫は、自分が思い続ければ仁が得られると思っていたのでしょう。
そこへ父の桂昌院がやってきます。
徳子は今日習ったところがおもしろいと語ろうとしますが、父は女に大事なのは器量と愛嬌、大奥中の男を恋させるようにと微笑みます。
父が去ったあと、親馬鹿だとこぼす徳子。
まだ幼い彼女は、父への不満をうまく言語化できないのかもしれません。
もとは、徳子が美しく、もし自分が男ならば側室にして欲しいと語ります。
徳子は冗談半分にあしらうものの、もとには隠しきれぬ情熱が見えています。
しかし成長した徳子は、吉保が桂昌院に組み敷かれていることを知ってしまいます。
泣く彼女をみて、思わず見惚れてしまったと謝る伝兵衛。
この伝兵衛との間にできた松姫は――。
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男が決める、女のこと
もしも松姫が生きていたならば、綱吉の人生はなんとかなったのかもしれません。
しかし、あの子は死んでしまった。
松姫を失い、右衛門佐の前でだけ、泣き叫んでいた綱吉。
翌朝には、その苦しみなど無かったかのように振る舞うしかありません。
ひっそりと愛し合っていた大奥の二人はどうなるのか?
厳しい処罰が必要だと語る右衛門佐に、軽くするよう命じる綱吉。
「男好きの名が廃る」と茶化しておりますが、それはどうでしょう。
綱吉は暗愚な主君として振る舞っています。そんな綱吉は、自分の知らない愛がある二人の姿が許せず、己の前で睦み合うように強制したのかもしれません。
しかし己の弱さを知られるわけにはいかない。ゆえに、愚かさで世間を欺き続けるのが、この哀しく聡明な女将軍なのでしょう。
綱吉は桂昌院に「生類憐れみの令をやめたい」と漏らします。犬の保護費用も嵩むとか。
江戸時代の犬についての考え方は現代と異なり、基本的に放し飼いです。
「犬」という概念そのものに放し飼いにするということが含まれていたようで、室内で飼う狆は「犬」でなく、別個の種類という位置付けでした。
ドラマ『大奥』で綱吉が抱いていた愛玩犬「狆」は奈良時代からいた
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放し飼いですので、数はいくらでも増えます。そのぶん適当に扱われ、子犬が余れば溺死させるような飼育環境であるからこそ、適正な頭数で保たれていました。
それだけに保護するとなると途端に増えすぎてしまい、費用の捻出も厳しくなる。
しかし、桂昌院は子作りのためなら金などいくらでもかかってよいという。
「既に月のものがないから営みを続けたところで無駄だ」と綱吉が打ち明けても、話が通じません。
なおさら神仏の力に頼らなければならないと力を込める桂昌院。家光と有功のことまで持ち出し、将軍のおつとめだと叱責してきます.
五代将軍綱吉の母・桂昌院が「八百屋の娘だった」という噂は本当なのか?
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素直な綱吉はそれを受け止めてしまう。
側で聞いている吉保が辛そうな表情を浮かべる。
実はこの場面、かなり野心的です。
原作では、月のものがないという言葉は、綱吉が桂昌院に向かって言う状況ではありません。それを変えることで、風刺の要素が見えてきます。
現在、妊娠出産や性教育、性犯罪に関する“有識者”の集いにおいて、高年齢の男性ばかりがズラリと並ぶ異常性が指摘されます。
なぜ、当事者でもないおじいさんが決めるの?
どうして勝手に代弁しているの?
他の国では、女性が決めることで、よくなっていることはたくさんあるのに――そんな批判精神を感じます。
そしてその対象となっているのは、何も桂昌院だけでない気がします。
聡明で、世の中を良くしたい気持ちがあるのに、素直すぎて抵抗すらしないで謝ってしまう綱吉。
そんな理不尽を辛い顔で見ているだけの吉保。
彼女らは、どうして無力で言われっぱなしなのか?
どうすればこの状況を変えられるのか?
愛と忠義
夜、綱吉と吉保が向き合っています。
季節は年の暮れ。綱吉は亡き姫のことを思い出しています。
あれほど豪華で妖艶だった簪も、打掛も、どこかさみしい、散りかけの桜のように思えます。
ここで吉保は、お目汚しだと言いながら太腿の傷跡を綱吉に見せつけます。
館林で一生おそばにおると誓った日に、つけた傷。吉保は自分如き存在では安らぎにならないだろうと断りつつ、そばにいると言う。
「何を今更」
綱吉がそういうと、吉保も微笑み返します。
太腿の傷は、別に二人だけの特別なものでもありません。
もともとは男色であった愛の誓いで、相手を思いながら腕や太腿を貫く。
「貫肉」や「腕引」と言います。
伊達政宗は「俺も若い頃は、酔っ払ったらともかく腕や太腿を傷つけていたんだ」と振り返っています。
「二日酔いです・遅刻しそう・読んだら燃やして」政宗の手紙が気の毒なほど面白い件
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辞書での定義は、江戸時代の遊女が行ったとありますが、元は男色の習慣です。
そこを踏まえると、吉保のこの行為は実にうまく描かれています。
愛と忠義が混ざりあっている。嗚呼、上様が愛おしい。ゆえに忠誠を尽くします――そんな武士ならではの愛がそこにはあります。
赤穂浪士にときめく江戸っ子
元禄15年12月14日――赤穂浪士による討ち入り事件が勃発しました。なんでも47人中42名が男だったとか。
吉良上野介という老女一人をなぶり殺しにする暴虐に、江戸の女たちはうっとりしている。あのお江とお美もメロメロ。
「嗚呼、男って……」
江戸っ子たちがそうドキドキする一方、綱吉は、老中たちが赤穂浪士を庇うことを一蹴します。
江戸時代だって民の声は聞こえているため、老中たちは世論の称賛に腰が引けている。
そんな様子に呆れるしかない綱吉。
老中たちは「生類憐れみの令を出しながら男子を大量に殺すのは矛盾する」という意見を述べます。
ならば打首ではなく切腹にせよとキツく言い渡し、綱吉は、以降、武家の男子継承を禁じることにしました。
「男を政に関わらせるがゆえ、かように血生臭いことが起こるのじゃ」
そう吐き捨てる姿は、春日局とは真逆ですね。
春日局は男がいなければ乱世になったら勝てないと懸念し、綱吉は男がいるから血生臭いことが起こるという。
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注目したいのは赤穂浪士事件を物語化した『忠臣蔵』です。
忠義だのなんだの、美談に仕立て上げられたのは、後世のフィクションなどの力。
実際は当時から「派手なパフォーマンスで仕官先を探したいのがバレバレ」とか、醒めた声もありました。
綱吉政治に不満があった町人が喝采を送ったからこそ、フィクションの題材にもなった。
「あんな老人を寄ってたかって殺してわけわからん!」
最近はそんなツッコミが勝りますが、時代背景も踏まえて考えないと理解しにくい話ですね。
ハリウッドで映像化された際は、老人なぶり殺しのイメージを薄くするべく、いろいろアレンジされました。
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