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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第19回「お手付きしてどうする!」】
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どうするあほたわけ
瀬名チャンが「あほたわけ!」と叫ぶの萌え〜〜〜とでも言いたいのかもしれませんが、有村架純さんにこんなことをさせないで欲しい。
昨年の北条政子との落差が……。
どうする非嫡出子の認識
信康と亀の立場はどうなるの!
こういうケチの付け方が、ちょっと戦国時代のお勉強を頑張った子供のようで痛々しいです。
瀬名がお万を追い出したというのは確かにそうなのですが、お万の立場の子が、信康を脅かすという認識は変です。亀の地位にも関係ない。
一応、現代人っぽく浮気を嫉妬させないために、アリバイみたいなセリフを言わせたのでしょう。
脚本段階でどうにかできなかったのでしょうか。
お万の子は、活用のしようがある。そういうドライな判断を二人がせず、メソメソネチョネチョ言い合っても困ります。
このドラマって、『鎌倉殿の13人』における女性の立場と、現代人の目線をゴチャゴチャと混ぜてしまって、何が何やらわからなくなっています。
平安時代後期から鎌倉時代初期と、戦国時代後期ではジェンダー観も異なる。
ジェンダー観からの歴史の見直しが今一番熱いくらいなのに、どんしてこんな時代錯誤的で、間違っていて、無茶苦茶な場面を流すのか。
歴史なんかどうでもよくて、作り手の萌え要素をぶちまけたいだけに思えます。
そういうのは二次創作でお願いしますよ。
どうする戦のない世
お万のセリフもどうなのか。
女が為政者になれば戦がなくなる? って、そういうことではないでしょうよ。
地球の裏側では、織田信長と同年代のエリザベス1世が、スペイン艦隊を退けております。
「女性ならではの目線」というのは、褒めたつもりでもジェンダー観から入れるべきではありません。
一体いつの時代のジェンダー観なのか? 他にまっとうなドラマがNHKにあるのに、肝心の大河でこの調子では……。
そもそも、男女問わず、当時の人は「平和な世の中」をどう定義していたのか。
『鎌倉殿の13人』の場合、義時の少年時代はとりあえず平和でした。
和田義盛が嘆いたように“木簡を数えていたころの小四郎”は乱世を知らなかった。そんな彼らは泰平の世を目指すとなれば、進歩しつつ、そこへ戻すことを考えればよいのです。
では、家康周辺は?
彼らは生まれた時から乱世です。親の代も、祖父の代も……何代も乱世が続いています。
そういう時代に「平和な世の中にしたい」と語ったところで、男女問わず、ピンとこない。
これを踏まえた上で物語を始めたのが『麒麟がくる』でした。
あのドラマでは第1回放送で駒が、戦のない世には麒麟がくると語り、それを聞いた光秀がハッとした顔になります。
儒教朱子学が説く麒麟が到来する世の中は、戦がない――そこへ向かって、光秀は進む。
平和な世を知らないからには、教義を読み解き、自分なりの奮闘をするしかないのです。
それから数年でこれですよ。
「女子の優しい目線があれば平和が訪れるの!」
って、もう何もかもが嫌だ……このドラマには、麒麟は来ない……。
どうする夫婦
それにしても、家康と瀬名が語り合う場面が一番辛いかもしれませんね。
なぜかというと、成長がまるでないから。
二人はドラマ登場から何年たったのか。
見た目も精神もずっと同じじゃないですか。
どうするVFX
季節感もなければ、壁すら碌にない、使い回し場面はどうにかなりませんか。
雨風が絶対に吹き込まない、のざらし城って何でしょうか?
おまけにLEDスクリーンを使っていると見ていてバレバレなのは、どうしたものでしょう。
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