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【教師と教育の歴史】
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寺子屋の師匠は庶民出身が多く、女性も1割強はいた
江戸時代になると、教育の現場や教師のあり方が多様化しました。
大名たちは学校には通わず、個人的に学者を招いたり、親族から学問を教わっていたと思われます。
ヨーロッパのような士官学校が日本になかったのは、幕府がその手の機関を作らなかった=必要ないとみなされていたからなのでしょうね。
お金がないだけだなんてことはない……ハズ。
そのせいで、江戸時代の大名ってピンキリが激しいのかもしれませんね。
家風や遺伝だけでは人間の出来は決まりませんし。
江戸時代で教育の話題というと、私塾や寺子屋なども欠かせません。
「元の身分にかかわらず、他者を教える立場になれる」ことが定着したのも、江戸時代の特徴といえます。
特に寺子屋の師匠は庶民出身が多く、女性も1割強はいました。
明治以降になって「女性は家庭に入るもの」という価値観が広まっても継続され、女学校や小学校では特に女性の教師が多く採用されています。
江戸時代の教育や教師に関することで、ちょっと変わっているのが数学=和算の分野です。
関孝和以降、和算家と呼ばれる数学者が増えていきましたが、彼らは「自作の問題を絵馬に書いて神社に奉納する」ということをよく行っていました。
これを見た地域の住民が回答を書き、出題者が後日答え合わせをするのです。
穿った見方をすると、「何の素養がなくても、タダで数学の授業が受けられた」ことになりますね。
また、日常生活で有用なレベルの算数を本にまとめて出版する和算家もいました。
教育の場が学校や寺院、塾といった空間に限定されなかった……というのは、世界的に見ても結構珍しいのではないでしょうか。(調べきれてないだけだったらスミマセン)
今こそ日本全体で考えるべき問題ではなかろうか
戦後は教育制度や学習要項の変化こそあれ、教師という立場そのものの変化はあまりないかと思われます。
今後はやはり、会社員と同じく待遇改善のほうに争点が移っていくのでしょうか。
部活を含めた長時間残業や、産休・育休・傷病休あたりについては、一日も早く解決していただきたいものです。
先生方も人間ですし、心の余裕がないと良い授業も指導もできないですよね。
良い授業ができなければ良い人間も育たないわけで、それが長期的に見てどれほどの損失になるか、日本全体で熟考せねばならない気もします。
「育児や家庭の事情でフルタイムは無理だけど、2~3時間の部活指導ならできます」というような人もいるでしょうし、育休をまとめて取るのではなく、「子供が小さいうちは週一日だけ休める」ようにするとか、いろいろやりようはあると思うのですが。
ついでにいえば、不祥事をやらかす教師の処罰は迅速かつ厳正に行われてほしいものです。
でないと、真面目にやっている先生方が損する一方ですものね。まぁ、それは教職に限りませんが。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
世界教師デー/wikipedia
教師の日/wikipedia
教員/wikipedia
日本教育史/wikipedia