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どうする家康感想あらすじ

文春砲第二弾が出た『どうする家康』今度は何が告発されたか徹底検証

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どうする家康・文春砲第二弾を検証
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キャスティング権を支配する“暴君”

『どうする家康』では、松本潤氏がキャスティングにおける発言権を行使すると文春砲で明かされていました。

「そんな権力あるわけない」という反論も見えますが、同時に、関連報道も数多く見受けます。

例えば瀬名を演じた有村架純氏は、お気に入りだったとか。そんなお気に入りの女性が、性的暴行の危機に晒されるという展開には、疑念を感じましたが。

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佐藤浩市氏は2年連続大河出演で、かつ、松本潤氏とのつきあいを語っています。

佐藤氏から去年ほどの覇気を感じられないのは、出演を断りきれない事情があったからなのでしょうか。

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中村七之助氏は、演技そのものや、役に対するアプローチよりも、松本潤氏との友情ばかりを語らされ、見ていて悲しくなってきます。

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こうした記事は「松本潤氏のお気に入りだから大河に出演できたんだぞ」と欄外で語っているようで、友情を利用されているように思えます。プロ意識を感じさせないキャスティングです。

人間関係をそのままドラマに持ち込む手法は、確実に『どうする家康』を破壊しています。

瀬名を今川から奪還する話に2話も費やす。瀬名が中盤まで生きている。こうした瀬名への思い入れはペース配分を破壊しました。

家康と三成の政治的対立が描かれず、星の下で戯れる無駄な場面が入る展開は、関ヶ原の戦い前の緊張感を崩しました。

友達と仲良くしたいなら、画面の外でやればいい。

公共放送の大河ドラマで戯れるなんて、一体何を考えているのか。

それを止めない(止められない?)周囲の制作陣にも呆れてしまいます。

【追記】
松本潤氏が小栗旬氏に対し、最終回のサプライズキャストとしてのオファーをしたと報じられました。

この報道により、文春砲の信憑性が高まっています。

◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link

 


「松本さんが納得しない」という忖度

「松本さんが納得しない」

この言葉は、制作統括をつとめる磯智明氏の口癖だとされてます。

脚本から演出まで、とにかく手を入れたがる松本氏。

その一例として「表情で演じることを嫌がる」ということが挙げられています。

表情で演じることに、大河主演俳優が悩む――このことは2020年『麒麟がくる』でもあったことで、長谷川博己氏は脚本家の池端俊策氏と話し合いを重ねながら、演じていたそうです。

『どうする家康』では、どうもそうではない。

周囲と意見をすり合わせるのではなく、松本潤氏がコントロールをしていった状況が、この記事では明かされています。

そしてこれは謎解きの大きなヒントとなります。

公式サイトの「番組紹介」には、古沢良太氏が考えていた当初のコンセプトがあります。

個性的な家臣団と書かれていて、瀬名は名前すら出てきません。タイトルの示す通り、決断に悩むところが見どころだとあります。

しかし、家臣団は個性が消えてゆきました。

瀬名がやたらとクローズアップされて、中盤までダラダラと登場。当初のコンセプトから物語が変えられていることは、残された証拠から読み取れます。

脚本家の意図を大きく捻じ曲げることは、異例のことだと思えます。

文春砲の中には『鎌倉殿の13人』で三谷幸喜氏の作り上げる物語の世界を慎重に守り、小栗旬氏が口出ししなかったことも語られていました。

『麒麟がくる』の場合、見ていてそれが伝わってきました。

あの作品は脚本家がチーム体制であるものの、人物設定やプロットの整合性に矛盾はない。池端氏の構想をいかに崩さすに守るか、慎重に作り上げているように思えたものです。

むろん、池端氏とそれ以外の方の担当回は、異なる箇所があります。

池端氏は漢籍教養が高く、かなり難しい語句を使います。

それこそ受け狙いをするスタッフなら難易度を下げるように頼んだかもしれませんし、演じる役者が読めないと弱音をこぼして変えさせたかもしれない。そういう形跡があの作品にはありません。

あえて例外を挙げるとすれば、2013年『八重の桜』でしょうか。

あの作品は当初発表されていたプロットが後半の明治時代編から変わっていました。会津藩出身者が薩長側の言い分を代弁するような場面も、明治以降増えます。

そしてスタッフロールには、脚本担当者として山元むつみ氏以外が表示されるようになりました。その攻防はこちらとしては推察するしかないものの、何かがあったことは伝わってきたものです。

『どうする家康』の場合にせよ、この告発がなければ推察して異変を察知するしかなかったのでしょう。

 


