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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第39回「太閤、くたばる」】
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一体何の病気だったんだ秀吉は
秀吉のわざとらしい吐血は何でしょう。
病人にやたらと「吐血させとけばええやろ」ってセンスが、昭和で止まっていませんか?
そうか、パクリ回避か
先週末の予告編で衝撃だった淀殿のセリフ。
「秀頼は秀吉の子じゃない」
直後に高笑いする彼女の姿を見て、父親は誰だ? 一体誰なんだよぉ? とワクワクドキドキしながら待っていた方もいたでしょう。
なんなら今週は、その「答え合わせ」目的だけで見ていた方も少なくないかもしれません。それが……
「私だけの子だもん!」
って、なんじゃそりゃ!
しょーもない。あまりにもしょーもない引っ張り方でした。まさに予告詐欺とでも申しましょうか。
幼稚で短絡的で呆れ返るしかない。本当にどうしようもない“見せ場”でした。
どうしようもない本多正信
耳塚のことをハキハキと明瞭に説明する本多正信の姿には、どうしようもない嫌悪感しかありません。
この正信は演技が上手いと言いますが、果たしてそうでしょうか。
もちろん彼が上手いことには異論ありません。
しかし本作では、毎回まったく同じように「キレてクセのある平成テイスト名探偵」です。
「討ち取った首の代わりに耳や鼻を削いで朝鮮半島から日本へ送り届けた」
という耳塚の説明なんですよ。
想像するだけでおぞましい光景であり、どう考えても酷い所業だからこそ、耳塚なんてものが供養のために作られたのです。それを、
「ヤバいサイコパスの犯人が爆弾を仕掛けました〜、その解除はこの名探偵にお任せあれ!」
みたいな口調で説明されても、嫌悪感しか湧いてきませんて。
家康がちっとも歳を取らないから目立ちませんが、正信もいい歳です。それなのに、いくつになっても底の浅い平成の若造口調でよいはずがないでしょう。
どうして本多正信まで嫌いにならなくてはいけないのか。悲しくなります。
どうした千利休と秀次は!
結局、千利休は影も形も出てきませんでした。
茶道は秀吉の趣味としてかなり大事なものでしょう。
豊臣秀次もセリフ処理だけでした。
さぁ、哀れなのはどっちか!
千利休は北野映画『首』があるので、まだリカバリができる。
歴史的重要性からすれば、秀次の死をカットしたのは、やはりよろしくないでしょう。
特に、家康を描く上では、本当に重要ではありませんか?
秀吉が西国政権で、家康は鎌倉幕府以来の東国政権。この点が重要です。
だからこそ『鎌倉殿の13人』の最終回で、ロールモデルとなる『吾妻鏡』を読む家康が出てきた意味がある。
そしてこの秀次事件で、家康は伊達政宗や最上義光といった東国大名の取りなしをしています。
これを契機に、東国はますます家康に傾倒してゆくのです。
次回、家康が「天下人」になるなら東国を背負う様を見せていく方がいい。
しかし、このドラマは所詮「東夷」なぞ無視してよいとでも思っているのか、全くかすりもしません。
いや、振り返ってみれば中国(毛利)も九州(島津)も四国(長宗我部)も、ほとんど何も描かれませんでしたし、要は、歴史そのものに興味がないのでしょう。
そうだとわかっていても脚本家に問いたくなる。
なぜ大河ドラマに挑んだ?
どうした衣装は?
このドラマには不思議な点が多々あります。
脇役が無駄に甲冑を着てだらだら過ごしているような場面がある一方、主役は着用しなくなった。
初期の金陀美具足(きんだみぐそく)は、これみよがしに目立たせていた。
それが中盤以降、甲冑を装備している場面が極端に短い。
ではそれ以外は?
たとえば衣冠束帯のような衣装の場面もない。比較的着るのが楽で動きやすい装束ばかりに見えます。
この場面でこの装束は失礼ではないか?と思えるほど、くだけた格好なのです。
ちなみに近年の大河で際立って衣装がきつかったのは『鎌倉殿の13人』でしょう。
時代劇慣れをしている山本耕史さんですら甲冑が辛かったとか。
あの時代はやたらと長い弓を背負ったり、手にするため、それも辛い。
鎌倉時代の大鎧がしんどいからこそ、工夫に工夫が重ねられ、当世具足へと軽量化してゆきます。
そういう甲冑の変遷を見られるなんて楽しみだだなぁと、去年の今頃は思っていましたけれどもね……残念です。
ちなみに甲冑を着ると、用足しに大変な苦労があるとか。そういう裏話を聞くのも個人的には楽しみでしたが、今年はこの点も大変残念な事態に陥っています。
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