徳川家康は生涯に三度、死んでもおかしくないような危機があったとされます。
本能寺の変直後に強行した神君伊賀越え。
武田信玄とぶつかった三方ヶ原の戦い。
そして三河一向一揆です。
「一揆が生命の危機とは、さすがに言い過ぎでは?」
そんな風に思われるかもしれませんが、この戦いでは徳川の家臣たちも敵方に回る者がいて、戦う相手は単なる農民層ではありませんでした。
そして、そんな彼らの指導者だったのが空誓上人(くうせいしょうにん)です。
大河ドラマで『どうする家康』では市川右團次さんが演じていた、どことなく怪しさをまとった僧侶は一体何者だったのか?
慶長19年(1614年)7月5日はその命日。
史実における空誓上人の生涯を振り返ってみましょう。
蓮如の孫として生まれたエリート僧
僧侶は生涯不犯であり、子を為さない――そんな建前と必ずしも一致しないのが日本仏教の特徴。
空誓は、本願寺で名を成した蓮如の孫で、母は権大納言四条隆永の娘でした。
つまりは公卿の外孫でもあります。

蓮如/wikipediaより引用
永禄4年(1561年)、本證寺9世住職だった玄海が、加賀一向一揆に遠征して討死を遂げると、空誓が顕如の猶子となり10世となりました。
翌年には院家に列し、大僧都にのぼりつめていく……と、こうして経歴を見ていくと、まるで武家のようですね。
名家の子が家業の寺を継ぐ。
聖俗の区別はあまりないように思えます。
時代とともに変わりゆく武装仏僧
空誓の経歴を見ていく前に、当時の仏教勢力、一向宗について確認しておきましょう。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれた【承久の乱】では、僧兵たちが鎌倉武士の前に立ち塞がりました。

興福寺の僧兵/wikipediaより引用
その鎌倉幕府が滅び、室町幕府が成立してゆく中で、従来の荘園制度は徐々に崩壊。
各地で民衆が力を持ち、その中から国衆と呼ばれる在地武士団が台頭してゆきます。
徳川家康も元は三河の国衆・松平氏です。
一方、大寺院の権勢を背景にした僧兵たちは徐々に衰退してゆき変貌を余儀なくされ、南北朝末期ともなると、権力と神威を盾にした僧兵ではなく、民衆による一揆が起こるようになってゆきます。
一向宗による一向一揆と、僧兵による強訴は、似ているようで異なるのです。
ざっとまとめると以下の通り。
強訴:寺社勢力の権威と宗教性を背景にして、自集団の権力を守るべく武装して訴える
一向一揆:宗教の教えのもとに集い、民衆の生活向上(徳政や年貢減免)を目的として武装し訴える
寺社の権威を守るだけでは足りない――神威もそれに祈る民の暮らしあってのものではないか?
そんな意識の変化があり、僧兵はむしろ権威側に立つ者と見なされました。
一向宗では、出家した僧兵のみならず、在家信者も武力蜂起に組み込むことができるようになります。
彼ら庶民による武力は、僧兵よりも対処の仕方が難しいものとなったのです。

絵・小久ヒロ
『鎌倉殿の13人』に出てきた僧兵を思い出してください。
墨染の衣を着て、頭巾を被り、武器を手にしていた。いわば所属する寺院ごとに固まった集団と言えます。
それが一向一揆の場合は庶民や武士も混ざっていて、外からは判別が困難であり、徳川家康の家臣団から一揆サイドに加わる者が出てきても防ぎようがないことでした。
では如何にして、三河で大規模な一揆が起きることになったのか?
寺社が持つ守護使不入権を守れ
寺社仏閣には「アジール」という役割があります。
神聖なる領域のことを指し、たとえその人物が犯罪者や逃亡者でも、逃げ込んで来た者は保護する。
そんな特性から、国家による刑罰が確立していない時代には、人々の避難先として、多くの地域で見られました。
例えば『鎌倉殿の13人』では、公暁が源実朝を暗殺するとき、それに協力する僧侶たちもいましたが、彼らの中には平家の落人も含まれていました。
アジール=寺に出家することで、平家の罪から免れたと見なされたのです。
むろん、こんなことがそう何度も起きては危険極まりない。
ゆえに北条泰時はこうした動きを問題視して、御成敗式目では、僧侶が犯罪計画を企むことを防ぐため「熱心に勤めに励むべし」と制定しています。