時代考証の存在意義が問われる

大河ドラマの画期的な点は、時代考証をすることでした。

それがこの記事を読むと「看板に偽りあり」だと思えてきます。

記事にあるような脚本執筆の手順では、時代考証がチェックする余地がないのです。

当初から無理があるけれど妥協しているということは、複数の記事や発言から浮かび上がってくることではありました。

歴史の再現を期待するなら、別の番組をEテレで見ろと言った反論もあります。

しかし、繰り返すように大河の特徴のひとつは時代考証にあります。

それが時折逸脱するどころか、はなから機能していないのは問題ではありませんか。

ないならないとすればよい。しかしNHKは、時代考証を看板に掲げたイベントに許可を出し、出版物も出しています。

記事にあるスケジュールや制作の進め方では、時代考証のチェック機能は働かず、実質的に名義貸し同然となってしまう。それでよいのでしょうか?

 

磯氏の方が古沢氏より饒舌である謎

『どうする家康』の特徴として、制作統括をつとめる磯智明氏がやたらと目立つ点もあります。

2011年『平清盛』以来、彼にはコアなファンがついていたことは確かですが、あまりにやりすぎのような気がしました。

単なる目立ちたがり屋であれば、まだマシ。

私が気になったのは、ストーリーの根幹となる部分を磯氏がやたらと饒舌に語ることです。

「磯智明」でニュースを検索すると、たっぷりとネット記事が出てきます。

◆「どうする家康」いよいよ“第2章”に突入 制作統括が今後の見どころを解説(→link

◆「一番いいところを一番素直に届ける」NHK大河「どうする家康」制作統括・磯智明チーフ・プロデューサー(→link

特に異常だと思えたのは、瀬名についての弁明でした。

瀬名は磯氏が思い入れたっぷりに語るほど、魅力的な人物像とも思えません。むしろ苦しい言い訳に聞こえます。

◆ 山殿最期に1000人涙 中区で大河PV、トークショーも(→link

一方で、「古沢良太」でニュースを検索しても、『レジェンド&バタフライ』の記事が1ページ目に出てくるほど、大河関連の記事が少ない。

◆ 古沢良太「木村拓哉のラブストーリーが大好き」 日本屈指の政略結婚カップルを描く(→link

脚本家の疲弊について、NHK大河チームがピリピリしていることは推察できます。

2019年『いだてん』の際、宮藤官九郎氏は「書きたくもないのにNHKからいきなりオリンピックの資料が届けられ大河に指名された」と明かしてしまいました。

彼が荒れた様子で街にいたというニュースまで出回っていました。

これに危機感を覚えたのか、宮藤氏の報道は夏以降に消失。それでも私は、年前半に彼が語っていたことは信憑性が高いと思えたものです。

宮藤氏の雑誌連載を読んでいると、スポーツの話題がほとんどない。オリンピックが開催されていようと論じることがほとんどない。

ああ、彼はオリンピックに興味がなかったんだな。そう腑に落ちたものです。

今年はそういう不協和音を出してはいけない。NHKも対策は抜かりないだろう……と思っていたところで文春砲が連発しており、決して盤石ではなかったことが明るみに出てしまいましたね。

視聴率は低下。話題にもならず、人気は凋落の一途。

そんな苦境をごまかすアリバイ対策なのでしょう。今年は大河関連のトークショーや講演会が多く開催されています。

『鎌倉殿の13人』の場合、小栗旬氏の提案もあったとされますし、人気を受けてのことだと納得できました。

私も数回参加しました。遠い中はるばる推しの団扇を持って参加する方からは熱気を感じたものです。

今年はそうした熱気はなく、言い訳じみたイベントにしか見えない。その一例がこちらですね。

◆ 小田原に『どうする家康』がやってくる。10月1日放送の37話で豊臣の北条攻めが進むことを受けてパブリックビューイング開催。ドラマ制作者のトークショーも!(→link

パブリックビューイングなんて、いかにも派手な言葉で着飾っていますが、イベントの席数はなんと50です。

500じゃありません。

50です。

ニュース映像を見て、こじんまりした会場に私は驚きました。『鎌倉殿の13人』のトークショーとまるで違うではないですか。

それでもカメラワークを工夫して、大盛況であるかのように見せるニュース映像には言葉を失うしかありません。

一体そうまでして虚飾する理由は何なのでしょう?どこまで追い詰められているのか?

講演会参加者のSNS投稿を読んでいると、大河ドラマの低評価の部分について、脚本家の構想だと語る関係者が見えてきます。

しかし、文春記事が事実であれば、脚本家はむしろスケープゴート。

意図的かどうかは横に置くにせよ、随分と酷いことをするものだと驚愕しました。

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