ドラマ大奥レビュー

ドラマ『大奥』公式サイトより引用

ドラマ10大奥感想あらすじ

ドラマ大奥感想レビュー第7回 学問を通じて恋を成就し死す二人

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ドラマ大奥感想レビュー第7回
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生きるということ、女と男ということ

綱吉が若い男と閨を共にしていると、おもむろに刃物を取り出し、彼女を殺そうとしました。

寸前のところで、それを止めに入る秋本。

取り押さえられた刺客は、これでもか、と罵倒し続ける。

男狂いの女狐! 世継ぎも産めぬくせに! 醜い老婆が男をくわえこんでいる! 犬公方! 口にせずとも誰もが死を望んでいる!

その言葉を綱吉はじっと聞いている。

右衛門佐と二人きりになると、綱吉は「甲府の手の者だ」と推測しつつ、刺客の言葉は正しかったと言います。

結局、己は何も継ぐことができなかった。善政も施せない。世継ぎは産めない。望まれたことは何一つできない自分はなぜ生まれてきたのか。

自嘲する綱吉は、そのまま右衛門佐を下がらせようとしますが、彼は目を逸らさず、下がらないと言います。

一人きりになれば命を断つつもりだ――。

笑い飛ばす綱吉の手をとり、右衛門佐は静かに強く言います。

「生きなさい」

疲れたという綱吉をさらに励ます右衛門佐。

「上様、生きるということは、女と男ということは、ただ女の腹に種をつけ、子孫を残し、家の血を継いでいくだけのことではありますまい!」

そう言われたところで、誰一人自分が生きることを望んでいないと泣きじゃくる綱吉。

と、右衛門佐が強引に綱吉の唇を自らの唇でふさぎ、狂おしく抱きしめます。人を呼ぶぞと言われてもこう返す。

「いやや、私の夢やったんや! もう死ぬというんならその夢叶えさせてもらう」

綱吉は右衛門佐を受け入れました。

翌朝、右衛門佐は上様に恋をしていたと語ります。一目お見かけしたときからだと続けると、綱吉は「よく言う」と返す。

あの漢籍を読み合う場面で、右衛門佐は恋に落ちていました。

ようやく綱吉も気づく。大奥に侍る男たちが恋をしていると言うのは、そのためだったのか。

代わりに語ってもらったと聞かされた綱吉はカラカラと笑い、もう少し早く打ち明けてくれればマシな自分を見せられたと言います。

右衛門佐は、子を為すための褥しか知らなかった。目的もなく女性とこうしているのは生まれて初めてだと。

ここにはなにもない。いるのはただの男と女。

「こうなったのが今のあなたで本当に良かった。なんという幸せか」

しみじみと抱き合う彼女と彼の顔には笑みが浮かび、涙がすっとこぼれます。

このあと綱吉は、老中たちを前にして、甲府の綱豊を後継にすると宣言します。

己の力不足を悔やむような、動揺の表情を浮かべる吉保。

桂昌院は娘に裏切られたと、綱吉を責め立てます。

しかし綱吉は将軍である私が決めたことだ!と取り合わない。

「この親不孝もんが!」と罵倒する父を振り切り、打掛を軽やかに脱ぎ捨て、その場を去ってゆく綱吉。

やっと、父のことを、度を超えて重荷となった孔孟の教えを脱ぎ捨てた――そう思えます。

「親不孝」とは、儒教からすれば最悪の不徳といえる。

その汚名を気にせずとも良いと、右衛門佐はそっと励ましてくれた。その彼に会いに行くのです。

しかし、右衛門佐は頭痛がすると眠ったきり、秋本が来た時には、既に息絶えていたとわかります。

穏やかな顔で、眠るように逝った右衛門佐でした。

 

『没日録』の記す噂とは

吉宗は『没日録』をめくります。

宝永6年に病死したという綱吉には、死にまつわる噂があったとか。

最期のときを迎え、右衛門佐の名を呼ぶ綱吉。枕元には吉保が座っています。

迎えにくるのは佐殿かと尋ねられ、綱吉はこう返す。欲得のない慈しみを教えてくれたと。

「佐だけがの……」

その言葉を聞き、静かに無念の涙を落とす吉保。

綱吉の顔に布をかぶせ、館林での誓いの日のことを思い出させます。

吉保に、父と何をしていたのか?と尋ねる綱吉。吉保は桂昌院に抱かれるしか、綱吉の側にいられる術がなかったと謝るしかない。

綱吉が、懐剣で吉保の太腿を突く。痛みどころか、うっとりとした恍惚の表情を浮かべ、一生仕える、裏切らぬと返す吉保。

「気づかれなかったでしょう? 私がどれほど嬉しかったか」

一生仕えることが天にも昇る気持ちだった。そんな私のどこに欲得があったのか。

そう訴え、綱吉の顔を覆う布をそっとはずし、彼女は言います。

「上様……もとはずっと上様に恋をしておりましたよ。幼き日よりずっと。誰よりも長く深く……佐とお会いになれましたか」

そう死せる主君に寄り添う忠臣――ここで記録は途絶えます。

『村瀬に確かめねば……』

吉宗がそう思った夜、村瀬は何者かに殺されてしまうのでした。

 

大河はかつてテーマが鼎立していた

大河ドラマの話をします。

最近は、戦国と幕末のローテーションだと揶揄される大河の枠ですが、かつてはその間に別の柱がありました。

江戸中期です。

これなら当たると満を持して投入された2作目の『赤穂浪士』以来、定期的に取り上げられてきたのです。

しかし1999年『元禄繚乱』以来、作られなくなりました。

日本文化や価値観が固まったこの時代が、なぜ空白なのか?

実は、ニーズが高まっているのでは?

『大奥』を見ているとそう感じますし、同時代の知識が抜けるのもよろしくはないでしょう。

本作は、この時期の価値観をうまく補ってくれています。

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