英国王ジョージ三世

英国王ジョージ三世/wikipediaより引用

世界史

ゲスの極み王だらけのハノーヴァー朝って?英国ジョージ三世が哀れ也

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ジョージ三世
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胃がもたれ、息は苦しく、視力は衰え、聴力も低下

始まりは、顎の痛みでした。

激痛は日に日に悪化し、ジョージ三世は一睡もできなくなります。

胃がもたれ、息は苦しく、視力は衰え、聴力も低下。病の苦痛に伴って精神も異常をきたしてしまいました。

うつろな目で口から泡を吹き、祖先や木々にぶつぶつと意味不明なことをつぶやき続けるジョージ三世。王妃シャーロットは怯え、侍医たちもさじを投げました。

やがて侍医のウィリスという男が、荒療治を試し始めます。

王を拘束衣で縛り、悪い体液を出すという名目でわざと脚に水疱を作りました。この治療は大変な苦痛を伴うものでした。

「おいたわしや、国王陛下。心労がたたったのでしょうか」

現在では“ポルフィリン症”とも“ヒ素中毒”との説もあるジョージ三世の病気ですが、当時は心痛のあまり狂気に陥ったのではないか、とささやかれました。

なにせ彼には、心痛の種がいくつもありました。

アメリカ独立戦争での手痛い敗北。

隣国フランスの不穏な状況。

そして、息子たちの放蕩。

国政に危機が迫って皇太子ジョージが摂政となり、ジョージ三世は回復と病状の悪化を繰り返しました。

その間にも、フランス革命、ナポレオン戦争と、イギリスは激動の時代を迎えるのですから、なんという不幸。まさに、もうやめて彼のライフはゼロよ状態です。

このときイギリスは、小ピットらの名宰相、ネルソン提督やウェリントン公といった名将の働きもあり、難しい局面を乗り切り、勝利をおさめました。

しかし、ジョージ三世と彼の家族は厳しい歳月を送ることになるのです。

王子シャーロットは看病に疲れ切りました。

こんな状況では王女たちの嫁ぎ先を探すどころではなく、何人かの王女らは独身のまま過ごすことになります。

皇太子ジョージはじめ、その他の王子たちはトラブルを引き起こし続けました。

そして1820年。

ジョージ三世は病と親不孝息子に苦しめられた長い人生を終えます。

まっとうで品行方正なイギリス王室――。

その登場は、ジョージ三世の不出来な息子二人の短い治世のあと、1837年にヴィクトリア女王が即位するまで待たねばならないのでした。

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文:小檜山青

【参考文献】

ブレンダ・ラルフ ルイス/高尾菜つこ『ダークヒストリー 図説 イギリス王室史』(→amazon

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