「騎兵」のサーヴァントとして登場する【ブーディカ】は、『シヴィライゼーション』シリーズにも登場した史実のイギリス女王です。
心優しい女王様とかの類ではありません。
「国を守った愛国心」の象徴として、フランスにおけるジャンヌ・ダルクのような扱いを受けています。
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日本ではイマイチ知名度の低い存在ですが、その凄絶な人生、炎のような闘争心は、時を超えて歴史ファンの心を震わせるもの。
彼女はローマ軍に叛旗を翻し、激闘に身を投じました。
一体なぜ?
そこにはケルト民族の哀しい歴史がありました。
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他民族侵攻に苦しんだブリテン諸島
四方を海に囲まれながらも、ヨーロッパ大陸からは近接していたブリテン諸島。
周辺民族にとってこの島々は、古来より「すぐに侵略できそうな美味しい土地」でもありました。
今でこそ世界をリードするような存在でありますが、古くからこの島に暮らす人々は海からの侵略、そして20世紀以降は空からの脅威にさらされ、防備を固めるのに必死でした。
ざっと挙げますと……。
ギリギリのところまで追い詰められ、ついにはヴァイキングを撃破したアルフレッド大王(9世紀)。
スペインの「無敵艦隊」を撃破したエリザベス1世(16世紀)。
ナポレオンの侵攻から国を守り抜いたネルソン提督(18世紀)。
「バトル・オブ・ブリテン」等激戦を勝ち抜き、ナチスドイツから国を守り抜いたチャーチル(20世紀)。
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こう記すと『やっぱり連戦連勝やないか!』と思われるかもしれませんが、アルフレッド大王以前はいとも容易く侵略されていたのです。
実際、9世紀以降で海防に成功するようになってからでも、11世紀のノルマン・コンクエストには敗北しており、現在まで続くイギリス王室は、フランス系侵略者の系譜となっているほどです。
では、ブーディカという女性はどんな存在なのか?
彼女は、もっともっと古い時代で実に1世紀のお話。
ブリテン諸島で多くの民族が溶け合う前の女王でした。
イケニ族の女王として娘たちと暮らしていたのですが、ある日を境に怒りを燃やす戦士女王として、ローマ軍相手に血みどろの叛旗を翻すようになるのです。
ローマが私を裏切った……女王、怒りの涙
紀元前43年。
ローマ軍がブリテン諸島に上陸を開始しました。
そのころ、同諸島に暮らしていたのは、ケルト人と呼ばれる人々でした。
彼らは大陸から移動して定住したと思われる部族。
小さな氏族(クラン)単位で暮らしていました。
※ディズニー映画『メリダとおそろしの森』のヒロイン・メリダは赤毛の少女で、典型的なケルト系です
ブーディカの夫・プラスタグスは、こうしたケルト人氏族であるイケニ族の王でした。
彼らは当時ブリテン諸島を支配していたローマと良好な関係を保っていたのです。
王としての地位も保たれ、ブーディカは夫と娘たちと幸せに暮らしておりました。
ケルト系の人々は燃えるような豊かな赤毛が特徴とされますが、ブーディカも同様に赤く美しい髪をたなびかせていた――と伝わります。
王の妻らしく「トルク」(首輪)という装身具も身につけていたことでしょう。
しかし幸せは、夫の死後、突如崩壊します。
妻として財産を継承できると信じていたブーディカに対し、ローマ側からくだされた返答は冷酷なものでした。
「ローマの法では、女性に相続権はない」
愕然とするブーディカ。話が違うではないか。
怒りが込み上げてくる彼女に対し、ローマはさらにイケニ族の領土を取り上げ属州としてしまいます。
そうなればもはやブーディカ自身だけの話ではありません。イケニ族の貴族たちも住居や財産を失うこととなったのです。
「こんなことはおかしい! イケニ族に返してください!」
怒ったブーディカは猛然と抗議しました。
対する、ローマの仕打ちはさらに冷酷であり人道を外れるものでした。
ブーディカは鞭で打たれた挙げ句、娘たちはローマの兵士に陵辱され、奴隷とされたのです。
彼女の胸に、怒りの炎が滾りました。
「このままローマに服従するくらいならば、私は戦う!」
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