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【ゾウと日本人の歴史】
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ゾウと言えども宮中に上がるにはそれなりの資格が必要で
足利将軍家への贈答に続き、2度目の渡来象(渡来人にちなんだ私の造語です・そういう種類がいるわけではありません)は、少し間が開いて1574年(天正2年)、戦国時代のことですね。
明の船が博多に運んできました。
更には1597年(慶長2年)にマニラ総督から豊臣秀吉へ、1602(慶長7)年には徳川家康にもベトナムから贈られております。
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が、何と言っても、記録によく残されているのは1728年(享保13年)の渡来象でしょう。
中国の商人が、ベトナムから雌雄のゾウを長崎に運んできたものです。
残念ながら雌は到着後3ヶ月で死んでしまいますが、雄は翌1729年3月から2ヶ月かけ、長崎から江戸へ陸路で旅をしました。
陸路でありますから、途中、京都も通ります。
そこには当然、御所もあり、このゾウは光栄なことに中御門天皇に謁見の機会も得ます。
しかし、問題がありました。
ゾウと言えども、宮中に上がるためにはそれなりの身分が必要となります。
前例のないケースだけに、担当者さんたちも困ったことでしょう。
そこで、どうしたか?
なんとこのゾウに対し【広南従四位白象】という位階と姓名が与えられたのです。
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冗談ではありません。
江戸時代の従四位といえば老中クラスか10万石以上の外様大名が頂く位階。かなりのランクです。
かくして天皇に謁見できただけでなく、その姿は人々を驚かせ、瓦版にも描かれました。
江戸についたゾウは吉宗に会い、浜御殿(現在の浜離宮)で12年間飼育されました。
が、餌代がかさむ上に、飼育員の死亡事故があり、中野村のお百姓さんに払い下げられ、その翌年に病没します。
やはり質素倹約の吉宗だけに餌代はネックだったんですかね。
払い下げられた翌年に亡くなったのは、なんだか引っかかりますが…暗転。
その後、幕末の1863年(文久3年)には見せ物のためのゾウも登場。
江戸時代までに計7回の渡来象がやってきましたが、それらはすべてアジアゾウと考えられ、日本人のアフリカゾウとの初対面は戦後のことになります。
平和のシンボルながら戦時中には不幸も……
明治になるとゾウの見せ物は盛んになり、単に姿を見せるだけでなく、芸もするようになります。
動物園ができるまで本格的な飼育施設はなかったのですが、1888年(明治21年)を契機にゾウの飼育ブームが始まります。
キッカケは、上野公園博物館の付属施設だった同動物園に雌雄のゾウが来園したことで、以降は京都市動物園、大正に入って大阪、名古屋などの大都市に施設が作られたのでした。
そして拡大した象ブームは、間もなく悲劇を引き起こしてしまいます。
第二次世界大戦が始まると、当時日本にいたゾウ13頭は餌不足や殺処分で10頭が死亡。
小学生のときに、彼らの殺処分を描いた名著『かわいそうなゾウ』(→amazon)を読み、涙した方も多いことでしょう。
このとき生き残った3頭のゾウのうち、1頭は過酷な環境のため戦後すぐに亡くなり、命をつなぐことができたのは名古屋市東山動物園の2頭のみでした。
戦後、この2頭に会うため、全国各地からの子供たちを乗せた「ゾウ列車」が運行されました。
かくして子供たちの希望と楽しみのため、1949年(昭和24年)にはタイとインドから上野動物園にゾウが贈呈されると、この動きが加速。
次々と来日することになり、10年後には32の動物園で会えるようになりました。
まさしくゾウは平和のシンボルとなったのです。
最近は周辺国のミサイル実験など物騒な話題もありますが、いつまでも動物園のゾウをのんびりと見られる平和が続いて欲しいと願います。
★
以上、今回紹介した話は『ゾウの知恵 陸上最大の動物の魅力にせまる(田谷一善SPP出版)』(→amazon)を参考にさせていただきました。
歴史パートはほんの一部で、本書にはゾウの進化から、生物学的特性、ホルモン動態や繁殖、飼育方法まで、ゾウにまつわるありとあらゆることが詰まっております。
やや難しい内容もありますが、興味の有る部分から読み進めますと、町内一のゾウ博士になれること請け合いです。
ゾウ好きな方は是非~。
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
『ゾウの知恵 陸上最大の動物の魅力にせまる』(→amazon)