とわは家を密かに抜け出し、眠るためにあばら屋へ。
藁の中に潜り込んだ矢先に驚いたのは、先に寝ていた男でした。
とわは相手を疑いませんが、見ている側からすると「悪人ではないか」とハラハラするのではないでしょうか。
男は空腹のとわに粥を食べさせるものの、一方ではとわの持ち物を探っており、一体何を考えているのかわかりません。
とわは男に嫁御はいないのかと無邪気に尋ねます。
ここで男は、村に養われているだけだと答えます。
村落同士で争いが起こり、死者が出た場合に、身代わりとして差しだされるために生かされている存在なのです。
『真田丸』の村落間の争いでは、暴力沙汰とはいえ刃物は使わず、相手を追い払う程度にとどめていました。エスカレートして死者が出ると、いろいろ困るからです。
彼の身分についてとわは軽く流していますが、現代人からするとかなり恐ろしい生かされ方だと思います。
彼はいついつまでの命とわかったうえで、最低限の生かされ方をしているわけです。
ほのぼのとした子役の成長物語と見せかけて、昨年同様なかなかヘビーな時代背景を盛り込んできました。
こういうのが私は大好物です。
男はとわを探す人々の姿を見て、相手の正体を悟ります。
これはチャンスだと目を輝かせる男。果たしてどうなるのでしょうか。
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人の好い直盛ですら簡単に処分しようとするほどの軽い命
翌朝、井伊家の屋敷にあの男がやって来ます。傍らには袋に入れられたとわの姿が。
男が喜んでいると、直盛は男を斬首するよう言いつけます。男は誘拐犯だと思われたのでした。
人のよい直盛も厳しい顔で処断しようとしますが、とわが説明してなんとか止めます。
可哀相だからやめて欲しいではなく、とわが理由をきっちりと説明、粥もくれたと言うところは好感が持てます。
男は礼金をもらい、ほくほく顔で井伊家をあとにするのでした。
とわが家出したことに千賀は怒り、平手打ちをします。
この場面でも直盛より千賀が厳しい態度です。
とわは自分さえいなくなれば婚約が解消できると思い家出したと、涙ながらに思いの丈を語ります。
亀之丞が可哀相だと大泣きするとわ。自分の気持ちよりも、相手の気持ちを考えて無茶をするところはやっぱり好感が持てます。とわへの好感度が上がります。
直盛と千賀は、とわが婚約を受け入れねば井伊家の皆が困るのだと説得します。
子供だから従えと強く言うわけではなく、ちゃんと納得できるように説明するあたりが、直盛の優しさです。
しかしとわは親の心子知らずで、「婚約を解消できないなんて父上も母上も阿呆ではありませんか」と口を滑らせます。
千賀は娘を抱きかかえると、そのまま厳しく部屋に閉じ込め、勝手に開けたら首が飛ぶとまで乳母に言います。
その態度に直盛も厳しすぎるのではないかと戸惑います。やはりこの夫婦、母親の方がリアリストで厳しいようです。
部屋に閉じ込められたとわは、どうすれば婚約を解消できるのか考えあぐねています。
鼓を拍ち、亀之丞を思うとわ。このあと彼女は、ある行動に出ます。
なんととわは、自ら髪を切ってしまっていたのでした。娘の行動に直盛も唖然とする他ありませんでした。
先週に続き、とわの行動に周囲が驚くところで話は終わります。
MVP:あばら屋の男=解死人
昨年と今年はセットで二度おいしいと書いて来ましたが、彼は昨年の「農民同士の小競り合い」や「鉄火起請」を補完する存在です。
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『真田丸』では隣村の者同士が、資源をめぐって小競り合いをしていました。
あのような争いでは、武力行使して争うものの、死人は出さないように気をつけています。
もし死人が出てしまった場合、加害者側が人を差しだして話をおさめるほかありません。
他の地域や国では「死者一人につき牛三頭」というように、死者の損失を財産で補うことがありました。
しかし中世の日本では、人の命は命でしか等価交換できないのです。
そうなった際に差しだすために、彼のような流れ者、身よりのない者が村落で養われているわけです。こうした人たちは、「鉄火起請」の際に差しだされることもありました。
もちろんそんな人でしたから命も極めて軽いわけで、一見温厚そうな直盛ですらあっさり首を刎ねようとするわけです。
とわの言葉によって彼の命は救われますが、直盛がもっと厳しい性格であれば斬首されていたと思います。
彼の存在によって命が公平ではないこと、命が軽いこと、そうした厳しい時代背景に深みが出ます。中世世界への案内人として秀逸な存在でした。
編集部注:あばら屋の男=解死人(後の豪商・瀬戸方久)
総評
今年序盤の見所は子役時代が長いことで、幼いとわはじめとする三人が、どのようにして人格形成されているかがポイントです。
時代背景描写も、肝心の井伊家の動向が昨年ほど大きく動かないので、あまり描けないわけです。
そして二話まで見た感想ですと、この三人の運命や道筋がこの時点でみっちりと、それぞれの小さな心に宿っているのが面白いと思いました。
くどいようですが、昨年と今年は二度おいしい、補完的な構造をしています。
直虎にはまだ幼いながらも、この時点で中身がシッカリとあります。芽吹いた心がこれからOPで映される芽のように、ぐいぐいと伸びてゆく魅力があります。
しかし昨年の真田信繁(幸村)はその点、「魔法の鏡」でした。
彼はあくまで器であって中身はなく、彼は周囲の人から影響を受け、受けた相手の理想通りに動いていました。
石田三成に心酔しているころには豊臣政権による泰平の世をめざし、三成が亡くなったあとは父・昌幸が取り憑いたように乱世の残滓と戦いを求めていました。
中身がない人間というとつまらないように思えるかもしれませんが、それが彼の特徴であり魅力でした。
自分が見たい理想の像が映る鏡なのですから、魅力があるのも当然です。それとは逆で、くるくると変わる人間としての性格が掴みにくいと思う人もいたかと思います。
本来ならば、昨年と今年の主人公は逆でもよいはずです。
男性は確固たる己を求められそれを発揮するのがよしとされがちです。
一方、当時の女性は未婚の時には父親、結婚後は夫、夫が亡くなれば息子の色に染まりきり、彼らの意向に従うことが理想とされます。現代のヒロイン像としても、そんな女性が求められがちです。
ところが昨年も今年も、そうした男女はこうあるべきだという価値観や、定番を外してきています。
こうした定石の外し方が、先週書いたモヤモヤ感の一因かもしれません。
しかし特にひっかかることもなく、さらりと見て流せるドラマよりも、かえってよいのかもしれません。
まだまだこの作品が傑作になるかどうか判断は保留しますが、丁寧でいて計算しながら定石を外すこの味わいには魅力を感じています。
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【参考】
おんな城主直虎感想あらすじ
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』公式サイト(→link)