『おんな城主 直虎 完全版 第壱集 [Blu-ray]』/amazonより引用

おんな城主直虎感想あらすじ

『おんな城主 直虎』感想レビュー 魂の総評【チャトラ編】※前編

2017/12/24

こんにちは、武者震之助です。

最終回の放送以来、直虎のことを思い出そうとすると、どうにもボーッと魂を抜かれたようになってしまい、総評どころではありませんでした。

今年の大河は、始まる前から密かな期待は抱いておりました。

ポスターの直虎があぐらを掻いていて、目つきがとても鋭い。

それを見た瞬間「あっ、これはいいかも」と感じたのです。

とはいえ、序盤はどう評価したらよいかわからなくて、どちらに転ぶかわからないとも感じていました。

それが春先、直虎が城主となるあたりから

「絶対にこれはよくなる! この調子で変なテコ入れをせずに突き進んだら凄いことになる! あと、みんな絶対政次ロスになる」

と確信するようになりました。

正直、この時点では叩き記事が多く、編集部に無理をお願いして「四分の一時点で総評」まで書かせていただきました。

4分の1が過ぎた『おんな城主 直虎』は刺さってる! 国衆&女性ストーリーは未来への架け橋に

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「今年の大河は『マッドマックス 怒りのデスロード』みたいなものだよ!」と書いたことを覚えています。

そして『その通りだったなぁ』と今なお感じています。

視聴率が低い点でも同じで、『マッドマックス 怒りのデスロード』もファンの熱量は高かったのに、興行収入はふるわなかったんですよね……。

どちらも熱い女戦士が駆け抜けた傑作だと思います。

さて、前置きが長くなりましたが。

今年は二回に分けて、にゃんけいにあやかり【チャトラ編】【キジトラ編】にしたいと思います。

今回は、褒めることしかありません。

その分ものすごくうっとうしい、ファン特有のウダウダした文になると思いますので、そういうのが苦手な方は大変申し訳ないと思います。

 


主人公そのものに感じた魅力

今年について振り返ってみて、まず思うのが、自分がどれだけヒロイン好きになれたかということです。

大河ドラマの主人公が大好きだというのは、あまり感じないものです。

昨年の『真田丸』そのものは好きですが、真田信繁自身は魅力的ではありませんでした。

昨年も書いたことですが、彼にはあまり自分自身の強い意志や特性がなく、その時一番身近にいる人の意見を反映していました。

それが、国衆の二男として生まれ、父や兄のために生きる宿命であった彼の限界であったとも思います。

その点、直虎というひとは、第一回からこうという芯があって。

それは何かというと、人の命を救いたくて奮闘することですね。しかも、それが成功することもあれば、小野政次のように失敗することもある。

冷静に考えれば、打率は低いのです。

それでも、結果がわかっていても突き進む。そんなところが魅力的でした。

その様子を一年間見ていたからこそ、最終回で自然を機転で救うところは感無量でした。

 


己の生き方は己で決めるからこそ

直虎は女性だからこういう生き方をすべきだという規範を、ことごとく無視するという点でも斬新でした。

酔っ払って槍をヘシ折り、龍雲丸にからみ、金がなければ方久からぶんどるという、元がお姫様とは思えないワイルドさです。

序盤で畑から盗んだ野菜を、泥がついたまま食べているところからして、このヒロインは何かちょっと違うな、と感じてはいたんですね。

そしてラストまで南渓と、

「願いが叶ったら酒を飲むぞ!」

と言い合っていたので、ある意味安心しました。

そんな彼女ですから、当然、最愛の人と結婚して、子供を産むという選択肢すら外してきます。

両思いだったイケメンの幼なじみが、自分と結婚しようと言ってきて断ることはなかなかできないと思います。

それでも考えたうえで、断ったのは自分の道じゃないと判断したから。

本編では黴びた饅頭に喩えていて、自分でも割り切っていないところがあったんでしょうけれども、隠し里で妻となり母となり、直親の帰りを待つ人生は私の歩む道ではないという思いがあったんでしょうね。

