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【ジョージ三世】
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胃がもたれ、息は苦しく、視力は衰え、聴力も低下
始まりは、顎の痛みでした。
激痛は日に日に悪化し、ジョージ三世は一睡もできなくなります。
胃がもたれ、息は苦しく、視力は衰え、聴力も低下。病の苦痛に伴って精神も異常をきたしてしまいました。
うつろな目で口から泡を吹き、祖先や木々にぶつぶつと意味不明なことをつぶやき続けるジョージ三世。王妃シャーロットは怯え、侍医たちもさじを投げました。
やがて侍医のウィリスという男が、荒療治を試し始めます。
王を拘束衣で縛り、悪い体液を出すという名目でわざと脚に水疱を作りました。この治療は大変な苦痛を伴うものでした。
「おいたわしや、国王陛下。心労がたたったのでしょうか」
現在では“ポルフィリン症”とも“ヒ素中毒”との説もあるジョージ三世の病気ですが、当時は心痛のあまり狂気に陥ったのではないか、とささやかれました。
なにせ彼には、心痛の種がいくつもありました。
アメリカ独立戦争での手痛い敗北。
隣国フランスの不穏な状況。
そして、息子たちの放蕩。
国政に危機が迫って皇太子ジョージが摂政となり、ジョージ三世は回復と病状の悪化を繰り返しました。
その間にも、フランス革命、ナポレオン戦争と、イギリスは激動の時代を迎えるのですから、なんという不幸。まさに、もうやめて彼のライフはゼロよ状態です。
このときイギリスは、小ピットらの名宰相、ネルソン提督やウェリントン公といった名将の働きもあり、難しい局面を乗り切り、勝利をおさめました。
しかし、ジョージ三世と彼の家族は厳しい歳月を送ることになるのです。
王子シャーロットは看病に疲れ切りました。
こんな状況では王女たちの嫁ぎ先を探すどころではなく、何人かの王女らは独身のまま過ごすことになります。
皇太子ジョージはじめ、その他の王子たちはトラブルを引き起こし続けました。
そして1820年。
ジョージ三世は病と親不孝息子に苦しめられた長い人生を終えます。
まっとうで品行方正なイギリス王室――。
その登場は、ジョージ三世の不出来な息子二人の短い治世のあと、1837年にヴィクトリア女王が即位するまで待たねばならないのでした。
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文:小檜山青
【参考文献】
ブレンダ・ラルフ ルイス/高尾菜つこ『ダークヒストリー 図説 イギリス王室史』(→amazon)