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大伴旅人/wikipediaより引用

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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

「私は酒壺になりたい……」大伴旅人の酒好き和歌は今でも十分オモロイど!

更新日:

「心の病」はここ30年ほどで知られるようになってきたものですよね。
アレルギーと同様に広く知られていなかっただけで、いずれも古くからあったと考える方が自然でしょう。
今回はそんなことを意識しつつ、古い時代のとある武官のことを考えてみたいと思います。

天平三年(731年)7月25日は、大伴旅(おおともの・たびと)が亡くなった日です。

歌人として名高い大伴家持(やかもち)のトーチャンですが、元々大伴家は武官の家だったため、旅人も武官としての働きが多かったようです。

 

武官としての能力はかなり高かった

旅人は天智天皇四年(665年)の生まれです。
壬申の乱やその前後の政治的トラブルがあった670年代に幼少期を過ごしていることになりますから、いろいろと思うところがあったのでしょう。
若い頃のことはあまり伝わっていませんが、和銅三年(710年)あたりから記録が増えてきます。

この年の正月、騎兵や隼人(九州南部の異民族)・蝦夷(東日本の異民族)を率いて都を行進しているのです。
異民族を統率できたということからして、武官としての能力は高かったのでしょう。

官位も順調に進んでいきました。
この頃は、元明天皇・元正天皇という女性天皇が続いた時代です。男性の天皇でも優秀な部下は頼もしいものですが、女帝たちからすれば、有能な武官の存在はさぞ頼もしかったでしょうね。

それが現れているのが、養老四年(720年)に起きた隼人反乱の鎮圧を命じられていることです。
5月に行って6月中旬にはある程度落ち着いていたというから、旅人の戦略なり交渉なりがうまく行ったハズ。

しかし、平定が終わる前に都で右大臣・藤原不比等が亡くなったため、帰京の命令が出て旅人だけ帰っています。その後は部下がうまくやってくれたようです。

 

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60歳を過ぎて大宰府へ 山上憶良と親しくなる

その後、神亀元年(724年)には聖武天皇の即位に伴い、正三位に昇進しました。
神亀五年(728年)には、妻・大伴郎女(いらつめ)を伴って大宰府の長官に赴任しています。

既に60歳を過ぎている老人を遠方に送るのもどうかという気がしますが、理由はハッキリしていません。
藤原四兄弟による左遷説と、能力を評価されたがゆえの赴任という説があります。
間もなく妻が亡くなっているため、旅人個人としてはあまり楽しい状況ではなかったでしょうね。

代わりというのも何ですが、大宰府にいる間に山上憶良などと親しくなり、筑紫に歌壇ができるきっかけとなりました。

後に異母妹の大伴坂上郎女(おおともの・さかのうえのいらつめ)が大宰府にやってきて、甥である家持らの養育や、家の中の仕事をやっていたといわれています。
この妹が次々と夫に先立たれたという不運な人なのですが、それを感じさせないくらいエネルギッシュな女性でした。

でないとこの時代に男やもめの異母兄のところ、しかも九州までは来ないでしょうしね。

 

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「酒」の和歌が多い 想いも熱い、熱すぎる!

こうして責任ある仕事と不幸に見舞われた旅人でしたが、大宰府にいたおかげで長屋王の変などに巻き込まれずに済んでいます。
他の高官が次々と亡くなったため、いつしか旅人が臣下最高位となっていました。

高齢だったこともあってか、天平二年(730年)11月に大納言へ昇進し、帰京を命じられて戻ってきています。
翌年正月には従二位へ昇進したものの、まもなく病となり、7月25日に亡くなりました。

さて、家持の父であるからには、当然旅人も歌は得意です。
そして彼の場合、ものすごくわかりやすい歌風を持っています。

「酒」について詠んだ歌が非常に多いのです。

しかも「主題と酒」ではなく、酒そのものが主題という、飲ん兵衛ここに極まれり……なものばかり。
いつもの意訳とともに、旅人の酒ラブっぷりがわかる歌の一部をご紹介しましょう。

・しるしなき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(意訳)gdgdと思い悩むよりは、にごり酒を一杯やるほうがいい。

・さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
(意訳)賢ぶってあれこれと問答するよりは、酒に酔って泣いている方がマシだよ。

・中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ
(意訳)人間でいるよりも、酒壺になりたいものだ。そうすれば酒に浸されていられるから。

・夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに 豈(あに)しかめやも
(意訳)宵闇の中で光る宝玉よりも、酒を飲んで憂さ晴らしするほうが私は好きだ。

・よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(意訳)世の中にはいろいろな遊びがあるが、酒に酔って泣くことに勝るものはない。

ここまでくるとよっぽどですよね。
酒壺の歌など、「彼以外の誰にこんな歌が詠めるのか?」と思ってしまうほどです。

 

もちろん酒だけでもございません

しかし、ただのアル中でないことも確か。
酒以外を詠んだ旅人の歌は、彼の人生観が強く現れています。

・この世にし 楽しくあらば 来こむ世には 虫に鳥にも 我はなりなむ
(意訳)今生きているこの世で楽しく過ごせたならば、来世では鳥や虫に生まれてもかまわないさ。

・生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(意訳)生まれたからにはいつか死ぬのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ。

・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小川を 行きて見むため
(意訳)昔見た象の小川をもう一度見るまで、私の命が保ってくれるだろうか。

・うつくしき 人の纏まきてし 敷布しきたへの 我が手枕たまくらを 纏く人あらめや
(意訳)愛しい妻に貸した手枕を、この先他の誰に貸そうと思うだろうか。

・うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ
(意訳)現実で会うことができないなら、せめて夢では続けて会えたらいいのに。

 

厭世的な歌は、過酷な体験が反映されている?

この辺の歌からすると、旅人は相当に情の濃い人だったのでしょうね。
だからこそ武官だった頃に斃した敵軍や、犠牲になった自軍兵のことを、後々まで悩んでいたのではないでしょうか。もしかしたら、同じく酒好きで知られる上杉謙信あたりも……。

ともかく、アレコレと言葉で語るよりは、酒を飲んでじっと自分の中で消化していくほうが良いと思うのも納得できます。

「現世が楽しかったから、来世では鳥になっても虫になってもいい」
「この世にいる間くらいは楽しく過ごしたい」
というのも、何だか厭世的ですしね。

例えるとすれば、「和歌が得意な足利尊氏」みたいな感じでしょうか。尊氏よりは旅人のほうが精神的に安定していそうですけれども。
PTSDという概念が知られるようになったのはごく最近のことですが、もしかするともっと前からあったものなのかもしれません。

長月 七紀・記

大伴家持の意外に動きのある人生 地方!帰京!地方!帰京!で数多の歌ができた!?

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参考:大伴旅人/wikipedia やまとうた

 





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