1867年(日本は明治元年)7月1日、カナダが独自の議会を持ち、イギリスの植民地から自治領になりました。
明治政府とは同級生みたいなもんなんですね。意外。
当コーナーでは『ロンドンビール洪水』、あるいはライターさんの記事でもタイタニック級の惨事なのに忘れられているカナダの100年前の沈没事故" href="https://bushoojapan.com/scandal/2014/06/06/22305" target="_blank" rel="noopener noreferrer">豪華客船・アイルランド号の沈没事故など、なぜか物騒な事件でしか話題になったことがありませんが、もちろんカナダという国自体はそんなことはありません。
ヨーロッパ圏では「老後に住みたい国No.1」
アジア圏からは「アメリカ・イギリス以外で英語を学ぶならカナダ!」
というように、穏やかかつ勉強に適した国としてイメージが定着しているようです。
独立までの歴史も比較的穏やかなほうです。
特にすぐ南のアメリカと比べれば。
では、カナダはどうやって現在の姿になったのかざっくり見ていきましょう。
寒すぎてヴァイキングも居着かず
カナダといえば北のほうは北極圏に入るだけあり、極めて冷涼なイメージが強いと思います。
初めてヨーロッパ人が来たときもこの寒さは大きな障害になったようで、なかなか移住が進みませんでした。
西暦1000年ごろにはニューファンドランド島(ヨーロッパ側にあるデカい島)にヴァイキングがたどりついていたようなのですが、その後500年ほどはたまに漁をしに来る程度で、どこの国の人も積極的に移ろうとはしなかったのです。
かつてアジア方面から移り住んできた人々の子孫であるイヌイットなど、先住民にとってもこれは良いことでした。
ロシアの「冬将軍」ではありませんが、寒さが幸いしたんですね。
情勢が変わったのは16世紀のこと。
フランス人の探検家がセントローレンス川(カナダ北東部から大西洋に流れている川)を見つけてからです。
「ここなら物資を運べるし、拠点を作れそうだ」
そう考えた彼らは、現在のケベック州あたりに植民地を作りました。
そして原住民の人々と毛皮貿易を始めます。
初めに生活し始めたヨーロッパ人がフランスの人たちだったので、当時のカナダは「ヌーベルフランス」(”新フランス”みたいな意味)と呼ばれていました。
ヌーベルフランスはやがてどんどん南下していき、アメリカの真ん中よりやや東を流れるミシシッピ川周辺にまで拡大。
こうなると面白くないのが、同時期にアメリカ13植民地を形成していたイングランドです。簡単に言えばシマ争いですね。
元々百年戦争の時代から海を越えて領土の取り合いをしてきた国同士ですから、舞台が新大陸になったところでやることは変わりません。
ついでに同時期のヨーロッパにおける戦争やらなんやらで既に殴り合っていましたので、新大陸での戦争はゲームでいうところのボーナスステージもしくは野球の延長戦みたいなものです。地元民大迷惑やな。
イングランドに大敗北で英語圏(ケベックのぞく)
決着がついたのは1759年。
日本は江戸時代で、田沼意次が大名に取り立てられたあたりです。
カナダ北東部・エイブラハム平原というところで英仏両軍が激突し、フランス側がイングランド側の三倍以上の死者を出すという大敗を喫します。
これだけボロクソに負けたので、フランスはヌーベルフランスだけでなくアメリカ側に持っていた植民地も手放さざるをえなくなりました。
ちなみにこのときのフランスの王様は、やる気がないことで有名なルイ15世。
そりゃ負けますわな。
とはいえイングランドは
「今日からイングランドのモンだから、宗教も言葉も全部ウチ流にしろ!」
なんて事は言い出しませんでした。
ケベック周辺は今でもフランス系住民が多数派でフランス語が公用語になっており、一時期カナダからの独立運動が起きたこともあります。
後世で893真っ青な海賊ぶりで世界のあっちこっちを侵略する国とは思えない寛大ぶりですが、実は既にアメリカ独立戦争の兆しが見えており、イングランドにはカナダを大改造する余裕がなかったのです。ナルホド。
独立戦争について、カナダ側の人々は当初積極的に関わろうとはしませんでした。
元本国のフランスはアメリカ側についていたというのがまた面白いところです。