北条泰時/wikipediaより引用
また、江戸時代には、夫から逃げたい妻が寺に駆け込むと離縁が成立する「駆け込み寺」がありました。
これもアジールの役割を利用した制度です。
社仏閣の持つ「アジール」としての性格は、フィクションにも見られます。
一例として歴史マンガに注目しますと、例えば『柳生忍法帖』にはそんな背景がありました。
あるいはマンガ『鬼滅の刃』の岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじま ぎょうめい)をご存知でしょうか?
行冥の寺では孤児たちが育てられていましたが、元々は、仏僧の慈悲にすがるため親が捨てていった者たちでした。
あらためて本証寺と家康に注目してみますと……。
永禄6年(1563年)に三河一向一揆が起こったのも「家康がアジールの領域へ踏み込んだから」という説があります。

徳川家康/wikipediaより引用
本證寺に逃げ込んだ犯罪者を、家康の家臣が捕縛したことが契機となった――そんな説であり、寺側が「守護使不入権の侵害である!」として立ち上がったというのです。
なお当時は「一向一揆」という言葉はなく、ただの「一揆」でしかありません。
「僧兵」にもあてはまることですが、武装した宗教勢力を区別するため、江戸時代以降に用いられるようになった用語です。
キッカケはなんにせよ、守護勢力を排除する「守護不入権」を掲げる寺は、とにかく家康にとっては邪魔な存在でしかありませんでした。
一揆に立ち会ってしまった空誓
今川家から独立を果たし三河を平定したい家康と、不入権をふりかざす本證寺。
両者の衝突は避けられなかったのでしょう。
気をつけたいのは「空誓が煽ったわけではない」ということです。
彼は三河出身でもなく、本願寺から赴任したタイミングで武力衝突が起きてしまったため、指導者に祭り上げられました。
民や信者の兵士と共に戦おう!
という軍事ありきではなく、要は偶然でしたが、地位と高貴な血がある空誓は、門徒たちから重んじられたことでしょう。
しかも当人は怪力で、甲冑をつけて戦ったとも伝えられています。

本證寺の堀と鼓楼/wikipediaより引用
血筋に加えて武勇まである――。
となれば武家としても軽んじることはできません。
空誓には影武者のような者までいて、彼を庇って自害したという話も伝わっており、民衆の心を掴む信仰心かどうかは不明ながら、力強い権力があったことは確実。
だからでしょうか。最終的に家康は、空誓の首をとるまで追い込んではいません。
泥沼の戦いの中、揆議が結ばれ、この後の家康は江戸時代の基本的な宗教対策を先んじるような態度をとります。
和議を結んだ後で一向宗を禁じたのです。
信仰の禁止というより、武力という牙を抜きました。
こうなるともはや空誓は三河に居場所はなく、退去するほかありません。
では空誓はどうしたか?
その後の動向は、天正8年(1580年)石山合戦で敗れた教如の援助により明らかにされています。

教如/wikipediaより引用
一向宗を根絶せず、共存する
家康は一向宗の教えが危険であると見なしながら、徹底排除まではしませんでした。
織田信長が本能寺の変に散った翌年、天正11年(1583年)には本願寺派の復興を許可。
家康にとっての義父である久松俊勝(於大の方の再婚相手)は一向宗の復興に力を尽くしていたとも伝わります。
本気で潰す気があれば、許しはしていないでしょう。
空誓も、徳川氏の庇護のもと、三河国内で地位確立をはかり、家康が江戸に向かうとそれに従ってゆきました。
そして家康の九男・徳川義直が尾張に入ると、清洲城で祝いの言葉も告げています。

徳川義直/wikipediaより引用
空誓の没後も本證寺住持は特権を保ちました。
例えば尾張藩の藩主交代に立ち会うだけでなく、江戸城の将軍謁見も許されるほどであり、家康は宗教勢力を叩き潰すのではなく武装解除し、支配下に置いたと見て取れます。
寺社勢力は、冠婚葬祭を司る太平の世に相応しい存在となりました。
当時の宗教と政治というと、どうしても、
・織田信長や豊臣秀吉らによる仏教勢力との対峙
・家光時代の島原の乱やキリシタン弾圧
といった激しい弾圧が思い浮かぶかもしれません。
家康の宗教政策は、信長や秀吉とは異なった面があることは念頭においた方がよいかもしれません。
しかし皮肉にも、家康のこうした政策を反故にしたのは、御三家の一つ、水戸藩主・徳川斉昭でした。

徳川斉昭/wikipediaより引用
斉昭は、仏教に難癖をつけ、藩にある寺社仏閣を破壊、鐘や仏像を鋳潰して大砲を作らせました。
こうした水戸藩の仏教迫害は水戸学を通して明治政府にも引き継がれ、廃仏毀釈という文化の大破壊に繋がっています。
明治になると、幕臣たちは苦々しく語り残しました。
徳川斉昭と慶喜の父子が、幕府崩壊の口火を切ったのだと。
そうだとすれば家康としても甚だ残念なことでしょう。
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【参考文献】
神田千里『宗教で読む戦国時代』(→amazon)
神田千里『一向一揆と石山合戦』(→amazon)
他





