獲物を倒す斧。
肉を切り裂くナイフ。
主に食料確保に直結するものが多いですが、一方で雪と氷の地に暮らす人々は、足が埋もれないようにスノーシュー(かんじき)も開発。
これが更に発展して、後のスポーツにも繋がる様々な道具が生まれてゆきます。
雪の上を滑るためのスキー。
氷の上を滑るためのスケート。
更には物を運ぶためにも工夫がこらされ、生まれたのが“そり”。
樹皮、木の枝、動物の皮に、荷物や獲物を置いて引きずるのが始まりでした。
北欧神話の神々は、雪や氷を滑る移動手段としてしばしば“そり”を用いるほど。
ヴァイキングの「オーセベリ船」からも見つかっています。
そんな“そり”が、日本においてスポーツとして認知されたのは、ボブスレーの存在が圧倒的に大きいでしょう。
これにはジャマイカチームの映画『クールランニング』が大きく影響したと思われ、「大田区の町工場が作ったところ、突如ジャマイカチームにキャンセルされる」というトラブルがワイドショーなどを賑わせておりましたが、ともかく冬の五輪になると話題になりやすい種目であります。
しかしなぜ、そのような競技が生まれ、オリンピックでも注目されるようになったのか?
本稿では、そりの主要競技「ボブスレー・リュージュ・スケルトンの歴史」を見て参りたいと思います。
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スイスの温泉観光地から生まれた
前述の通り、そりはあくまでも運搬手段でした。
たしかに子供が遊ぶことがあり、大人でも『楽しいものだ♪』と記録した人もいましたが、スキーやスケートに比べて盛り上がりに欠ける存在であることは確か。
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ウィンタースポーツの本場、ヨーロッパでも、19世紀まではそんな状況でした。
風向きが変わったのは19世紀後半です。
この頃、スイス・サンモリッツのホテル経営者カスパー・バドラッツは頭を悩ませていました。
サンモリッツは、古くから温泉で有名でした。
19世紀後半ともなると、イギリス等の国から多数の外国人観光客が訪れるように。
ただし、冬期になると、十分な食料や娯楽を提供できなくなり、激減してしまうのが悩みでした。
当時はまだアルペンスキー術も生まれておらず、スキー場にリゾート客があふれるのは、まだまだ先のことです。
「冬の宿泊客向けに、何か娯楽があればいいんだけどなあ」
バドラッツがそう悩んでいたところ、イギリスから来た好奇心旺盛な旅行者たちが、物資運搬用のそりで遊び、競争を始めました。
「これだ!」
もしかすると、冬季観光の目玉になるかもしれない……。
そう考えたバドラッツは、そり、そしてウインタースポーツの可能性に気づきました。
19世紀後半は、スポーツ振興の時代でした。
そりも、その流れに乗って地元では人気を博していくようになります。
ただし、観光客には広まってはいない。
それこそが新たな可能性と考えたサンモリッツは『ウインタースポーツと観光の組み合わせ』という新たなアプローチを発案し、新たな旅行のあり方を誕生させるのです。
かくしてサンモリッツは、スイスで初めてスキーゲレンデリフトが整備され、後に2度にわたる冬季五輪の開催地にもなるのです。
ウインタースポーツの聖地と呼ぶに相応しい場所でした。
ボブスレーの歴史
では、ボブスレーを始めたのは誰なのか?
となるとアメリカ人のタウンゼントとも、イギリス人のスミスとも、複数の説があります。
ただ、二人ともスイスのサンモリッツ近辺を旅行した際、そりを改良したとされていて、発祥の地については間違いないようです。
ボブスレーという名前は、
「そり(sledge)を揺れ動かす(bobbing back)」
という動作からつけられました。
語源は英語なんですね。
初のレースも1884年頃(諸説あり)にサンモリッツで開催。1897年にはクラブも出来ておりました。
ただ、このころはまだ公道を滑っており、次第に危険視されるようになりまして。
1903年には専用コースが作られています。
そして1924年開催の第1回冬季五輪から、正式種目に採用されるのでした。
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