もうすっかり”カナダ人”になっていたんでしょうね。
その代わりというか何というか、独立戦争後アメリカにいたイングランド派の人々(王党派)は「アメリカもうヤダ。カナダならちょっとはマシだろう」ということで北へ移住してきました。
こうしてフランス系・イングランド系の人々が共存し、現在のカナダの元ができたというわけです。
アメリカの南北戦争で危機感を覚えて
その後カナダでは、内乱が起こるでもなく穏やかなものでした。
が、お隣アメリカで南北戦争が起きると、イングランド政府は危機感を抱きます。
アメリカでは南北戦争後急激に産業が発展したため、カネと軍事力で、今度はカナダへ進出するんじゃないか?と疑ったのです。
そこでイングランド政府は気前の良いことを考えます。
「カナダにも議会を作らせて、自分のことは自分で始末できるようにしよう。そしたらこっちから海超えていろいろしに行かなくても済むし」
ということで、カナダは植民地から自治領へ格上げになったのでした。
人間に例えると、
アメリカが「両親と仲違いして大ゲンカの末出て行った弟」
カナダは「”アンタいい歳なんだからそろそろ独立しなさい”と親に勧められて一人暮らしを始めた兄」
というところでしょうか。
歴史書ではアメリカを”粗暴な長男”、カナダを”忠実な長女”と表現しているものもありますね。
男性的か女性的かはともかく、言い得て妙です。
植民地と自治領の違いは
ちなみに植民地と自治領は何が違うのか?
実は、結構単純な話だったりします。
植民地は本国の人が来たり本国の議会が政治やアレコレをする地域で、自治領は地元の人が議会その他の権利を持つことを認められたところです。
【地元に権利があるかどうか】という違いなんですね。
現在こうした意味での植民地はほぼ存在しませんが、自治領についてはまだあっちこっちにあります。
世界最大の島・グリーンランドがデンマークから認められた自治領だったりとか。
とはいえ自治領にもいろいろあり、「コレはやっていいけど、ソレは本国の許可が要るor本国の人がやるからダメ」なんて風に権利が結構複雑だったりしますので、自治領=植民地と独立国家の中間あたりというイメージが正しいでしょうか。
カナダの場合でいえば、1867年に自治権はもらえたものの、外交権についてはイングランドが持ち続けていたといった具合です。
またまた人間に例えると「一人暮らしさせたけど、やっぱりアレコレ心配だからお友達選びはカーチャンに任せなさい」って感じですかね。
人間であればマザコンフラグビンビンですが、流石に国家なのでそんなアホなことにはなりませんでした。
ちなみに外交権(お友達選びができる権利)をもらえたのは約60年後、1926年のことです。
独立してから60年も親に口出しされるとか勘弁ですわあ。よくカナダの人達キレなかったもんだ……と思ったら、この時期ってちょうどイギリスが世界の四分の一を支配してた頃なんですよね。そりゃ逆らえん。
メープルシロップってその辺に生えてるん?
こうしてちょっとずつ穏便に権利を獲得していったカナダ。
やがて地元生まれの政治家が認められたり万博やオリンピックが開催されたりと、世界の中で存在感を高めていきます。
その割に日頃のニュースで見ないのは、それだけ平和だってことですよね。
ごくたまに物騒な事件が起きますけども。
最近はセリーヌ・ディオン、アヴリル・ラヴィーン、ジャスティン・ビーバーといったミュージシャンや、フィギュアスケートのブライアン・オーサー(羽生結弦選手のコーチ)、ジョアニー・ロシェット(バンクーバーオリンピック銅メダリスト)、密かな四回転の鬼ケヴィン・レイノルズなど著名人もたくさんいますね。
ちなみにカナダといえばメープルシロップを思い浮かべる人も多いと思いますが、元々は北アメリカ原産の木で、そこらへんにフツーに生えていたそうです。
木の表面に傷をつけてバケツを設置しておけばシロップが採れるというので、昔は糖分摂取にとても役立ったのだとか。
穀物のように精米や製粉がいらず、農業的なお世話もいらないとなれば国民食になるのも当然の流れですね。
ベーコンにかけるのはどうかと思いますけども、あまじょっぱくて美味しかったりするんでしょうか。
チャレンジした方がいらしたらぜひ教えてください。
長月 七紀・記
【参考】
カナダの歴史/wikipedia