絵・小久ヒロ

織田家 信長公記

乗馬した関白・近衛を織田家の家臣団に凸らせて(イミフな遊び)信長公記178話

信長にしては、比較的のんびりしたスタートを切った天正七年(1579年)。

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今回も軍事政治的に派手な動きはありませんが、着々と来たるべき日に向けての準備が行われていたことがわかります。

また関白・近衛前久と危険な遊びもしております。

一体どういうことか?

早速見てまいりましょう。

 

乗馬組を徒歩組の中に突っ込ませるヤツ

4月26日、信長は古池田の近くで176話と同じような遊びをしました。

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家臣たち(自身も参加)を

・乗馬組
・徒歩組

の2組に分け、

【乗馬組を徒歩組の中に突っ込ませる】

というものです。

しかも今回は、お馬廻衆とお小姓衆だけでなく、なんと近衛前久(前関白)や細川昭元を”乗馬組”として、やはり徒歩組の中に凸らせたのです。

近衛前久は『麒麟がくる』では本郷奏多さんが演じ、若干、線が細く見えますが、公家の中ではかなりタフネスなので参加できたのでしょう。

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そして明記はされていないものの、おそらく今回も信長は徒歩組の中にいたと思われます。

こんなもんタチの悪い遊びにしか見えませんよね。

しかし『信長公記』の書き方からすると、どうやら主に楽しんでいたのは徒歩組のほうだったようです。

前久や昭元の感想や様子は書かれていないため、彼らがどう思ったかはわかりませんが……。

さすが戦国時代といいましょうか。我々とはまるで感覚が違いますね。

 

官兵衛の元主君を包囲&放火

同じ頃、信長嫡男の織田信忠別所長治がこもる三木城の近辺に六ヶ所の砦を構築。

荒木村重に呼応して毛利氏に味方していた小寺政職(こでら まさもと)の御着城(ごちゃくじょう・姫路市)を攻撃、放火しています。

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小寺政職とはもともと黒田官兵衛の主君であり、織田家や官兵衛を見限って毛利になびいた武将ですね。

大河ドラマ『軍師官兵衛』では片岡鶴太郎さんが演じられておりました。

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信忠は、4月28日にいったん有馬郡まで引き返してから野瀬郡へ出撃して農作物を薙ぎ払い、翌29日に信長のいる古池田へ帰陣、経緯を報告しました。

この結果に信長は満足したようで、信忠には帰国の許可を出しています。

 

伊丹城を完全に封鎖

信忠はこの日東福寺(京都市東山区)に泊まり、同年4月30日に岐阜へ帰還しています。

後述しますが、信忠の兵はある程度の数が伊丹方面に残っていたようですので、身軽な人数で帰ったと思われます。

また、越前衆にも帰還が命じられました。

彼らは丹羽長秀とともに、別所氏方の城・淡河城(おうごじょう・神戸市北区)を囲むための砦を作っていたのですが、それが完成したためです。

丹羽長秀
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長秀と他の武将たちには、引き続き荒木村重の籠もる伊丹城(有岡城)に向けて陣を据えるよう命じています。

それぞれの配置は以下の通り。

【塚口(尼崎市)】
丹羽長秀・蜂屋頼隆・蒲生氏郷

【塚口東の田中】
福富秀勝・山岡景佐・山城衆

【毛馬(尼崎市)】
細川藤孝・細川忠興・細川昌興

【川端】
池田恒興父子3人

【田中(尼崎市)】
中川清秀・古田重然

【四角屋敷】
氏家直通

【河原】
稲葉貞通・芥川某(なにがし)

【賀茂の川岸】
塩川長満・安藤定治・伊賀七郎

【小屋野(伊丹市)】
滝川一益・武藤舜秀

【深田】
高山右近

【倉橋(豊中市)】
池田元助

この他、池の上の砦には信忠の兵が交代で入ることになった、と書かれています。

兵がいるからには部隊の指揮官もいたはずですが、それは書かれていません。

このように伊丹の四方に多数の砦を築き、二重三重に堀や柵を巡らせて、完全に包囲・封鎖してしまいました。

しかし伊丹城……荒木村重はまだまだ粘ります。

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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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