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寺子屋と女性教師/wikipediaより引用

その日、歴史が動いた 寺社・風習

教師と教育の歴史 聖徳太子から始まり大宝律令を経て寺子屋にまで浸透す

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一度イメージが固定化されたものを払拭するのは難しいです。
最近は「男らしさ・女らしさなんて意味がない」という考え方が強くなってきましたが、一昔前はそれで全てが片付けられる、魔法の言葉のようなものでしたよね。
その辺を念頭に起きつつ、今回はとある職業の歴史を見ていきましょう。

10月5日は「世界教師デー」です。

読んで字のごとく、教師の権利や子供が教育を受ける権利についての認識を広めるのが目的だとか。
この日自体も多くの国で取り入れられていますが、国によっては別の日に似た意味の記念日を設けていることもあります。
残念ながら、日本にはその類はありませんが……最近では教師の労働環境改善も話題に上るようになってきましたので、そのうち設けられるかもしれませんね。

というわけで今回は教師と教育の歴史を見て参りましょう。

 

最初に意義を書き記したのは聖徳太子か

「教育がいつ・どこから始まったのか」
これをキッチリと線引するのは非常に難しいことです。
親が子供に何かを教えることはごく当たり前のことですし、それは古代社会でも同じだったでしょう。

教育について初めて何らかの意義を書き残したのは、聖徳太子だと考えられています。
仏教的な「平等」の観念から、全ての人に教育を受ける権利があると考えたようです。
彼らしい概念ですね。

聖徳太子/wikipediaより引用

その後、大宝元年(701年)に定められた大宝律令で、都に「大学寮」が設置。
当初は儒教を教える「明経道」が中心でしたが、漢文の地位が向上して新たに「紀伝道」が作られました。

他にも医師を要請する「典薬寮」など、それぞれの分野に特化した学問所+官僚養成機関が増えていきます。

典薬寮では養老六年(722年)に「女医博士」という役職が設けられました。
といっても、この当時の“女医”は”女性の医師”ではなく、“女性特有の状態を診る医師”、つまり産科医のことでした。

おそらく神道で出産時を含めた“血の穢れ”を避けるために、同じ女性に任されるようになったのでしょう。
宗教的な理由があるにせよ、女性の地位が低いとも限らなかった一例と考えることもできます。

 

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平安時代には大学寮の教師が世襲で受け継がれていく

「寮」の字がつくのは、当時の大学が全寮制のようなものだったからです。
次第に、有力な貴族が一族の若者をまとめて同じ寮に入れるなどして派閥化していきました。

現在の学閥のようなものでしょうか。人間のやることは今も昔も変わりませんね。
また、菅原氏などは自分の屋敷に私的な教育の場を作るようになり、私立学校の元にもなりました。

平安時代からは大学寮の教師がほぼ世襲で固定されるようになります。
さらに、安元三年(1177年)に大学寮が火災で焼失した上、政治的にも再建できる状況ではなかったため、公的な学校や教育の場が失われてしまいました。
当時は平家全盛期で、この年は鹿ヶ谷の陰謀があった年=平家に皆嫌気が指していた頃ですから、若い世代の将来という長期的な視点を持てる人がほとんどいなかったのでしょう。

平家が滅亡して鎌倉時代が始まってもそれは同じで、中央政府による学校よりは、寺院や武家が学校の代わりになったり、学校を新たに作ったりしました。
五山文学や足利学校など、教科書でもお馴染みのあの辺の話です。

それに伴って、僧侶が教師として庶民を教えたり、武家に呼ばれて講義をするといった場面も多くなったと思われます。
二昔くらい前まで「教師は聖職」と言う人たちがいましたが、歴史的経緯からすると「教師は聖なる職務である」よりも、「聖職者が教師を兼ねていた」というのが正確ですかね。

この傾向は戦国時代まで続き、日本を訪れた西洋人たちも、高野山や比叡山、そして足利学校が日本の大学であると記しています。

 

寺子屋の師匠は庶民出身が多く、女性も1割強はいた

江戸時代になると、教育の現場や教師のあり方が多様化しました。

大名たちは学校には通わず、個人的に学者を招いたり、親族から学問を教わっていたと思われます。
ヨーロッパのような士官学校が日本になかったのは、幕府がその手の機関を作らなかった=必要ないとみなされていたからなのでしょうね。
お金がないだけだなんてことはない……ハズ。

そのせいで、江戸時代の大名ってピンキリが激しいのかもしれませんね。
家風や遺伝だけでは人間の出来は決まりませんし。

江戸時代で教育の話題というと、私塾や寺子屋なども欠かせません。

「元の身分にかかわらず、他者を教える立場になれる」ことが定着したのも、江戸時代の特徴といえます。
特に寺子屋の師匠は庶民出身が多く、女性も1割強はいました。
これは明治以降になって「女性は家庭に入るもの」という価値観が広まっても継続され、女学校や小学校では特に女性の教師が多く採用されています。

寺子屋と女性教師/wikipediaより引用

江戸時代の教育や教師に関することで、ちょっと変わっているのが数学=和算の分野です。
関孝和以降、和算家と呼ばれる数学者が増えていきましたが、彼らは「自作の問題を絵馬に書いて神社に奉納する」ということをよく行っていました。

これを見た地域の住民が回答を書き、出題者が後日答え合わせをするのです。
世知辛い見方をすると、「何の素養がなくても、タダで数学の授業が受けられた」ことになりますね。

また、日常生活で有用なレベルの算数を本にまとめて出版する和算家もいました。
教育の場が学校や寺院、塾といった空間に限定されなかった……というのは、世界的に見ても結構珍しいのではないでしょうか。(調べきれてないだけだったらスミマセン)

 

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今こそ日本全体で考えるべき問題ではなかろうか

戦後は教育制度や学習要項の変化こそあれ、教師という立場そのものの変化はあまりないかと思われます。
今後はやはり、会社員と同じく待遇改善のほうに争点が移っていくのでしょうか。

部活を含めた長時間残業や、産休・育休・傷病休あたりについては、一日も早く解決していただきたいものです。
先生方も人間ですし、心の余裕がないと良い授業も指導もできないですよね。
良い授業ができなければ良い人間も育たないわけで、それが長期的に見てどれほどの損失になるか、日本全体で熟考せねばならない気もします。

「育児や家庭の事情でフルタイムは無理だけど、2~3時間の部活指導ならできます」というような人もいるでしょうし、育休をまとめて取るのではなく、「子供が小さいうちは週一日だけ休める」ようにするとか、いろいろやりようはあると思うのですが。

ついでにいえば、アレな教師の処罰は迅速かつ厳正に行われてほしいものです。
でないと、真面目にやっている先生方が損する一方ですものね。まぁ、それは教職に限りませんが。

長月 七紀・記




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参考:世界教師デー/wikipedia 教師の日/wikipedia 教員/wikipedia 日本教育史/wikipedia

 

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