直親のプロポーズを断る一方で、龍雲丸を受け入れるのも、直虎らしさだと思います。

直親はありのままの彼女ではなく、隠し里で生きる別の女になれば妻にすると条件をつけました。

しかし、龍雲丸はありのままの彼女をまるごと受け入れる、ありのままだからこそ好きなんだという態度がブレなかった。

直虎みたいな人は、モテテクとか媚びとか、そういうことを考えるとドツボにはまって頭が爆発するタイプではないでしょうか。直虎は猫のような人で、しつけなんかできないのです。

 

猫のようなキラキラした目、凛とした声、お茶目な笑顔

そんな直虎のキャラクターは、柴咲コウさんが演じることで完成していました。

猫のようなキラキラした目、凛とした声、お茶目な笑顔。

城主時代は元気よく、万千代を見守るようになってから威厳がありました。透き通った歌声は、謡い曲とサウンドトラック収録曲で魅力を発揮しました。

直虎の魅力を引き出していたのは、演技だけではありませんでした。

直虎は国衆の姫という出身身分もあってか、全体的に地味な衣装でした。

尼の時代は墨染めの衣。

城主時代はシックな色合いのシンプルな裲襠や袴姿。

農婦時代は地味な野良着。

それでも直虎の美しさや魅力は十分に発揮されていました。

中でもはっと目が覚めるほど美しかったのは、中野直之の衣装を着て男装をした時と、甲冑を着て兵士に紛れ込んだ時です。

どちらも男姿でした。

柴咲コウさんは、淡いパステルカラーよりも、ダークで落ち着いた強い色合いが似合う顔立ちなんですね。

臙脂色、紺色、黒の衣装は、彼女の魅力を引き立てていました。

「女性大河だからと、綺麗な衣装をキラキラと着せ替え状態で着せればいいってもんじゃないだろ!」

と、以前の路線をキッパリ否定し、各人似合う衣装を着せていたことは大変素晴らしかったと思います。

 


女性陣の誰もがそれぞれに役割を果たしていた

他の人たちも同様で、年配の寿桂尼はパステルカラーの頭巾、若い高瀬にもシックな色合いの着物を着せていました。

単純な若さやイメージではなく、着る人の顔色や個性にあわせた色合いを用意しておりまして、衣装が大変頑張っていたと思います。

手強い敵でありながらも規範となり、時に直虎を励ます存在でもあった寿桂尼。

優しさだけではなく、しっかりと実務をこなすことで戦国女性の働きを示した祐椿尼。

キレる恋敵からしっかりと成長して、我が子との別れにも気丈だったしの。

政次のことも直虎のことも敬愛していた、なつ。

スパイと姫という二つの顔を見せた高瀬。

誇り高く、覚悟の上で散っていった佐名と瀬名の母娘。

中でも於大は、孫を死なせるように我が子の家康を諭すという、普通ならば逆転しているような、戦国女性としての悲しい役割を果たしていました。

ここであげなかった女性たちも、皆強く彼女らなりの魅力をしっかりと持っていました。

彼女たちの交流も素晴らしい。

一人でも素晴らしい人が複数になるのですから、相乗効果が発生するのは当然です。

拳で殴り合うように対立し、好きだった男をスケコマシと罵ることで団結した直虎としの。

腹の底を探り合いつつも、相手を尊敬し合い、こんな関係でなかったらと悩みつつ対峙する直虎と寿桂尼

乱世の中でただ流されまいと、手をとりあっていた直虎と瀬名。

誰もが力強く、一生懸命生きていました。

美しいヒロインも、優しく癒されるヒロインもいたけれど、こんなに厄介で刺激的なヒロインって、今までいたでしょうか?

 

ヒロインが槍でぶっ刺す乙女ゲーがドコにある!?

