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【ブーディカ】
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ケルト戦士の咆哮
紀元60年から61年にかけて、ブーディカはケルト戦士たちを集めました。
ケルト戦士というのは、燃えるような赤毛を石灰で固めた獰猛な戦士たちです。
装備面ではローマに劣るとはいえ、その果敢な戦いぶりは現在までも伝わっています。
現在はアメリカのプロレス団体WWEにおいて、アイルランド人人気スーパースター・シェイマスが、絶大な人気を誇っています。
2018年現在、「ケルト戦士」というのは彼のことを指すことが多いようです。
※シェイマス入場ビデオ/ケルト戦士をイメージした外見が特徴で、ケルト十字、鬚、白い肌、赤毛、固めた髪の毛、テーマカラーの緑色がカッコイイ
ケルト戦士の指導者として選抜されたブーディカは、野ウサギを放ち、女神アンドラステに祈りを捧げます。
ブーディカは勝利を意味する縁起のよい名前でした。
彼女の元で、ケルト戦士たちは咆哮をあげます。
「今こそローマの支配を打ち破るときだ!」
怒りに燃えるケルト戦士の群れは、カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を襲撃。
ローマは油断しきっていました。
あっさりと服従したケルトの連中が、何ほどのことがあろうか。そう考えていたのです。
寝耳に水の急襲を受けて、カムロドゥヌムは陥落。
続いて、ロンディニウム(現在のロンドン)、ウェルラミウムまでも攻略されました。
哀れなのはローマ人の民間人たちです。
怒りに燃えるケルト戦士の刃は、容赦なく彼らを殺戮したのでした。その死者数は7〜8万人とも。
彼らは捕虜を取ろうとも、奴隷として売り払おうともしませんでした。
戦いの神に捧げる生贄のように、ローマ人の死体は損壊され、さらされたのです。
ケルト戦士の勇猛さは、悪夢のような記憶として、ローマに刻まれたのでした。
※ローマ軍とブリテン諸島の戦士の戦いを描く映画『センチュリオン』
反乱の終焉
むろん、ローマ側も黙ってはいません。
怒りのままに突き進むケルト戦士たちですが、その進軍は秩序に欠けており、家族たちまで移動していました。
軍隊としての精度では、本気を出したローマ軍にはどうしたって劣ります。
「ワトリング街道の戦い」で敵を迎え撃ったローマ軍は、大型の盾で武装し、ピルム(槍)を投げて来ました。
装備で劣り、秩序もなく、突撃しか術のないケルト戦士たち。
彼らの軍勢は、たちまち崩れてしまいます。
ローマ軍は敵が連れて来た妻子や家畜まで徹底的に血祭りにあげ、復讐の連鎖が続いてしまいます。
この大敗の末、ブーディカは服毒自殺を果たしたとも、病死したともされています。
いずれにせよ悲劇の戦士女王は敗北の末、そこで散ってしまいました。
ただし、彼女の蜂起は決して無意味ではありませんでした。
ローマ側は、ブリテン諸島における無道な統治を反省。支配は改善されたのです。
そして後には、ケルト戦士の勇猛さと、勝利の名を持つ赤毛の女王の伝説が残されたのでした。
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