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【オスカー・シンドラー】
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強制収容所ら800人を救出 あのアウシュビッツからも
戦況が進むにつれて、ゲットーのユダヤ人は徐々に強制収容所へ連行されていきました。
オスカーは「自分のところで働くユダヤ人は皆生産に関わっているので、連れて行かれては困る」と主張し、ユダヤ人従業員やその家族を出来る限り保護していきます。
しかし、オスカーの庇護にも限界がやって参ります。
1943年の春、クラクフのゲットーが解体されることが決まり、まだ残っていたユダヤ人たちは近隣にあるプワシュフ強制収容所に移送されてしまったのです。
ここの所長は、ナチスの中でも特に残忍かつ悪趣味なアーモン・ゲートという男。
ゲートの所業についてはガチで気分が悪くなるので、この記事では詳述しません。耐性のある方はご自身でお調べいただければ……。
オスカーにとっては、ゲートが知人だったことがある意味では幸運でした。
賄賂を掴ませた上で「工場の近くに家があったほうが都合がいい」と交渉し、自分の工場で働いていたユダヤ人の移住許可を取り付けることができたのです。
1944年末には、いよいよドイツが劣勢となり、機密保持等のため、強制収容所の解体とそこにいたユダヤ人の処分が決まります。
このときオスカーは「ブリュンリッツ(現在のチョコ・ブルニェネツ)で新しく工場を買ったので、物資生産のための労働者がほしい」と持ちかけ、収容所から800人を救出しました。
このうちユダヤ人は700人で、その中に女性が300人いたそうです。
途中で女性たちが一時アウシュヴィッツ強制収容所に送られるという事故が起きましたが、オスカーは直ちに向かい、救出しています。
このときアウシュヴィッツからさらに120人の救出に成功。
しかし、移送の貨物車もひどい状態で、13人が凍死してしまったそうです。他の107人も危険な状態だったため、直ちに医療措置が取られ、何とか生き延びました。
オスカーは凍死者の遺体をドイツ軍に渡すことも拒否し、土地を買って、ユダヤ教のやり方で葬儀を行ってから埋葬しています。
戦後、事業がうまく回ってないときに現れたのが……
1945年春、ソ連軍の侵攻を知って、オスカーはユダヤ人を解放し、自身は亡命することにしました。
彼自身はやましいことは(賄賂以外に)していなかったにしても、ナチスというだけで身の危険があったからです。
実は同時期に、長男のオスカーがツヴィッタウ(現在のチェコ・スビタビ)で行方不明になっています。
もしかしたら、ユダヤ人たちがもう安全であろうということを知って、長男を探しに行ったのかもしれません。結果は……。
戦後を迎え、いくつかの事業を始めますが、ほとんど失敗して資金繰りにも困るようになりました。
これを知った、かつて彼に救われたユダヤ人たちが支援を申し出て、その後、イスラエルやロサンゼルスなどでの再会も果たしています。
オスカーは彼らの一人ひとりをよく覚えており、ときにはあだ名で呼ぶこともあったとか。
それからは家のあるフランクフルトと、エルサレムで年の半分ずつを過ごす生活を続けました。
1974年のこの日(10月9日)に亡くなったのはドイツでしたが、遺言によってお墓はエルサレムのカトリック教会墓地に作られています。
従業員とその家族を大切にする――という経営哲学
彼のやったことはユダヤ人救済というだけでも十分偉業ですが、経営者の規範にすべき点が多々含まれていると思われます。
オスカーは、ユダヤ人を家族単位でよく見ていました。
父親が自分のところで働いていれば、その子供も雇い、日頃からよく話しかけていたそうです。だからこそ、戦後数十年経っても覚えていたのでしょう。
家族がどれほど心の支えになるか、生きる糧になるか。
オスカーはそこを重視していたと思われます。でなければ、手当たり次第に連れ出していたでしょうから。
そうしたほうが、人数的には多くの人を救えたかもしれません。
しかし、戦後生きていく上で助け合うには、やはり家族同士の信頼や結束が相当の支えになったはずです。
当時とは事情も背景もまるで異なりますが、少子化が深刻な日本にとって学ぶところも多い気がします。
「残業を減らしたら、業績や社員の第二子出生率が上がった」という会社もあるのですから、経営者のみならず従業員自らも「無理」と決めつけるのではなく、「実行するにはどんな働き方が必要か」を考えるべきかもしれません。
なお、ユダヤ人救出と言えば、シンドラーだけでないことは皆様ご存知かと思われます。
よろしければ、以下の記事も併せてご覧ください。
※映画版はアマゾンプライムで無料視聴できます(→amazon)
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長月 七紀・記
【参考】
レオン・レイソン/古草秀子『シンドラーに救われた少年』(→amazon)
トマス・キニーリー/幾野宏『シンドラーズ・リスト―1200人のユダヤ人を救ったドイツ人 (新潮文庫)』(→amazon)
オスカー・シンドラー/Wikipedia