はじめから井伊直政を主役にすればよい、という意見もありました。

知名度が低いため、視聴率が低かったという意見もありました。

◆NHK大河『直虎』12.8%で史上ワースト3! 「雑な乙女ゲーム」「主人公が無名」の批判(→link

しかし、こういう記事は、無視してよいのではないかと思います。

日本史を学んだ人なら(というか日本人の)ほとんどが知っているビッグネームが主役でも低視聴率だった『平清盛』、知名度が高くない天璋院篤姫が主役だった『篤姫』が高視聴率であったのは一体どう説明するつもりでしょうか。

もう一つ、上の記事に突っ込ませていただくと、

「ヒロインが、男性キャラを槍で物理的に攻略する乙女ゲーがあるんですか?」

と言っておきたいです。

イケメンが次から次へと惨殺される、こんな欝シナリオの乙女ゲーってドコに売ってるんです!

私はむしろ、知名度が低い女性でも、しかも妻でもなければ母でもない女性(一時、龍雲丸の妻ですが、架空キャラの妻ということでノーカウントで)。

それでいて、これだけ説得力のある歴史ドラマとして成立したのだから、むしろこれこそ偉業だと言いたい。

素晴らしいチャレンジでした。

 

史料が少ない不利を物語の魅力に転じる技巧ぶり

本作は知名度が低く、史料が極端に少ないということを逆手に取った自由度の高さも魅力でした。

歴史上の重要な出来事にも、さりげなく違和感がないようにいあわせ、接点を持たせる超絶技巧には、終盤、毎回驚かされました。

前半は本格的な大河ドラマとは色合いがことなり、地味な展開も多く、若干中だるみもありました。

それでも、無名の主人公だからこそ、民の暮らしや苦しみに目線を向けることができたと言えます。英雄だけではなく、民衆も時代を作ってきたことがよくわかるドラマでした。

直虎を主役に据えるメリットは、劇中でも説明されていました。

誰かの妻でもなく、母でもない、そんな生き方だからこそ、様々な人の生き方に目を向けることができた——それこそ、本作が切り拓いた大河ドラマの新たな地平です。

直虎の高すぎる自由度を補っていたのは、竜宮小僧をはじめとした伝奇的な要素でした。

人ではない何か、あやかしの力が本作では働いてきました。

最終回で万千代の笛が、井伊谷へと勝手に持ち去られたような展開です。

こうした現実とあやかしの境界性を薄くする効果が、物語の魅力を増していました。

もしかしたら、不思議な力が働いて、直虎が時代を動かせたのかも……そう信じたくなるのは、ずっとこの不思議な力がそこにあったからです。

 

真田信繁「井伊にもここに至るまでの物語があるのだろうな」

昨年の『真田丸』で、以下の台詞がありました。

高梨内記「あそこにも赤備えがありますぞ」

真田信繁「あれは井伊直孝の陣。かの井伊直政の次男坊じゃ」

高梨内記「井伊でございますか」

真田信繁「向こうにも、ここに至るまでの物語があるのだろうな……」

高梨内記「一度聞いてみたいものですなぁ」

このやりとりは粋な来年へのエールとして話題となりましたが、今年きっぱりと、このエールにここまで見事に応えるとは思いませんでした。

昨年と今年は、時系列では逆となるものの、連続性のあるドラマです。

二作セットで見ると、より楽しめて、しかも納得できる作りとなっていたのですから驚嘆。

昨年の『真田丸』において、真田信繁と対峙した徳川家康は、戦の中で輝く者を否定すると宣言しました。

さほど接点も遺恨もない信繁相手に、なぜ家康はあそこまで敵意をぶつけるのか?

家康がそこに至る経緯を、今年は描いていたのです。

昨年の真田昌幸、そしてその遺志を継いだ信繁の父子は、侍たちのゲームを楽しむ側の人間でした。

騙しあい、殺し合い、自分の命すら賭けの駒とするスリルを、笑顔で切り抜けるふてぶてしさがありました。

今年描かれた武田信玄もあきらかにその側の人間で、ライバルの死を「死におった♪ 死におった♪」ダンスで喜ぶ姿はじめ、禍々しいほどの嫌な輝きを見せ付けてきました。

あの戦が楽しくて仕方ない様子は、まさに真田昌幸が師とあおぐ人物でした。

 

「こんな世は終わってくれ」と悲痛に暮れる戦国の人々

一方で今年は、侍たちのゲームに苦しみ、涙と血を流し、こんなものはもうごめんだと心の底から思った側の人間が大勢出てきました。

第一回、井伊直満の首桶がドンと幼い亀之丞の前に置かれたことを覚えています。

その瞬間、今年は何かとんでもない残酷さを突きつけてくるのではないか、という予感がしたものです。

その予感は、当たりました。

井伊直満の首桶に始まり、ぼやけたロングショットで映された武田勝頼の梟首まで、今年は首だらけでした。

井伊直虎はじめ井伊一族と家臣、徳川家康、今川氏真ら、そうした人々は悲鳴のように「こんな世は終わってくれ」と言動で表現してきました。

ああ、そうなんだ。

こういう人々の思いを山ほど家康は背負っていたからこそ、全力で信繁に立ち塞がったのだと、何度も納得しました。

 

戦の不条理をキッチリ理解した上でこれを否定する

「どうせ女大河だから、“戦はいやでございます!”とか連呼するんでしょう?」

そう鼻先で笑っていた視聴者もいたでしょう。

本作はイヤというほど執拗に戦国という世の残酷さを見る側に叩き込みました。

腹をボディブローで何度も殴られたような衝撃を受け、涙すら流しながら、

「い……戦はいやでございます……」

そう、うめいた人も多かったのではないでしょうか。

直虎は何度も「これも武家の習い、世の習いじゃ」とつぶやいています。

周囲からそう言われることもあります。

本作が「戦は嫌でございます!」大河とは一線を画するのはまさに、ここです。

武士なのだから。

こんな世の中なのだから。

世のならいだから。

直虎も、そのことはよくわかっています。

そうやってわかっていても、それでも嫌だと心の底から思っていたのです。

直虎は悲しみ、悩み、こんなことはもう終わりにしたいと悩み続けました。

悩むだけではなく、そんな中で苦しむ人を慈しみ、祈り続けました。

小野政次を死に追いやった近藤康用だろうが、長篠の戦いで破れた武田勢であろうが、彼女は救い、鎮魂のためにわざわざ経を読みました。

井伊直虎の人生が、直政を通して家康の人生という大河に流れ込み、歴史を変えたかもしれない――そんな無理があるような設定に説得力を持たせていたのは、「世のならい」を理解しつつも、そうであってはならないと、直虎が強く願い続けたことだと思います。

 

なぜ私たちは殺し合わなければならないのだ

本作を見ていて「乱世でなければ」と思う点は、登場人物の描き方にもあらわれています。

小野政直、小野政次、中野直之、近藤康用、今川氏真、酒井忠次、織田信長と、

「途中まで嫌な奴だと思っていたのに、実は可愛げもあるナイスガイ」

というパターンが多くありました。

彼らは、主人公周辺の大切な人に対して、とてつもなく残酷な振る舞いをするわけです。

しかし、別の一面を見ると愛嬌すらある……むしろ根っからの悪人ではないと思えることもあります。

それなのになぜ、彼らが残酷で卑劣な行動に至ってしまったのかと考えてゆくと、戦国という殺伐とした世の中のせいではないか、と思い至るわけです。

平穏な時代ならば、ともに手を携えわかり合えた人であろうと、時代のせいで殺し合い騙しあわねばならない—そんな虚しさを感じました。

続きは【キジトラ編】です。


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絵:霜月けい

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【参考】
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』公式サイト(→link

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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